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「卒業」第二節

 ふわり、と一瞬体が浮いた気がした。現実から切離されていく。意識が引き離されていく。踏ん張るより先に、視界が真っ白になる。ひっそりと咲く桜の木が立っていた。


 歩き続けていると、桜の木の下に男の子がいる。鈴が作り出した精神世界の中なのだと思いついた。居心地もよかった。

 

 戦いも何もない。 苦しくもなく自由だった。 鈴はゆっくりと、男の子の元へと歩み寄った。年齢は自分よりも六つぐらい年上なだけである。脆くて、何よりも儚い姿が目に入った。


  ――血は似合わないわ。


 ひらひらと舞い落ちる桜に、飲み込まれたのである。鈴のま前で桜の木の下に、触れて目を閉じた。誰かの無事を祈り、幸せを願っている姿が目に入る。


 心臓の鼓動が跳ねる。鈴は毒気を抜かれた気持ちになった。自分にも人芸らしさがあったのだと、思わず拍子抜けしてしまった。


 鈴が近づくと、声をかけられた。


「あなたが私を呼んだ人ですか?」

「そうです」


  男の子の姿は誰かに似ている気がする。色彩、話し方、立ちふるまいーー浮かんだのは一人の女性だった。ごく身近な人物で、最近まで研究所に在籍をした。孝の右腕として働いている人物を予想する。


 姿が一致する。


 ――思い出した。


  被験者の息子とともに、逃げ出し孝の部下に殺された「彼女」の名前は――。


  確か――。

 

 「十河奈美?」


 鈴は名前を口に出す。


「僕は十河湊。十河奈美は僕の母親です」

「私は亡くなった命のために、教授へ報復をしたい。だから、私を仲間にしてください」


 孝と鈴の道が別れたのである。

 結局、信頼関係なんてなかった。


 使い勝手のよい操り人形マリオネットとして、一本の糸で踊っていただけだ。つながれていた糸を湊が切ってくれた。



 だからと言って、やってきた実験の事実は消えない。無になるわけではない。実験に加担して、人の命を弄んできた。


 自分もその中心にいた一人である。 でも、もう違っていた。 鈴が湊に会いに来たのも、自らの意思だった。周囲を見返してやりたかった。もう、研究所にいる「山口鈴」ではないと宣言できる。


 「山口鈴」一個人として、決着をつけるつもりでいた。 今までなかった力が湧いてきた。不思議と湊の前に立つと、胸が締め付けてきた。鈴の心臓はドクン、ドクンと先ほどよりも、音を立てているし体も熱い。


 初めての感覚である。

 鈴の魂は震えていた。


  全身で感じていた。

 見えない何かを、引き寄せているみたいだった。


 息がしやすくなる。

 求めていた理想がここにはあった。


  それに、運命の人がいるなんて、誰が予期していただろうか。


  思いが溢れ出す。 思いが溢れ出しすぎて、泣きそうになるのを耐えた。


  ――泣くな。

  ――泣いたら、ダメだ。


 ――泣いている時ではないわ。 泣いている暇はない。


 甘かった流れは、一瞬にして発散していく。孝を倒すのだと、目の前に現状に、集中すべきだった。同時に戦いが始まるのだと、空気は引き締まっていく。


  鈴は湊に声をかけた。


「始めましょうか」

「そうですね。グズグズしている時間はありません。やりましょう」


「まず、この子供の情報を十河孝から隠しておいてほしいのです」


 渡された資料に目を通す。そこには、都の情報が記載されていた。鈴は十河都の名前が目にとまった。生きているとは思っていなかった。 殺されたのだと思っていた。


「十河都。生きていたのですね」

「生きていてくれてよかったです」


「生きているからこそ、資料に名前があるのでしょう?」

「そうですね」


「でも、ここまで都君を思う気持ちはどうして?」 「分からないです。お互い惹かれる何かが、あるのかもしれないです」



  一度だけ、鈴のパソコンがハッキングを受けた。画面が真っ黒になって、会いたいとのメッセージが届いた。鈴はメッセージを送って来た相手を追跡しようとした。


 追跡するより早く、パソコンの電源が切れた。犯人は目の前にいる湊の仕業だ。だからこそ、精神世界に初めて呼ぶ相手を、湊に選んだのだ。


「私に頼む理由は何でしょうか?」

「僕は君は君の能力を、発揮してほしいだけです。山口さんにとって、悪い話ではないはずです」


「私が力を発揮する代わりに、あなたは何をやってくれますか?」


「山口さんがもう少し大きくなって、体力がついたら研究所を抜けが出すために動きましょう」


  鈴の頭に湊は手をおいた。


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