【day2】(3)-[3]-(1)
トレイの上には、一人分の大きめな碗と温かい牛乳のカップだけが置かれている。今日はパンなども添えられず、ごろごろとした野菜がたっぷり入ったすいとんだった。
三者三様、それぞれ「頂きます」の仕草をし――アサギは手を合わせて目を閉じ何事か呪文のようなものを唱えて、リオンは合掌して「頂きます」と云い、ギンは両手の平を上に向け、むしろ誰かに向けて「召し上がれ」と云う風に碗を指しながらただ目を閉じていた――、それぞれがまず一口、ごろりとした野菜や小麦のすいとんをモグモグと飲み込み、リオンが口火を切った。
「それで、ギンさん、続き」
「――。どこまで話したっけ?」
「『権力者』の話をしてたんです。サウザー領の初代領主という方は、権力という役割が認識される以前に既に『権力者』として在って……」
小首を傾げたギンへ呆れたような顔をしたリオンに代わり、アサギがそう云った。
ああ…とギンが頷き、まずもう一口、すいとんの汁を掬って飲み込む。
「それで、その後、『ただ』って逆接で繋げようとしたから、気になったんだよ、ギンさん」
リオンもそう云うと、ギンは「それでか」と云いたそうに苦笑した。
兄弟三人で居る時、誰もが全く口を開かないまま何時間過ぎても居心地が悪いということはないから、ギンの方には語り足りないという感覚が実は全く無く、正直、少々の「疲れ」も感じているのだが――もしかすると、食堂に誘われた時からアサギの方にほんの僅か恐縮そうな様子が見えていたのは、それを彼が感じ取っていたからなのかもしれない――、若い二人が勉強熱心なことも知っているし、まだ本題に至っていない以上「半端なところじゃ気持ち悪い」という言い分も理解出来るので、「年上の先輩」として講義を続けることにした――ギンはそれを知らないが、午前中の幹部達と同じだ――。
「その逆接は、ハル様個人について……ハル様に何か問題あったとかいう話に続けようとしたんじゃないよ、先に云っておくけど」
「あ、そうなんッスか」
「うん。僕が云おうとしてたのは――原始的な『権力』が……、『役割』として必要とされて生まれたのかもしれないケース、『役割』として認識されるより前に『権力者』の方が自然発生していたのかもしれないケース、そのどちらにせよ、『原初の権力者は必ず名君だった』と云えるんじゃないかってこと」
そこまで云ってギンは団子を口にくわえたが、何か思い出した顔をして慌ててそれを飲み込み、補足した。
「ああ、でも、さっき少し云った『生け贄』の風習があるような集団のケースは、ちょっと特殊なものとして外そうか。そうした集団は、『正しく生け贄を選べた権力者が〝名君〟』とかいう考え方を構成員の側がしそうだから、あんまりヒステリックだ、今の僕らからすると多分、価値観が違いすぎる。もう少し『名君』『暴君』のイメージを僕らが共有出来る範囲で考えるなら、『原初の権力者は必ず名君だった』と云って良いかな、ってことでさ――リオン君がさっき云ったみたいに、『選挙』という形が生まれてからは、『よりマシな愚者』が権力者になることもあったろうけど、それでもまだ比較的『名君』に近い者、少なくとも『名君』として振る舞おうと努めている者ではあっただろうし、『選挙』という形態は原初というほど大昔でなく、『ただの集団』が『社会』と云われ始めてから生まれたもののようにも思えるしねぇ――」
「んー……殆どはそうだったかもしれないけど、でも、『腕っ節の強い奴が頂点』って権力者も、動物的な分『原初』としてありそうッスよ? 『生け贄』みたいなヒステリックなのだけじゃなくて、そっちも『名君』のイメージじゃないんスけど…」
リオンが首を傾げてそう云い、ぱくっと芋を口に放り込むと、ギンも「そりゃ、居たのは居ただろうな」と肯定した。が、「でも」と続けて軽く首を振る。
「そうした動物的な権力者が君臨していた群れは、離散するか滅びるかしてるんじゃないかと思う。『権力者』の方が群れのメンバーから反逆を受けて滅せられてる、てケースも考えられるしね」
「あ…、そうか」
それだけでリオンは納得して頷いた。
強制力を行使するために「腕っ節」しか方法を持たない権力者だと、群れは確実に萎縮してしまう。己の行動を「省みて」次の行動を改める・決めるというより、「権力者の怒りを買わない」行動しか執れなくなってしまうから。
それが結果的に群れの秩序を保つことになるなら構わないという考え方も出来るだろうが、それが可能なのは「人間以外の動物」でだけなのじゃなかろうか。「人間」は、余りに思考回路が複雑だから、「権力者の判断がどうしても納得出来ない」という心理が働くこともあるし、「何であの権力者の群れに、己は所属しているのだろう?」という根本的な疑問を抱くこともあるだろう。するとそれは、群れの盛衰を左右する。
どちらにせよ、「権力者の怒りを買わない」ことが行動原則になると、「群れのために自分から行動する」ことに繋がらないから、少なくとも隆盛が期待出来ない。
「それでも――、『腕っ節』だけが理由ってタイプの権力者が絶対に果たさなくてはならない義務だけは果たしているようなら、ある意味『名君』でもあり、決して『暴君』とは、まだ云えないから、その群れはもう少し踏ん張れるだろうけどね。ただし、その義務を果たしていても、やはり群れのメンバー側が『愚者』なら報われないこともある。となると、そうしたタイプの権力者、そして群れは、原初から考えると一度、絶えてると思う」
「あ……あの、その『義務』っていうのは? その義務を果たしていれば、腕力だけが理由の権力者でもまだ暴君じゃないとは云えて……、むしろ、民の方が愚者だと報われない、っていうのが……済みません、僕にはちょっと、追いついていけてないんですけど」
リオンは「うんうん」と頷いていたので察しが付いているようなのだが、アサギには直ぐに理解が出来ず、少々焦った声色で云った。ギンが丁度碗を手にとって汁を啜ろうとしていたので、リオンが代わりに答えてやる。
「腕っ節だけが権力の理由で、群れのメンバーが反抗してきたら即殴る、ってリーダーはさ、群れのためにそれをやってるんだってのが明確になってなきゃ駄目、ってことだよ。そうじゃないと、ただ強い奴が何か気にくわない奴を殴ってるだけになっちゃうから」
「え、ええと……?」
「つまりな、絶対果たさなきゃいけない義務ってのは、『外敵から襲われたときには必ず、群れを守るために自分が戦う』っていう行動だよ。そんで、普段から、その姿勢が他の連中に見えてないとな。群れの秩序を乱して殴られた奴が、その時は『痛ぇよクソッタレ』って思ったとしても、『でも、こんな強いリーダーが群れの頂点に居るんだから、うちの群れは安泰だ』って思わせなきゃならねえ、ってことだ」
アサギがやっとそこで「ああ、成る程…」と頷いた。――リオンが微かにからかうような笑みを見せ、
「あんたんちは、そういう殺伐とした群れの有り様が想像出来ないくらい、おしとやかなんだな」
「……」
アサギが戸惑った顔をして小首を傾げる。ギンが碗を卓に置き、
「――だから、本当は戦争なんて向いてないんだよ。随分無理して頑張ってるよ、フリュスの人達は」
そう云って微笑を浮かべ、アサギに頷きを見せた。
リオンからはからかわれたような気がしたので狼狽えたが、ギンからは労われている気がした。戸惑いの表情のままで、アサギは小さな声で「はあ…恐れ入ります」と返した。
「じゃあ……、『まだ暴君とは云えない』『ある意味では名君』というのは、そういう意味なんですか。ギンさんが最初に仰った、『支配者は傷を負う』という、その部分ですね?」
「そう。『腕力だけが権力の証である者』が、普段、自分の群れの者に傷を負わせている以上、外敵からの傷は自分自身が受ける。そうでないと、群れを維持する権力者としての資格が無いって云えるんじゃないかな。権力の証が動物的、云い替えればシンプルな分、権力者の義務や資格もシンプルにそれだけだ」
「それすら果たせないなら、これまた簡単に『暴君』のレッテルが貼られるよな」
ギンがアサギの言葉に頷き、リオンも後に引き続いてそう云った。
「『一番強い』ことで権力者になってる奴が引っ込んでて、自分より弱い下の者を外敵にぶつけようとするのは、ぶっちゃけ『サイテー』だ。最悪の内弁慶」
リオンが軽く眉を寄せてそう云うと、アサギが神妙に頷いた後、ふと小首を傾げて、
「でも、『一番強い自分』が分かっているなら、他の者の実力――腕力という意味の――も分かってますよね。外敵の『戦力』によっては、『自分の出る幕じゃない』という判断をすることもあるのでは?」
素朴な疑問と云うふうに、リオンとギンのどちらともなく訊ねた。
ギンが苦笑して、軽く手を振る。
「そういうのは――というか、それが許されるのは、もう少し複雑な性質をした群れであり、その権力者だね。今、例にしているのは、もっと単純――そういう判断が許されないくらいに、普段から腕力だけが強制力の方法であるケースだよ。群れの構成員の側から『貴方の出る幕ではない』と云い出すんなら兎も角ね、そういう判断を権力者自身が下すのは、リオン君の云うとおり『内弁慶』でしかない――『己が出る幕じゃないからおまえが行け』って権力を、そこでまた暴力で発動させるんだよ?」
「……」
「これもリオン君が云ったように、権力者が強制力として『腕力』『暴力』を使う際に、『でもこの強者が君臨する以上、群れは大丈夫』と思わせなきゃいけないんだから、外敵から襲われるという『正にそのとき』に自分が動かない権力者は、本人がどういう『判断』をしようが、群れの構成員からすれば絶対に納得出来ない。そこには『失望』しか無いんだよ。理不尽、って言葉が、絶対に頭を過ぎっちゃうよ。このタイプの権力者は、絶対に前線に出ていかなくてはいけないんだ」
「ああ……」
「群れの構成員からしたら、実際に前線に出た上で権力者に敗北してもらうほうが、『ということは、群れそのものが弱かったのだ』と、絶望こそすれど、納得も出来るだろうな」
「そうか、それで……最低限の義務。そうじゃないと、民――群れから、確実に離反者が出てしまうと」
「そういうこと。離反くらいならまだ平和だね、群れのメンバー全員から『暴力による造反』に遭って命を失うことだってあるだろう。でも『自業自得』だ、権力者の義務を果たさなかったんだから」
そう云ってからギンは、じゃが芋を口に入れた。アサギも一口スープを啜ってから、
「でも、その『権力者』が年を取って、前線に向かっても勝利が期待出来なくなったときは……」
「そりゃあ、それもシンプルな話だろ」
リオンが少々呆れたような声色を出して云い、ギンと同じように芋を口に放り込んだ――もぐもぐとほっぺを動かしながら
「『義務が果たせなくなった時点』で、そういう群れの権力者は資格が無くなって、地位を剥奪されるのが当然じゃん。年取ってケンカが弱くなったらもう権力者じゃない、もっと強くなった奴が権力者になる、ただそれだけの話さ。『経験』『年輪』『年の功』なんて考え方は無いんだよ、その群れには」
「ああ……。そういうことに…なるのか…」




