【day1】-[1]-(2)
鐘楼から、鐘の音が聞こえる。
まずは、時報としての音だ。
城下に響く、朝の鐘。これを目覚ましにしている者も居れば、仕事を開始する合図にしている者も居るだろう。
朝の光を窓越しに見つめながら、耳を澄ます。
ああ……
真ん中の鐘楼が告げる時刻の後、西の鐘楼が、低い鐘を鳴らした。少しの間を置いて、東の鐘楼が、同じく低い音を響かせる。
目を閉じてしみじみとその音を聞き、聞こえなくなってから、机の上にある「黒表紙の手帳」を手に取り、パラパラと捲った。
一番新しいページに、一番新しい記述がある。
昔の「サウザー統治領」、一応その「領主」であったタオ・サウザーは、現在「トウセル」と呼ばれる街である「サウザー領本部・直轄地」の「城」の執務室に居た――そもそも地理的な位置も随分変わった「トウセル」に今あるのは「サウザーのお屋敷」と呼ばれている程度の館だが、当時はまだ「城」と云える規模の建築物があった。
その頃はまだ「縄張り・その境界」を意味する言葉だった〈国境〉に於ける陸上戦の状況報告と、歴史的に一応そういう関係だったという意味でそう云うべきであれば〈敵国〉の現況情報を纏めている最中であったろうか。朝食後、午前中に予定されている大きな政務のうちの一つだった。
唐突に執務室のドアが開けられた。ノックも、「失礼します」の声も無く、入って来たのは〈情報部〉所属の中堅技師だ。〈情報部〉の部長であるところの壮年男性は、ここ数日の〈敵国〉の動向を領主に伝えている最中であり、部下の不作法に顔をしかめ、「何事だ! 無礼だぞ、グロウ」と叱責する声を出した。
青ざめた技師は上司からの叱責に「申し訳ありません」と頭を下げることは無く、真正面のデスクについたタオ・サウザーへ震える声で直接報告した。
「タオ様――、――シティ・オブ・チューズン・フロリア・シティズンより、我がサウザー領へ、かっ……『核』が。『核の矢』が向けられております」
タオ・サウザーが眉間に皺を寄せ、目を細めた。
情報部の部長と〈軍〉参謀長が「何だと!」と叫んだ。
「確かか! 憶測が許されることではないぞ」
情報部長イムファルが、へなへなと腰が砕けそうになっている部下の肩を掴んで怒鳴ると、グロウ技師は、残念ながら大きく頷く。
「わ、我が領のレーダーと、サヴァナからご伝授頂きました〈風感識〉魔法装置の風声が、きゅっ……九十パーセント以上の確率で――」
その時、開けたままになっていたドアの向こう、廊下の右と左から、どたどた、ぱたぱた、と人の走る足音が聞こえてきた。
「タオ! イー・ルの基地で、『核弾頭』の準備が始まった! サヴァナの交戦域でイー・ル軍が後退を始めてる!」
「タオ先生、た、大変です、エグメリーク王国の基地から、ヴィレ・フリュスに向かって、かっ――『核』を、搭載した、戦闘機が――」
便宜上、それしか言葉が無いということならば〈同盟〉であるサヴァナ・アルチザン・ギルドとヴィレ・フリュスにも、それぞれの〈敵〉となっている〈国〉からの攻撃準備がなされているらしい。CFC、イー・ル、エグメリーク……それらも、そう云って良いならば〈同盟国〉同士であり、こちらからして共通の〈敵〉である。
ただし、あちらの同盟とこちらの同盟に違いがあるとすれば、あちらは、機を見てお互いの足下をすくう気が満々であるということだ。こちらの同盟が互いの「防衛」にだけ動いているのに対し、相手は「侵略」「征服」のために動いている。よって、こちらの同盟は共食いをしないがあちらの同盟は共食いをする可能性がある。恐らくそういう見解をこちらが口にしようものなら、向こうは気を悪くするのだろうが、こちらは向こうが攻撃を止めさえすれば戦闘・抵抗をしないつもりであるのに対し、向こうはこちらが降伏して支配下に入れば攻撃を止めるのだろう点で、やっぱり目的は「侵略」の筈なのだ。
さて、客分も各々、己が故郷の危機の報告を受けた、あるいは情報を入れたようだ。前者を報告してきたのは、サヴァナ・アルチザン・ギルドの若手技師であるリオン・エアロ、後者は、セイント・ヴィレ・フリュス一族当主の末弟、アサギ・ヴィレ・フリュス。
修行と情報交換の使者を兼ねての来訪であったはずが……。若い才能を、〈同盟〉とは云え異国で散らさす訳にはいかない。
「かくなるうえはかく、ってかい」
不謹慎極まりない上使い古されて笑えない駄洒落だが、こうも連中が破れかぶれでは、こちらは真剣に笑い飛ばしてやりたくなるというものだ。
タオ・サウザーは駄洒落を云いつつも顔は顰め、がたんと乱暴な音をたてて立ち上がる。
部屋の隅に設えたクローゼットを開いて、シャツにネクタイという「領主」としての執務服の上へ、「魔術士」としての正装と云って良いだろう黒い長衣を纏い、長年愛用している、己に最も相性の良かった樫の木の杖を握る。
「グロウ君、着弾時刻の予測はついているのか」
「早くて――今から、四時間ほど後、遅くて、三十二時間……、というところで、ございます」
「……。イムファル部長は憶測を許さぬと申されたが、そこには随分開きが出たな。その情報は確かなのか」
タオ・サウザーは少々表情を緩めた。険を帯びていた目の光が和らぎ、苦笑の表情でグロウ技師に首を傾げる。
イムファル情報部長が、入れ替わりに険しい表情でグロウ技師の顔を見据えた。技師は悲しそうに眉を下げてゆるゆると首を振る。
「発射台の準備と燃料の注入が始まりましたことは明らかです。また、その指令が現市長――CFC与党アスール新民党本部党首室より発せられたことも確認出来ており……。準備が始まった以上は燃料の『鮮度』を考え、最長で三十時間以内には発射致しませんとパアになってしまいますが、準備完了の後、それ以内でいつ発射するかは市長の胸先三寸――ということで開きが出ております」
「あー、そうか」
「勿論、その間、我々と致しましても情報収集に努めてまいりますが。――最も望むべくは、『やっぱりやめた』と市長が云い出すことでしょうが、そんな無駄遣いも致しますまい」
「こっちも同じだ、タオ。サヴァナの前線でイー・ルが後退し始めたのは、本丸からその指令が出されたからだ。……俺達のギルドも国境を持たない遊牧民のようなもんだし、恐らく避難は始めてるんだろうが、向こうの大将がいつ『ボタン』押すのかは理解出来ないから、避難の方向と期限はイマイチ定まってないらしい」
サヴァナの若者が、吐き捨てるように補足した。ヴィレ・フリュスの場合は、戦闘機が飛んできているということだから、それを追尾していればもう少し正確な予想時刻が解りそうだが、この後天候がどう変化するかは判らない――戦闘機の運転手がそれを予測出来る魔術士や天気予報士とは限らない――。無人機による自動攻撃、あるいは遠隔操作だとしても……、ともすると、ヴィレ・フリュスに投下不可能となったら、サウザーかサヴァナに向かう可能性もあるのか?
やれやれ、と首を振って、タオ・サウザーは、厳粛な声で取りあえず、己が領の幹部に告げた。
「人々を城市壁内に入れよ。老人と婦女と子供と傷病人は優先して城へ入れよ。また城市内の宿屋・飯屋についても同様、開放して老人と子供から保護するようふれよ。避難所指定された城壁内の〈教育施設〉の水と食料の備蓄を早急に確認せよ。不足があれば至急補給を回せ。城壁内の病院・診療所、按摩に至るまで、病人と怪我人に備えて待機せよとふれよ。城内に入った現役の産婆、あるいは経験者は名乗りを挙げるよう通達し、控え室を特に用意して、職員にはその位置を周知とせよ。――城壁に入るが間に合わぬ可能性のある農夫・牧夫・旅人には、水と食料を備えて一刻も早く屋内、あるいは最寄りの壕へ、最悪、洞窟や森の窪地等でも構わぬ、籠もるようふれよ。また、各自治体首長、町会長自治区長、主要民間団体幹部にも城からの伝達と呼び出しに備えて〈伝信〉の道具を常に携帯すること、私有しておらぬ者には無償にて貸与するを至急通達せよ」
畏まりました、とキッパリ答えて、情報部長が執務室を足早に出て行く。
タオ・サウザーはグロウ技師に向き直り、
「着弾点の予測はついているか」
「……CFCも消耗しておるらしく、矢の出来自体がどうもお粗末になったようですから、却って座標が割り出しにくいのですが…。大方のところは」
グロウ技師は曖昧に頷く。それで?とタオ・サウザーが訊ねると
「城より西南西に――グロスの丘を越えて平原に入りますな――四十キロの地点より半径十~二十キロの範囲……というところです」
「――そうか。着弾すれば、城壁内に避難してても全くの無傷とはいかんな…。が、グロス平原の中ってのは間違い無いか?」
「はい、国境サウバー山系と森を越え、城壁までは届かない――だろうことは」
「そうか。では、テリーイン」
と今度は軍参謀長に顔を向けた。
「早急に通達を。国境防衛部隊は即座に戦闘を終了し、兵糧を確認・確保して壕に籠もれ。サウバー山系に壕は確保しておるな? 自然の洞窟や鍾乳洞の位置も把握してる筈だ、直近の壕や洞窟へ一刻も早く避難せよ」
「は……、しかし、戦闘を終了して退避となれば、CFCや諸国の前線がこちらへ進行する恐れがありますが」
「それは無いよ。仮にあっても俺が知るかよ。こっち来るなら来たで、手前んちの兵器で死ねって話だろ」
領主は素っ気ない声色で云い、参謀は唖然とした後でぎこちなく苦笑し、頷いた。
サヴァナのイー・ル軍は後退を始めていると云う。ならば、CFCの陸上戦線もそろそろ後退してしかるべきなのだ。参謀としてそれを直ぐに予測しなかったことが少々恥ずかしかった。――万が一、己の予想通りこちらに進軍してくるとしたら……、本国より捨て駒とされた可哀想な兵隊達だということになるが、それをどうしてこちらが何とかしてやる必要があるのか?
参謀は、畏まりました、と答えて、最高司令官である領主の命令を通信するため執務室を出て行った。




