【day1】-[5]-(4)
――アサギの傍らで何となく手持ちぶさたそうに、もじもじしていたリオンを、サンハルが目を細めて見ていた。
ルナールが「それじゃあ、二人ともゆっくりお休みなさい」と云ったが、サンハルは「ちょっと待て」と止める。
「ルナール、リオン君もちょっと診てやれ。――ん~……いや、そうじゃないな…」
独りごちたサンハルがリオンの目の前に立った。
「なっなんすか」とリオンは背筋を伸ばして、「やっぱり、このおっさんは怖いというか、緊張する」と胸のうちで呟く。それが表情に出ていたらしく、サンハルは苦笑して「そう怖がるなよ」と小首を傾げた。
「リオン、君の方は、眠れそうにない感じじゃないか?」
「う……」
リオンは喉で唸って、頷くというより俯くような風情で首を縦に動かす。サンハルは「やっぱりなあ」と呟いた。
――ずっと傍に居たのにリオンの変調に気付かなかったことへ申し訳ない気分になったのやら、アサギが眉をハの字にしてリオンの横顔を眺めている。ルナールがそれに気付いて苦笑した。
「アサギ君がそんな顔をしなくても良くてよ。私たちには直ぐに気付かれないの、一見元気ですから」
〈火〉のマスターであるサンハルだから気付くような異変――ということか。アサギはルナールに向かって「はあ」と小さく頷いた。
しかし、ルナールもサンハルに云われて、リオンの状態に気付いたようだ。
リオンが今のところ自分に苦手意識を持っているらしいことは、サンハルも気付いているので、
「二・三日寝不足で居るのと、一瞬怖い思いして今日熟睡するの、どっちがいい?」
とリオンの意志を問うた。
リオンが「究極の選択だなあ…」と顔を天井に向けて溜息をつく。するとアサギが、微かに窘める口調で
「究極でもないですよ。今日はちゃんと寝なくちゃだめです」
と、リオンの二の腕を軽く叩きながら云った。
リオンは「そうなんだろうけど」と云いたそうに、また溜息をついた。
アサギがサンハルとルナールの二人に視線を巡らせて、
「あの、参考までに…聞いて構いませんか、サンハルさんとルナールさんは、具体的に何処でリオン君の不調が分かったのです?」
〈水〉の〈術〉には特に「治療」「癒やし」の系統が多い。その魔法を「使える」ためには、診る目も必要だ。一日一緒に居て自分は気付かなかった、〈マスター〉である先達は何を以てそれに気付いたのか。
「勉強熱心だな」
サンハルが微笑を浮かべてまずアサギに云った。それから、「どっちが答える?」と云うふうにルナールと視線を交わし、先に指摘したサンハルが、ということになったのか、彼が口を開く。
「具体的に、って云われるとちょっと困るな。誰にでも分かるように云えば、『経験の差による勘』としか云いようがないのかもしれないが」
とまず肩を竦めてみせてから、続けた。
「本当のところどんな感覚があるかは、それこそリオン君本人しか分からないが……。全身の産毛が逆立ってそよいでるみたいな、むず痒さというか擽ったさというか、そんな感じがあるんじゃないか?」
サンハルがそう云うと、リオンは無言だったが、否定もせずにもじもじと肩を揺らした。
「わーっと大声を出しながら力尽きるまで疾走したい気分でもあるだろう。――避難民が多く入ってる今、城でそんなことされちゃ迷惑極まりないし、外に出てそれをやると、警備隊からとっ捕まるかもしれないからな」
今度は、図星というふうにリオンは俯き、サンハルは苦笑した。
ふむ……と真面目に頷くアサギの顔の横に、ルナールが口を寄せる。彼の頬に添えるように手の壁を立てて耳打ちした。
「実は、男性が暴走しかねない感じ、とも云えるのよ。放っておいたらどんなスキャンダルが城内で起きてしまうことか――でも、本人にその自覚が無いようだから、それは安心なんですけど」
アサギが「えっ」というふうに目を見開いた後で、頬を染めた。ルナールに「ほんとですか」と云うような視線を向けると、彼女も苦笑して小首を傾げてみせる。
「――リオン君は〈友〉であることを差し引いても、元々〈風〉の気質が強いが――、今は、それに煽られて『生命』の炎は勢いづいてて、『魂』の火は吹き消されそうに小さくなっている、とでもいうかな。要するにバランスが悪い。俺が『魂の火』の方を補給してやっても構わないんだが、それはそれで眠れなくなるかもしれない。かと云って、ルナールが〈水〉で『生命の火』の方を小さくするのも、気分が陰鬱になって、今度は悪い夢を見そうだ。だから、少し〈風〉の方を燃やす。――怖いか痛いかの目を見るってのはそういうことだ」
アサギから質問がやってきたので、主に彼に向かってサンハルは解説したが、最後はリオンにも云い聞かせるように視線を向けた。
アサギは再び「成る程」と胸の内で呟く。そう云えば、師もグロスの丘で「バランスが悪い」と云っていたか……、触診や〈魔法〉を使わず、傍らに立っただけでそれが分かるのが、「経験の差」ということなのか……。
俯き加減のリオンが上目遣いになってサンハルへ云う。
「……俺、そういう『均衡』は自分でも良く判ってないんだけど、〈風〉の〈マスター〉なら、自分で自分の〈風〉をコントロールも出来る、ってことなの? わざわざ〈火〉の術士から燃やして貰わなくても」
「そうだな、健康を保ち精進を怠らないなら、ある程度出来る筈だな。俺は〈火〉だが、〈風〉や〈水〉に頼らなくても大方コントロール出来るし」
サンハルがニッと笑う。――アサギには「勉強熱心」だと言葉を掛けたが、リオンの方も今、「向上心」に満ちているようだ。
では良いか?と云うふうに、サンハルがリオンに手の平を翳して見せると、リオンはブルッと肩を奮わせた後、少々脚を広げて踏ん張った。
「そう緊張するな。ルナールにもフォローさせるから。――アサギ君も、リオンの手を取っていなさい、具体的な術の内容は分かるまいが、『均衡』を感知するための経験にはなる」
隊長の言葉にルナールがこくりと頷いて、アサギが立っているのとは反対側でサンハルの隣りに立ち、リオンの手をそっと握った。リオンが少々ふて腐れたような声を出す。
「俺、こんな廊下の真ん中で軽く怖い思いして、アサギの実習サンプルになるんすか?」
サンハルがくるっと周囲に視線を巡らせて苦笑する。
「すぐ終わる。君が失神するようなことはないから、廊下でも問題は無いな。――荒療治ではあるが、アサギ君だけでなく、君にとっても無駄な経験にはなるまい」
「……」
やはりリオンはふて腐れたように口を尖らせてから、「お願いしやっす」と吐き捨てた。
ふ、と目を細めて、サンハルが翳した右手をリオンの鳩尾辺りにピタリと当てた。そして、クッと押し込む。
リオンが「うぃっ」と妙な声を出し、一瞬腰を引いて体を折り曲げる。ただ手の平を少し押しつけられただけなのに拳で殴られたかのようだったので、傍から見ていただけだと「大げさな」と云いたくなる仕草と声だった。だが、アサギも思わず驚いて、リオンの手をギュッと握り締めてしまった。
ルナールは、リオンの手の平を優しく二三度撫でてから直ぐに離した。
「……アサギ、痛いよ、手ェ離して」
リオンが「ふうっ」と大きく息を吐いた後、自分の手を握り締めたままのアサギに云った。「あ、ああ、ごめんなさい」と慌てた声で云って、アサギは手の力を緩めた後、そっと離した。
まずルナールがアサギに、「何か分かった?」と訊いてみると、
「な、何をなさったのか、〈術〉としては分からないですけど、前と後で、……何と云うか、『安定感』が変わった感じがするのは、分かりました。――逆さになってた三角形が裏返ったっていうか」
サンハルが何事か成した後と比べてみれば、前は確かに「不安定」だったと云えるかもしれない。そうか、「バランス」……こういう感じか、とアサギが頷く。
リオンの方は首を左右に振り、「あああ」と気怠い響きの溜息をついた。
「逆立ってたのが元に戻ったっていうより、全身の毛が燃えたと思った。……なってないけど」
肘を曲げて自分の腕を見、もう片方の手で頭を撫でる。金色だった筈の体毛が茶色く焦げている訳でもなく残っていた。勿論、一瞬のうちに禿頭になってもいない。
「気分はどうなんですか?」
アサギが問うと、リオンは曖昧に首を傾げた。
「まだ、すっきりしたって実感はないけど、まあ……遠吠えして走り回りたい気分は、取りあえず、弱くなってるかな」
「それじゃあ、今度こそお休みなさい」
ルナールがにっこりと二人に微笑みかける。
「明日は魔術士隊の訓練は無いから、ゆっくり休んで」
「分かりました。ありがとうございました、お休みなさい」
アサギが二人にそう云ってお辞儀をする。リオンは痛い目、あるいは怖い目を見た分、素直に挨拶する気分では無かったのか――それこそ性格的には素直と云えそうだ――ふて腐れた顔のままペコッと頭だけ動かした。
廊下を歩いて行く若者の背中を見送り、サンハルがルナールに問う。
「そういや、ルナール。君、チョウの顔は見たか?」
「……そういえば、まだ見てませんね。タオ様や彼らをクルマから下ろして先に庫に行ったのですよね、食事はしたのかしら」
頬に手を当てて小首を傾げ、
「ケンとギンの様子に問題は無さそうでしたから、チョウも異状は無いと思いますが……。彼も診た方が良いでしょうか?」
「いや、その必要があるなら、もう自分で治癒系の誰かに頼むか、医務室に行くかしてるだろう。――休んでしまう前に、チョウからも直接、話を聞いておこうかと思ってな」
「ああ……でしたら、早く寮へ向かわれた方が良いですね。同行していたアサギ君の様子からするに、相当疲れはあるはずです。それに、夕食の時、ケンが随分眠そうではありましたもの」
早めに寝入ってしまうかもしれない、という意味でルナールが云うと、サンハルが「そうか」と相づちを打つ。
「それじゃあ、俺は先に戻る。――君はテリーインと打ち合わせて明日のスピーチでも考えたらいい」
ぽん、とルナールの肩を叩いて、サンハルが大股に魔術士隊棟へ戻っていった。――からかうつもりで云ったのか本気で云ったのか知れないが、随分あっさりとプレッシャーを掛けてくれるものだ。ルナールは苦笑する。
しかし、スピーチは兎も角、明日以降のことを考えれば、準備が必要なことには違い無い。ここ半年ほどの内政資料を見せて貰うべく、ルナールは総務部室へ向かうことにした。




