Wの秘匿 Sheet3:隠されたシート
「……おいエル、Sheet2なんて無いぞ。」
アキラの問いかけに反応したのは、むしろ男の方だった。
「ほら、やっぱり変でしょう?ロクに使えもしないファイル押し付けて辞めてったんですよ、アイツは!」
男はどこか勝ち誇ったような口調で声を荒げた。
一方で、感情的な男とは対照的にエルは冷静そのものだった。カウンター下からノートPCを引っ張り出すと、起動させながらアキラに言った。
「無いんじゃなくて、非表示になっているだけだと思うよ。」
「あぁ、そうか。すっかり忘れてたわ。」
アキラは失言を挽回するべく、解説役を買って出た。 まずは新規ファイルを作成し、シートタブ横の「+」でSheet2を作る。その上で、そのシートを非表示にする手順を実演する。準備が整うと、PCのモニターを男の方に向けて説明を始めた。
「これ見てください。今、Sheet1しか無いでしょ。でもシートタブを右クリックしてメニューを出すと……」
「ほら、ここに"再表示"ってあります。これを選択すると……」
アキラが操作すると、「再表示」を促す指示が画面に現れた。
「これで"OK"押したら完了。簡単でしょ?」 男は紙製コースターの裏にメモを書き始めた。その様子を見たアキラは、「テーブルを濡らしたくないから置いてるのに……」と内心苦笑しつつ、新しいコースターを差し出した。
「シートがあることは分かりました。でも空白になるのはおかしいじゃないですか?」
男が疑問をぶつける。
「えぇ、それは確かに。でも、そのシートの中身を見ないことには何とも言えませんね。」
アキラが答える。「ファイルをご持参いただければ分かるんですが……」
「だから、それはコンプライアンス違反だから駄目ですって。」
男は再度そう告げた。
「そうですか……では、社内の別のどなたかにご相談されるしかありませんね。その上で解決できない場合には、上司の方にファイルを持ち出せないか打診してみてください。」
アキラはそう提案しながらエルの方を見る。エルは小さく頷きながら、その提案に賛同していることを示した。
実際のファイルが見られない状況では、それ以上の対応は難しいようだった。
後日――薔薇筆と育美が来店した折、その経緯について話していると例の男が現れた。ただし今回は独りではなく、一人の女性と同伴だった。
女性は黒のビジネスカジュアルに身を包み、大きめなショルダーバッグを肩から掛けていた。仕事帰りのキャリアウーマンといった風貌だ。"バリキャリ"という表現はもう死語だろうか?端的に言えばそんな印象だった。
「初めまして。同じ会社の竜崎と申します。」
挨拶とともに彼女はアキラへ名刺を差し出した。
エルがもらう段になり、慌ててカウンター下から店の名刺を取り出すアキラ。
「ここの店主、アキラと申します。どうぞお掛けください。」
そんなやり取りを見ていた男――亀田も今さらながら名刺を差し出してきた。その名刺には役職が記載されておらず、一方で竜崎には課長職が付いている。つまり彼女が亀田の上司ということだ。 二人が腰掛けるとカウンター席には右から育美・薔薇筆、一席空けて亀田・竜崎という並びになった。ドリンクオーダーもそこそこに亀田が切り出す。
「先日教わった通りにシートを表示しようとしましたが、メニューの再表示が選択できません。一体どうなってるんですか?」
若干こちら側に非があるような物言いだったが、それを制したのは竜崎だった。
「亀田さん、その言い草はないでしょう。すみませんアキラさん、エルさん。事が上手く進まなくて彼もイライラしているんです。」
「えぇまぁ、そういうお話を聞くのもウチらの仕事ですからお気になさらず。それよりも、そのファイルについてですが……」
アキラは言葉を続けながら竜崎を見る。「実際にファイルをご持参いただければ正確な状況がお伝えできると思います。」
竜崎は頷きながらショルダーバッグからノートPCを取り出した。そして静かな声で言う。
「そのために今日は持参してきました。一度見ていただけないでしょうか?」