【day1】-[3]-(7)
「――俺達が前進している正にその時、正面の『あの筋』から追加の百鬼夜行が出てくるようなら、それはそれで――その瞬間を『確認することが出来る』と云える。グロスの丘では、ただ百鬼夜行が火の巨人に付き従う光景を見ただけだが、既にその可能性を考えている俺達は、アレが出てくる瞬間の、気配、〈精霊〉の様子、各〝層〟の異状――そういった『状況』を調べることが出来るんだぞ。……高揚しないか? 俺なんか、その興奮のせいで恐怖心なんか麻痺しちゃうね」
おどけた声色でタオが云うと、リオンは苦笑し、アサギは相変わらず戸惑いの表情を浮かべつつも「はぁ…」と頷いた。チョウは呆れた顔をした後で、リオンと同じように苦笑いを見せる。
つまり、冷静にその時の全ての状況を確認して覚えていろ――恐怖なんかしてるよりも、この状況に歓喜するほどの好奇心を奮わせろ、と云っているのだ――。
タオは表情を引き締め、「いいか」と指を立てて厳かに云った。
「動揺はあるだろうが――考えてみれば、サヴァナとフリュスにも、グロスの丘で見たような『筋』は出たって云うんだから、それ以外のところにも出て不思議じゃない。そう思え」
随分キッパリとした命令形で云われて、若者達はたじろぐ。
「――そう思っていれば、落ち着くことが出来る。逆に、そう思っていないと、もしかしてまた他のところでコレを見たときに、いちいち新鮮な気分でビビる羽目になるだろ」
三者三様、色んな感情の入り交じった顔をお互いに見合わせてから、若者達は師匠に頷いてみせた。
「あの『筋』が現在、世界中の何処に幾つあろうが、『筋』という一種類の謎だと思ってろ。その上で、今俺達が直面している目の前の『筋』に立ち向かうぞ。今、俺達があの『筋』に対して何らかの理解、対処を出来るなら、北側――こっちの『筋』や、フリュス、サヴァナの方にも、それが通用するのかもしれないんだ」
確認する口調でタオは云い、若者達は再び頷く。よし、とタオも力強く頷き返してからリオンに顔を向け、
「では、リオン――」
「アレの『高度』か『距離』を計れってんだろ、それが不可能でも、このクルマは進めていいかどうか。任せろ」
皆まで云うな、とでも云いたそうにリオンはタオの言葉を遮って声を張ると、「凧」を握りしめて腰を浮かせ、窓枠に手と足をかけた。鉄棒に手を突っ張って身を浮かす要領でするりと身を乗り出し、――車中に残った三人の頭上には「どかっ」と音が降ってきた。
「チョウ、『耳栓』は填めてないだろうな、今は余計な情報を耳に入れられちゃ困るからな、君は〈運転〉に集中してくれ。アサギ、チョウが少し緊張を強いられることになる、俺の声は聞こえる程度、緩くチョウの耳を塞いでてくれ」
チョウは前に向き直り、再び舵を握った。アサギが「解りました」と頷き、チョウの後ろから、そっと彼の耳を覆う。
「チョウ、聞こえるか」
アサギが完全に耳を塞いでいないかどうか、確認するつもりでタオが問うと、チョウが頷いた。
「良し。チョウ――直ぐに停止出来る速度で走れ。俺かリオンが止まれと云ったら直ぐに止まれ」
タオは窓枠に腰掛ける格好で半身を外に出し、前方に目を向けてチョウに云った。タオに見えていないが、チョウはやはり頷く。
タオが屋根の上のリオンに云う。
「リオン、聞こえてたか。止めるべき時には大声で叫べよ」
「解った」
リオンは手にしていた凧を、思い切り腕を振って前方に飛ばした。凧は、ほんの少しだけ角度を付けて、リオンの真ん前に浮かんでいた。糸を挟んでリオンの左手と凧が繋がり、右手には、ひごを摘んでいる。やはり前方にそれを突き出して、しっかと「筋」を見据えた。
「チョウ、出せ」
タオが端的に云う。チョウが頷き、ゆるゆるとクルマを動かし始めた。直ぐに止まれる速度でなくてはいけない、しかし、今は下り坂だ。緊張を強いられることになる、とは尤もである、アサギはチョウの耳を塞ぎつつ、彼の体を巡る〝水の流れ〟にも意識を研ぎ澄ませていた。
じわじわとクルマが前に動き始めると――それに合わせて、前方の筋は、本当に「微かに」だが、長く――大きくなっていく。「近づいているのか?」と自然に感じてしまった。四人全員に緊張が走る。ということは――、前方のあの「筋」は、北側の「筋」よりも、低い位置にあるのかもしれない。
クルマが動いているのにも関わらず、リオンの凧は相変わらず前方に浮かんでいる。リオンの表情は――緊張というより、冷徹なまま変わらず、じっと前を見据えていた。
タオも前方を見据え、チョウへ指示するタイミングを計っていた。
じりじりと……クルマが動いていく。緩やかで長い下り坂を半分ほど過ぎた、まだ――「筋」は大きくなっていく。
――坂があと四分の一で終わり平地に入る……その時、
「チョウ、止まれ!」
タオが叫んだ。間髪入れず、チョウは〈ブレーキ〉を掛ける。キュッ、とクルマが停止して、タオとアサギは、少しばかり前にのめった。
タオが屋根に立っているリオンを見上げる。リオンは前を見据えたままだ。タオは眉を寄せている。
「おい、リオン――」
渋い声でタオが名を呼ぶと、リオンは彼を見下ろし――ニッと笑った。
「俺、チキン・レースでなら、あんたに勝てるのかな」
リオンは笑ってそんなことを云った。タオが一層渋面を作る。
先ほどと逆の動作、リオンは屋根に手を掛けてするりと、窓枠から車内に飛び込んできた。
リオンは相変わらずにやにやと笑いつつ、タオに、
「あんた、意外と臆病だな」
そんなことを云った。今度はタオは渋面でなく苦笑を浮かべて、
「慎重と云え」
そう返した。臆病などという揶揄に、顔をしかめたのはチョウの方だった。
「あの……」
チョウの耳から手を離し、アサギもベンチに戻って、タオとリオンの両方に視線を向けた。
「リオン、おまえまさか、チキン・レースで俺と張り合ってたつもりなら、場違いだぞ?」
説教口調で無く、確認するつもりでタオが云うと、リオンはにやにや笑いを苦笑に変えて手を振った。
「勿論さ、――坂の半分くらいのところで、もう大丈夫っぽいとは思ってたんだけどな。俺は、坂を下りきるまでは、最終確認のつもりで走って貰おうかなと思ってただけ。あんたはそれが我慢出来なかったのか、それとも手前、坂半分の地点が判んなかったのかなって思ったら、ちょっと勝った気になった」
肩を竦めて舌を出したリオンに、タオも苦笑して「やれやれ」と云うふうに首を振った。
リオンが不安げなアサギに向かって力強く頷いた。チョウが振り向いて、リオンに険しい表情を見せている。リオンは頭を掻きながら「すんません」と云った。
チョウにとってタオは、尊敬する師匠であり仕えるべき主君である。リオンの軽々しい揶揄と、もしかして領主を危険に晒したのかもしれない対抗心は、チョウにとって許容できるものではなかった。リオンもそんなチョウの無言の叱責に気付いて素直に謝った。
チョウも「やれやれ」というふうに息を吐いた後、タオへ、
「では……このまま戻って構わないのですか。あれは……このクルマの『前』にある訳では無いと?」
「うん。俺達が認識する次元で具体的な『高度』ってのが判ったわけでは、残念ながら無いが、このまま進んでっても特に問題は無いだろうことだけは判った。だろ? リオン」
タオがリオンに顔を向ける。リオンが頷いて、
「空と云える高度にあの筋があるのかどうかは、つくづく悔しいけど、判らない。だけど、俺達が今居るこの高さの空間に、何の異常も無いことは確かだよ。俺達が知っている〈風〉だけが吹いている。俺達が知らない〈風〉または〈凪〉は、無い」
キッパリと云う。ふうとチョウが再び息をついて、「そうですか」と頷いた。それで、再び緩やかにクルマを発進させたが、タオが、「ああ、でも」と声を上げる。
「この道を素直に行ったら、正門から入ることになるな。それはちょっと避けよう。俺達が城の状況を知る前に市民へ姿を見せるのは、ちょっと混乱になりそうだ」
「城の裏から入りますか? では、〈通信〉を……」
チョウはクルマを止め、耳を覆った。が、タオがそれを止める。
「ここまで来たらフツーに〈無線〉で良いよ、その方が運転しながらでも出来るだろう。この程度のこと傍受されてたって困りゃせん。余計な時間と力使うな」
「はあ……」
チョウは戸惑いつつも、クルマを動かしながら〈無線〉の〈マイク〉を片手に持ち、スイッチを入れる。
〈マイク〉のコードが連なっている網目状の受信機から、カカカッという音の後に、抑揚の無い「窓は開いた」という声が聞こえた。
「イムファルの声だな、ラッキー」
タオが少し浮かれた声でそんな独り言を云った。部下の技師よりも最高責任者と直接繋がった方が、伝言ゲームにならずに済む。
チョウがそんな領主に苦笑した後、同じく抑揚の無い硬質な声でマイクに呟く。
「旅が終わる。渦を崇めよ」
領主が北側から帰還する、という意味の暗号だ。少々ざわめきが聞こえる間があって、向こう――イムファルからの返答は、
「了解。愚者は正午に崖を臨み、戦車は夏至の日没に散る」
だった。これは、開けておく城の扉の位置と、今乗っている運搬車を納めるべき庫の位置を指している。
〈同盟〉で共通の暗号じゃないので、アサギとリオンには意味が分からない――もしかして〝タロット〟のモチーフを使っているのかなと、そのくらいは推測出来たけれども――。サウザーでは〈軍〉の通信に随分と詩的な言葉を使うのだな、とだけ思った。




