【day2】(2)-[2]-(5)
「雌の蚊は恐らく、毛皮が無くて吸いやすいものを、たまたま狙っているのだ。人間を狙ってなんかいないさ。だが、我々の方は、彼女のせいで滅亡する可能性もあることを知っている。その可能性が現実となったとき――蚊の方は、俺達が居なくなったら、再び別の、毛皮を纏ったものを狙う。ただそれだけだ、悔やみはしないさ」
タオが「そりゃまあ、我々の方にも、好きこのんで蚊と共存しているつもりはないから、例としてイマイチだったけどね」、そう云って肩を竦めたが、シャールは領主の軽口に笑みなど出ず、神妙な顔つきだ。
「では逆の方向――俺達は気味の悪い虫が一種類でも絶えたら世界が歪むことを知っているが、虫の方は自分が絶えたら、人間に限らず他の生き物が困ることを、果たして知っているだろうか? 世界のために生き残ろうとしているんだろうか? それも、俺は全く思わないな、虫に限らず。――『共存共栄』というのは、人間が勝手に云ってることさ。いや、『栄』の意識は、いよいよ人間にしかあるまい。むしろ人間の方が絶滅したって、世界は大して困らないだろうに、『共存』なんて考え方してるのは俺達だけだ。では、何故我々にしかその意識が無いのか? ――それぞれの『役割』を知っているからだ」
タオはそこで一口水を飲む。
「我々は、君が化け物と云った『あれら』と『黒い筋』を、その役割を、全く知らん。今まで知らなくても構わなかったのだから、これからも知らなくて良い。気味が悪いという理由だけで殲滅させても問題は無い。君が云う通り、その可能性はある。だが、我々の方が虫の立場である可能性とてあるのだ」
意地悪く口を歪めているタオに、シャールと、特に若人達は――議員席や傍聴席、中継を問わず――目を見開き、きゅっと唇を引き締めていた。
「俺達が今まで知らなかったってだけで存在しなかった訳ではない――『あれ』は、そういうものなのかもしれない。神や悪魔、怪物、ユーマ、異星人、天国・地獄・アナザーワールド・外宇宙、そんな言葉は滅多に使いたくないが、そんな感じのものが、こんな面倒くさいご時世の今になって顕示された、『やっぱりあった』と認識する状況に、俺達は置かれたのかもしれんのだよ。――そして、向こうからすれば我々こそが、我々から見た気味の悪い虫と同様の存在であり……『気味が悪いから殲滅してしまおう』と、思ってても可笑しくはない訳だ」
シャールが、びくりと肩を震わせて何か云いかけたが、タオが続きを云う方が早かった。
「だが、向こうに、我々が『共存すべき益虫』あるいは『殲滅すべき害虫』という知識が一体あるのかどうか、それも俺達には分からん。俺達を絶滅させた結果、向こうが困ることになったとして、さあ、それはそれ、俺達が知っている虫と同様、後で悔やんだりはしないのかもしれない。馬鹿を見るのは、というより、馬鹿を見た気になるのは、結局滅ぼされる我々だけ。そんなことだってあるかもしれん。当然、その逆もある。本当に『あれ』が、あんなにグロテスクであっても、俺達が今まで知らなかっただけの『共存すべき存在』だって可能性もある。だが、俺達が勝った――あれらを殲滅させてから、それが後で判った時、向こうは別に何ともないとしても、悔やむのはやはり我々。その点で、我々の方が虫の立場だったとしても、虫とは違う」
「――将来の、そうした後悔を避けるため、私が申し上げた『退治』や『排除』は承知出来ないと……そういうことですか」
シャールが溜息混じりに云いつつ、首を縦に動かした――彼の中で、ある程度の「納得」が出来たらしい。
が、タオは
「それは百パーセントじゃない」
と軽く肩を竦めて、小首を傾げた。シャールが「はっ?」と瞬きをする。
「私は『それ以前の問題』だと云いたいのだ」
「――」
今度は、タオが苦笑を浮かべた。
「実際、私は、そういう意味で『慎重』になるべきだと、個人的には思っている。仮にここで、あれを排斥する行動を執るべきか否かを議論するとしたら、私自身は反対意見側につく、ってことだ。だが、『筋』は兎も角、『異形のもの』に対しては即刻、攻撃や排斥の命令を出すべきだと――民に限らず、為政者である君達にも、不安や恐れがあるだろう。それも、私は当然のことだと感じ取っている――が」
――中継モニタの前に居た若者……、タオが何を云っているのか、まだ全く解らないだろう幼い「子供」よりも、もう少し年を重ねた「中学生くらい」の者達、それと、「幼児」を連れた若い親達が特に、「タオ様もそれは考えておられるのか」と安堵の息を吐いたようだった。
しかし――タオが逆接の表現を用いたことで、「えっ」と再び不安そうな顔をしている。アサギは、そんな様子を見て不憫そうに眉を顰めていた。
タオは一つ、「はあ」と息を吐いて、
「やはり、それ以前の問題なのだ」
と云った。
「その前に、『理解』が――『知識』が必要なんだよ」
演説台の端をギュッと握り、今度は表情を引き締めて、タオがシャールに目を向けた。
「シャール君。君は、あの『異形』をどうやって『退治』するつもりだったんだ?」
真面目な声と表情の領主に問われて、シャールは「うっ」と息を飲み――答えられない。
そうだろう、とタオは頷く。
「我々は、退治する方法も知らんのだ」
「……」
「我々の知識――大方の常識では、大体の動物は『頭』を潰せば死ぬ、と知っている。――しかし、あの『異形』の頭は、我々が見て『頭』と思う箇所とは全く別のところにあるのかもしれないぞ? 頭だと思ったところが、向こうの常識では『尻』かもしれんのだ。俺達の場合だと、取りあえず尻の肉を削られたくらいじゃ、即死はせんだろ。向こうもそうかもしれない。あるいは、俺達が『尻』だと思ったところが『頭』だとしても、それでも『頭』を飛ばされたのでは死なないのかもしれない。向こうの常識では『尻』の方が余程に急所として当たり前なのかもしれんのだよ。そしてそれが、俺達から見て『頭』の位置にあるならグルッと回ってラッキーだが、尻だと思った位置がやっぱり尻で、そして尻が急所だったりするなら、もう訳が分からん」
――タオの例えに、若者は何とも云いがたかったが、年配の者は余裕があるらしく、俯いて口元に手を当て笑みを隠している者がちらほらと居た。
「じゃあ、取りあえず切り刻んでしまおうか? だが、『プラナリア』みたいなものだったら、どうするよ。プラナリアはちっこいもんだが、あんなでっかくて気味の悪いものが、切る度増えていくようじゃ、こうやって例に出した俺とて、想像だけで悲鳴上げちまいそうだぞ。火を点けても燃えないかもしれない、逆に、本物の『火喰蜥蜴』が、実は姿を現したのだとしたら、どうする」
「……」
「君を含め誰か一人でも、『異形』のどれか一つにだけでも、ほんの少しでも『触った』者すら、居るか? 今ここに居るなら、そういう情報だけでも持ってる者が居るなら、挙手せよ」
――当然のことながら、返答は無い。タオが溜息をつく。
「ならば、盾を以て『筋』の方へただ押し返すことすら、出来るかどうかも解らんだろう? ――そもそも、俺達はあの『異形のもの』が本当に、俺達がそう云う生物なのかどうかも解らんのだから、俺達が云う意味で『殺す』ことなど出来んかもしれんのだ。ならばどうやって退治する。――俺達は、本気で何も知らないんだよ」
しみじみとタオがそう云うと――シャールはコクッと頷いた。
「排斥を議論する以前の段階なんだ、今は。現状の我々は、あの『筋』『異形』のことを何も知らない、だから何も出来ない。火事になった時には水をかければ火が消える、それすら知らない状態なのだ。油火災には水をかけちゃいかん、なんて特定知識以前の問題だよ。――私が先ほど『行政上』として皆に指示した『対策』は、火事になったら『逃げろ』、ただそれだけでしかない」
そう云うと、議員席の殆どが、「うむ……」と頷いていた。
――アサギとリオンが、モニタの前の「子供達」にふと目を向けると、「中学生くらいのグループ」も、タオの言葉に、「ああ、そういうことなんだ…」と納得して頷き合っている様子が見えた。
「本来なら、災害それぞれの質に応じた、きめ細かいマニュアルが必要となる筈なのに。山火事、台風、豪雨、大雪、地震――それら全てに全く共通で、『ただ避難しろ』って大雑把なこと云っててどうする。――極端だが、現状では事実である喩えを出すならな……、我々は今、〝火〟という『現象そのもの』を初めて見たようなもので、〝火事〟という『災害』を認識する以前の段階なんだ。それが財産を燃やす――消してしまうとか、自分の体を焼いて死なせてしまうとか、そんなことも全く解らないまま、『物凄く熱いことが不愉快だから、熱くないところまで取りあえず遠ざかろう』としているだけなんだよ。その『熱い』が、『見た目気味悪い・怖い』になっただけだ。そんな対策は本来『対策』のうちに入らん、しかし、やらない訳にはいかないから指示した。今は単にそこまでの話だ」
だから、とタオが身を乗り出し、よく響く声で、
「理解が必要なのだ」
そう云った。
本会議場が静まりかえり、中継モニタの前も、私語が消えた。
「そして――その理解が可能なのは、きっと〈魔術士〉だと、その自負が、俺にはある。――一体、『あれ』が、出場所や目的地を選んで決めたのだか、それは俺には判らん。出てきた目的も当然分からんし、もしかすると向こうにも、そんな選択や目的は無いまま、何となく出てきたのかもしれず、ほっといても何となくいつの間にか居なくなるってこともあるのかもしれない」
「……」
「ただ、仮に一時的に存在するだけなのだとしても、その間この世界に害を為すのか為さないのか――為さないのならそれでいい。もしや益をもたらすのなら、そりゃあ共存の方法も考えた方が良かろう、どんなに気味が悪かろうが。だが――何より害を為すなら『対抗』しなくてはならない。そのために、俺達は『あれ』のことを知らなくてはならない、俺達は無知だ。――もし本当に、『あれ』が、俺達は知らない、しかし、例えばイー・ルがそう云う『神』あるいは『悪魔』だと、連中が既に知っているのならば、俺は『教えてくれ』と謹んで頭を垂れるだろう」
タオがそう云うと、議員席で再びちらほらと、ゆるゆる首を振る光景が見られた。――それは、領主が「頭を垂れる」など冗談じゃない、そんなことをしてはならないという意味では無く……「イー・ルが知っている筈が無い」、そういう意味の「否定」の仕草だと、モニタを見ていたリオンは思った。
「サウザー領の領主である〈魔術士〉、〈土〉のマスターとして、私は――『対策』には、まず理解が必要だと考えている。そのための時間、余裕が欲しいのだ」
もう一度それを云うと、「異論」を持つ者の代表として、シャールが「分かりました」と大きく頷いた。――それに合わせ、先ほど挙手した者も、賛同の意味で拍手をする。傍聴席でも同じだった。




