【day2】(1)-[4]-(5)
「……解った。納得出来ました、ありがとう」
表情は渋いままだったが、リオンはぺこりと頭を下げてそう云った。口調は真摯できっぱりとしていた、適当な方便で「納得」などと云ったのではない。
ルナールが微笑を浮かべて、「良かった」と頷いた。それから、
「……精神論の講義を先にしてしまいましたが…」
そんなことを独りごちながら、ソファに座った若者達の前、テーブルを挟んだ向かいのソファの前に立った。座りはしないまま、リオンとアサギの前に手を差し出しながら「お二人ともちょっと手を出して」と云った。
軽く身を屈めたルナールに向かって二人は素直に腕を伸ばし、リオンが左手を彼女の左手に、アサギは右手を彼女の右手に乗せた。
するとリオンが再び目をキラキラさせ「うわ、すげえ」と呟く。アサギも「あっ?」と不思議そうな声を出した。
ルナールの手は、ひんやりしていた。が、彼女の体温が低く感じられた訳ではない。
「少し手を浮かせてみて」
云われた通り、ルナールの手の平、その肌に触れていた手を二人が浮かせると、やはり、ひんやりとした空気が手と手の間にある。リオンが「凄く気持ちいい」と思わず呟く。
「城の裏の森と似てる。特に朝の、霧みたいだね」
そんな喩えに、アサギも頷いた。それも初夏から夏にかけての朝だ。昼間が暑くなることを知っているから、この適度な湿気を帯びた冷気を「気持ちいい」と感じる季節の森。冬の朝だとこうはいかない、リオンは地元が砂漠と接した乾燥地帯だから、そうした季節の違いまではピンと来ないのだろう――。
もういいですよ、と云うふうに、ルナールから手を引っ込めた。アサギとリオンもそれに倣い、手を膝の上に戻す。
ルナールはソファからも離れ、再びフーコーの隣りに立った。
「〈礫〉を作るのが基礎だとするなら、今のは『応用』です。その意味は分かりますね?」
とルナールがアサギに云うと、彼は軽く驚いた顔をしており、こくこくと頷いた。リオンの方には伝わっていないらしく「応用?」と首を傾げた。
ルナールがにっこり笑い、
「じゃあ、アサギ君がリオン君に教えてあげて。アサギ君の認識に誤りがあれば私が訂正します」
そう云った。
ある事柄に対しての理解の深さは、「その事柄について、第三者に教えることが出来るかどうか」を判断の一つに出来る。教えることが出来ないようなら、それは「まだ理解が深まっていないから」だ。普段のアサギならば「ちゃんと理解出来ている」としても自信が持てないせいで、リオンへ「教える」ことは出来なかっただろうが、今は先達であるルナールが傍に居るから、「理解が間違っている」場合は指摘をして貰える。それに安心して、アサギがリオンへ顔を向けて口を開いた。
「ええと……。礫が基礎で、先ほどのが応用だと云うのは、大まかに云うと、『振り幅』の問題なんです。ここが今の通常の――常温の空気だとしますね」
そう云ってアサギは右手を胸の前で立てた。一度、その手に左手を合わせて、
「氷の礫を作るのは、ぐーっと、空気中の水を集めながら温度を下げていくイメージなんですが…」
「ぐーっと」と云いながら、合わせていた左手をリオンから見て右側へ、指を窄ませながら離していった。大体「肩幅の半分」を表すような距離を両手が示している。
リオンが、「ああ、うん」と軽く頷く。
「ルナールさんの冷気は、このくらいの幅でしか、温度を下げていないんです。今のこの部屋の空気より、少しだけ低い。『少し涼しい』って感じでしたよね」
今度は胸の前で、合掌から三センチ程度の幅で手を離す。
リオンが小首を傾げて、「そっちの方が難しいんだ?」と云うと、アサギは「それはもう」と大きく頷いた。
「『空気中の水を集めながら温度を下げる』のが〈礫〉だと云いましたが、実は、〈水〉の術士にとって、『水を集める』方は比較的簡単なんです。そこから『氷の塊』にするのが〈氷結〉の術の基礎訓練ってことになるんですけど、水を水のままで考えていいから温度に集中出来る。そして常温から氷までは温度の『幅』があるから、イメージしやすいんです。何て云うか、『少しくらい乱暴でも形になる』っていうか」
「んー……『遊びがある』って感じ?」
「そうですね、氷になる零度が此処だとすると」
そう云ってアサギは左手を、今度は脇の前辺りに一度立てた。それからまた胸の前の右手と合わせて、さっきよりも広く――肩を少し越して広げた。
「ここまで――零度より下げてしまうイメージになったとしても、自分の手が冷たいだけで何とか氷自体は出来ますから。だから、取りあえず『氷点下』を目指すような形で最初は練習するんです。そこから零度ちょうどを目指すという、少し高度な修行に進むんですが、常温から少しだけ、となると、氷点下までの幅とは全く違う訳で」
「ああ、そう云われたら何か判るよ。氷をイメージする時は幅があるから、『途中』が少しくらい雑っていうか、勢い付いても何とかなるわけだな」
リオンが頷きながらそう云うと、アサギが「そういうことです」と同じように頷き返す。
「しかも、さっきのルナールさんのは、水を集めずに少しだけ温度を下げていたので、それがとても高度――繊細なんですよ。リオン君も、手の平は別に湿ってはいないでしょう?」
アサギが手の平を見せながらそう云ったので、リオンも改めて、先ほどルナールの手に触れていた自分の手を見て思い出す。そこまで「湿った」感じはその時無かったし、今も無い。
「……僕だったら、ああいう『微調整』は相当神経使わないと出来ないです。いえ、それで出来たかどうかも判んないですね」
「え、そうなんだ?」
「はい。――温度の調整に気を取られたら、水を集めてしまって手汗をかいたようになっているかもしれないし、その逆だと、冬の空気くらいの冷たさにしてたかもしれない。術のベースは礫とほぼ同じなんだけど、水を、三態のうちどの状態で保たせたいのか、温度をどの辺りで留めたいのかっていう、『調整』が難しいんです。だから『応用』」
アサギがそこでルナールに顔を向けると、特に間違いを指摘する箇所は無かったのか、彼女は微笑して頷いた。
リオンは「へえー」と感心する声を出しながらルナールを見て、次にはフーコーへ顔を向けた。
「〈糸〉をどんだけ細く長く伸ばせるか、みたいなもんかなあ」
リオンが今ここに居る〈風〉の〈マスター〉に訊ねる。フーコーは腕を組んで小首を傾げ、リオンに向かって意地悪く
「ちょっと違う。五十点」
と口角を上げてみせた。
リオンが「五十点は『ちょっと』じゃないよ」と拗ねた声を出すと、フーコーは相変わらずちょっと意地の悪い口の歪め方をしつつ、
「『どれだけ縒りと磨きをかけて』。リオン君の台詞にそれが大前提として入っているのなら、もうちょっと点上げても良くてよ」
「……そりゃ、俺ももうド素人じゃないから、勿論そのつもりで云ってるよ。『縒りが甘い〈糸〉は糸と云わねえ、繊維ってんだ』って、サヴァナの親方からも怒鳴られまくった」
ふて腐れた声でリオンが云うと、フーコーはにっこり笑って「じゃあ、七十点はあげる」と云い、その後少し真面目な顔になった。
「『細く』は合ってるけど、『長く』が違うわね。どっちかいうと、どれだけ『短く』出来るかだと思うわ」
「短く……?」
リオンは不思議そうに呟き首を傾げた。もともと〈風の糸〉という術を〈感〉や〈識〉のための術だと思っていたので、「しっかりと一定の太さに縒る」――精度を上げる・保つ――ことを第一に心がけ、それを如何に長く――つまり「遠く」出来るか、それが〈風の糸〉の質を高めることだと思っていたのだ。だが、〈マスター〉たるフーコーは「そうじゃない」と云った。どういう意味だろう。
「そう云うと語弊があるかな、もう少し細かい云い方しなきゃいけないわね。でも、今ユイちゃんがやってアサギ君が云った『微調整』を〈風の糸〉に照らし合わせると、大まかに云えばそういうことになると思う」
リオンが「それってどういう意味?」と身を乗り出してフーコーに訊ねたが、フーコーは苦笑して軽く首を振った。
「その講義は、また今度、別の機会にしましょう、リオン君。どんどん話が逸れていっちゃうわ、今はユイちゃんとアサギ君が途中よ」
フーコーの言葉に、「あ」と声を出してリオンはアサギとルナールの二人に顔を向けた。「御免、割り込んじゃった。どうぞ」、慌ててそう云ってリオンが手を差し出す。
ルナールが苦笑混じりに会釈した。
「それでは、話を戻しますね。――〈礫〉を作るのが〈氷結〉のごく基本的な術であり、私がやってみせたような冷気は応用ですが、アサギ君の云った通り、術式のベースと考え方は同じです。ただ、その『考え方』の部分で、もう少し厳密なことを云っておきますと」
「は、はい」
口調は穏やかなままながら、ルナールの顔から笑みは消えたので、アサギが少々うわずった声を出して応じた。――ルナールが再び、「そんな緊張することじゃないのよ」と微苦笑を見せた。
「〈氷結〉は〈水〉の術の区分に入っていて、〈礫〉が術士にとって初歩、基本ですから、アサギ君も意識していないと思いますけども、水の熱量を操作している訳ですから、実は、〈火〉の術式と全く無関係でもありません」
「あっ……」
アサギが小さな声を上げて目を見開く。
「〈水〉の術式区分に於いて、〈氷結〉は基本ですが、〈液化〉は〝応用〟〈気化〉〈昇華〉が〝派生〟――『高難度』とされているのはそのためです。そちらは、〈水〉の術士にとっての『水』の操作というよりは、より『熱量』の操作側へ偏りますからね」
「そうですね……解ります」
神妙な顔つきでこくりと頷いたアサギに、こんどは明確に、にっこりとルナールが笑った。
「話が戻るようでもありますが、ですから、そこまで高度な〈治癒術〉の修行に集中するのでなく、〈火〉の理解、〈火〉との意志の疎通に目を向けてみても、〈水〉の術士にとって損は無いんですよ、アサギ君。それは決して脇道に逸れることではありません」
「――」
「フリュスというお家の生まれであることを差し引いても、元々どちらかと云えば女性と相性が良い〈水〉と、男性でありながら〈友〉になれたアサギ君は、才能と、努力を嫌がらない性格に恵まれているということです。〈火〉の理解も貴方に備われば、私より優れた術士になれるでしょう」
照れたのか、困ったように小首を傾げるアサギに、ルナールは「お世辞でもないんですよ」と続けた。
「実際、具体的に例を挙げてみますとね。先ほど云いましたが、基本の〈氷結〉と逆の術は、〈水〉の術式の修行に於いて、初歩・基本とはされていないでしょう? つまり、氷を水にする」
「あ……はい。『段階』に制限は無く、〈氷結〉の『次』くらいではあるけれど、その術が扱えるためには、強い意志を持って〈マスター〉を目指すくらいの『心構え』は持たねばならないと……、〈友〉に満足して終わるようでは得られるものでない、と教えられています」
「そうですね、〈マスター〉たる私も、それは〈水〉の術士として完全に極めてはいませんし」
ルナールが大きく頷いてから続けた。
「そこが、〈水〉というより『熱量』の調整、という訳です――ですが、難しいからといって避けているよりは……『水の基本術式に入っていないということは、水の術士に必須の術ではないのだろう』と思って終わるよりは、それが出来た方が良い具体的な場面もあるでしょう。例えばアサギ君が後方支援の術士として隊に入ったとします」
「は、はい」




