【day1】-[2]-(1)
――再び草原は静寂に満ちた。あんな巨大な火の玉が現れたのに、草原に黒く炭になった部分はまるで無い、茶色くあぶられた場所すら見当たらない。
アサギがリオンの前でぺたりとしゃがみ込んだ。
リオンがアサギの肩に手を乗せて、「あ、有難う。――大丈夫か、あんた」と声を掛けた。そう云うリオンも、膝は笑っていた。アサギは振り返り、「大丈夫……だけど、腰は抜けた……かも」と無理矢理に苦笑を作っている。リオンも苦笑いを浮かべた後でしゃがみ込んだ。
タオは、久しぶりに杖を「杖として」使った――しっかりと大地に突き刺し、抱きかかえるようにして体重を預けた。チョウも同じように槍を使っている。
「君達には聞こえたか。――さっきの炎が、最後に高笑いしていたように思うんだが、俺の気のせいだろうか」
杖に額を付けたまま、タオが独り言のような口調で若者達に訊ねると、
「……聞こえた気がします」
とアサギが戸惑いがちに答え、リオンは同じく戸惑ったふうに「俺だけじゃなかったのか」と呟き、チョウはこくりと頷いた。
「しかし、俺達が笑われたんじゃないように聞こえたんだが、どう思う」
これにも否定するような言葉は若者達から出なかった。「馬鹿にされた感じはしなかった」と皆云う。
タオは「そうか…」と一つ溜息をついた。
しばらく杖を通して〝地〟と会話しながら、タオは思慮に沈んだ。
あの高笑いは、こちらを嘲笑った訳ではない、気がする。
だから、なのだろうか――。
巨大な炎が取りあえず目の前から消えた、という事実に「安心」している自分が居る。不思議なことに、さっきまであれほど感じていた「恐怖」が、その当たり前の安心を以て、もう拭われているのだ。
嘲笑っていたようには聞こえなかった――あれは、あの人型の炎自身から出た、自発的な笑いでしかない、ように聞こえた。「笑い」という表現が出る、ただ当たり前の理由。「楽しい」「嬉しい」「面白い」、そうした素直な快楽の表現としての笑い、でしか無い――と。
だからなのか――「敗北感」「屈辱感」のようなものが、全く無い、のは。
だが……。
ではあれは何だったのか、そうした、強烈な「好奇心」ゆえの「恐怖」が再びジワジワと襲いかかってくる。興味は無性に湧いている。だが、それが故の恐怖が当然伴ってやってくる。
〝地〟からの答えは、無い。
あれは何だ?というタオの疑問に、星――〝地〟は、
「さあ」
と返してきただけだ。
かく、げんしりょく、が「精霊を殺せる力」だとは既に知っていても、あれは何なのか知らない、ということなのか……。それとも、友や主にも云えないこと――「かく」の存在理由を語らないように、ただはぐらかしているだけなのか?
後者なら良い、だが――もし、前者だとしたら。我らが生きるこの世界の「根源」である精霊が、知らない・解らないことなのだとしたら……?
猛烈、強烈な、恐怖、同時に――今まで抱いたことが無いほどの興味、好奇心。
タオが無意識にぶるりと肩を震わせた瞬間、チョウががくりと膝をついた。精神をすり減らすのが仕事とも云える魔術士が、長時間その能力を使って気を失ったりすることはあるけれど、大柄で体も良く鍛えたチョウにこんなことは珍しい。
「大丈夫か」
チョウは槍を右腕に抱えて膝をつき、左手で額を覆って肩を上下させていた。全力疾走でもしたように息を荒げている。
「申し訳ありません。急に、相当の〈情報〉が……」
タオはアサギに顔を向けて、
「アサギ、チョウの〝熱〟少し下げてやってくれ。このままじゃ、沸騰する」
そう云うと、自分は少し歩いて、草原を見下ろしていたランタンを手に取り、チョウの脇に置いた。
「ケンとギンも同じような感じになってんだろうな。チョウ、二人に〈回路〉を少しセーブしろって伝えろ。君も槍を放せ。――いいから」
そういう訳にはいかない、と槍を掴んだ手に力を込めるチョウへ苦笑を見せ、タオは再び彼の脇、右側に膝をつくと硬い指を剥がそうとする。
チョウは狼狽えつつも領主に従い、目の前に槍を横たえた。
「チョウ、今溜まってるのを、取りあえずここに吐き出しなさい。〝栓〟も外せ」
そう云ってタオは、問答無用にチョウの耳から耳栓を引き抜き、彼の左手をランタンの持ち手に被せさせた。チョウが溜息混じりに心から「恐れ入ります……」と呟く。唐突に流れ込んできた〈情報〉を己の頭でかみ砕いて、言葉にして喉から発することが、今は、その量に到底追いつかない。無理にやろうとすれば体の方がすり減って無くなりそうだった。
領主であり師匠でもあるタオが〈記憶装置〉としてランタンを差し出してくれたことへ、チョウは心から感謝した。
ランタンのガラスの奥に、ポッと火が灯る。それは途端に、ガラスの内側を煤で覆うほど大きくなった。これはいかん、とタオは少しばかり慌てた顔をして、己の杖も差し出し、チョウに握らせた。
「少しくらい焦げてもいいから、これも使え。リオン、……いや、君も消耗しているな、アサギ、『予備』にあたるような巻物を持ってはいないか。あったら貸してくれ」
「どうして俺じゃ駄目なんだ?」
リオンもチョウに近寄り、彼の脇に落ちていた糸巻きを拾って凧糸を再び巻き取っていた。頼りにされていない気分がして、少しふて腐れた声でリオンが云うと、タオが苦笑する。
「君は風が強いからだ。普段なら良い感じにチョウの〈力〉を増してくれる筈だが、今は二人ともバランスが悪いんでな、君の〈装置〉の方を台無しにしてしまうかもしれない。恐らく、今はアサギの方がチョウには良い――アサギ、〈癒し〉も適度にやっててくれ」
「解りました」
客分の若者二人にとっても師匠であるタオが、そちらへ諭すような口調で云うと、リオンがふて腐れた顔のままだが「そうか…」と応じ、アサギは大きく頷いて懐から〈巻物〉を一つ取り出し、チョウの手が届く範囲にザッと転がして広げた。
それからアサギはチョウの背中に手を当てて、ゆっくりと円を描くように撫で始める。
チョウはリオンとアサギにも、
「有難う」
と、息が切れているので囁く程度の音量ではあるが、声に出して云った。――無口で大柄故にともすると威圧感を周囲に振りまくチョウだが、感謝と謝罪の言葉だけはちゃんと口にするよう、魔術士になる前、子供の頃より、親を筆頭とした年長者からきちんと躾けられている男だ。
アサギが広げた巻物にもチョウは左手の平を当てた。すると、無地であった白い絹が――絹織物それだけが巻かれていたから、所謂「巻物」というより「反物」に近い――、無数の黒い点や線で覆われた。しゅう……と細い煙が上がり、微かに何かが焼ける匂いが漂ったから、その黒点は「焼け焦げ」なのだろう。線香の小さな火を押しつけてモールス信号を表したかのようだ。水性のアサギが持つ巻物にそうしたから、炎を上げて焼き尽くしてしまわずに済んだ。
五分ほどしてチョウは巻物から手を離し、領主の杖からも手を離した。それから、手を後ろ頭に乗せて深呼吸を繰り返す。
最後に一つ、はあーっ、と大きな溜息をついてから顔を上げ、
「もう大丈夫です、ご心配を掛けました」
喉は掠れているふうだったが、震えたり途切れたりはせず確りとした声でチョウが云い、ぺこっと頭を下げた。丁度肩を揉むようにしていたアサギの左手にも、自分の右手をそっと乗せて「もういいよ、有難う」と呟く。
タオは「そうか」と頷き、リオンとアサギもホッと息をついた。
チョウは再び右手で、握り込みはしないが目の前の槍に触れた。
「君が大丈夫なら――城の皆がちゃんとしていれば、ケンとギンもある程度回復していると思うが……。今の城の様子は伝わるか? 俺達は今すぐ城に帰るべきだろうか、訊いてみてくれ」
タオがチョウに耳栓を差し出す。チョウはそれを受け取りながら、はい、と応じ、左手で耳を覆い目を閉じた。さほど時間は掛からない、二十数えるくらいの間があってパチリとチョウは目を開けた。
「至急の帰城には及びません。というより、城の方も混乱しており、今戻られても、まともなご報告が出来ません」
「――そりゃ、まだ帰って来んなってことだな」
肩を竦めてタオが苦笑すると、チョウは是とも否とも云えず小首を傾げてから続けた。
「こちらに危険が無いのならば、今しばらく留まって頂いても良いと……。ちなみに、CFCの陸上軍は、後退している気配がありませんが前進しているわけでもないようです。友軍も壕に退避したまま無事です」
「じゃ、丁度良い、こっちはこっちで整理しよう。円陣だ、アサギ、リオン、君達もちゃんと座んなさい」
タオは尻をどっしりと草原に落ち着かせ、胡座をかいてしまった。その脇に膝をついていたチョウが、戸惑いの表情を浮かべつつも頷き、同じく胡座をかく。座るよう促された若者二人も草の上に腰を下ろした。
リオンはゴーグルを額の上にあげて髪を解き、うなじの辺りをぼりぼりと掻いた。アサギはフードを首の後ろに回して、可愛らしくも不安げな表情を顕わにする。
「まず最初に、一番大事なことを確認しておこうか。アサギ、リオン、チョウ、――結局、核の矢は、どうなった?」
タオが胡座の膝を両手で掴んで、顔をぐっと前に突き出し、若者三人に訊ねる。師匠が講義でも始めたかのようだ。三人は顔を見合わせ、アサギが
「消え……ましたよね…」
と、たどたどしく答える。
「目で見てそう思っただけじゃなく……、〈装置〉越しでも、『感覚』としても……、突然に消えたんです」
「俺は、あの火の玉が、『食っちまった』と思った」
そこでリオンは、「スイカの種を……」と続けた。タオが笑って「ああ、本当にそんな感じだったな」と頷く。
「私も、あの火の玉が完全に消化したように思いました。それに、タオ様。……城からの〈声〉には、レーダーから完全に消滅してしまったのだが、何があったのか、タオ様の処置が成功してのことなのか、と訊ねるものもありました」
ちらりとランタンを見て、チョウが云う。
タオは三人の言葉を聞き、ふむ、と鼻を鳴らして、鎖骨の辺りまで伸びている顎髭を扱いた。
「俺も、突然『無くなった』と思った。城の機械までそう云ってるのか。――となると、核の矢は『消えた』と思っていいんだろうな」
師匠の言葉に弟子も「いいと思う」と戸惑いつつも頷く。
「すると、では、あの火の玉――炎の巨人は何だったのか、本当にあいつが『矢』を食っちまったんだろうか、その後に降ってきた化け物達は何だったのか、という疑問は当然あるが――」
勿論だ、というふうに若い三人も大きく頷く。タオは苦笑してから肩を竦め、
「取りあえず置いとこう」
「置いとくのかよ!」
リオンが呆れた口調で叫ぶ。




