第1章④
あぁ、キスで呪いを解いてくれた王子が、好きになれそうにない場合どうしたらいいのだろうか。
童話では当たり前のようにお互いに好意を持っていて、二人が結婚することが当たり前だった。当たり前すぎて何の疑問も持たなかったのだ。でも、自分の身に起きてみて思う、如何にそれが不自然なことなのかと。
王子側は自ら助けようと動く側だから好意があることは分かる。じゃあお姫様側は? 眠っていて意識がなく、どんな相手がキスをしてくるのかも分からないのだ。
冷静に考え始めると、冷や汗がこれでもかと背中を伝ってくる。たくさんの顔も名前も知らない人達が、フレイアにキスをしようとしていたのだ。寝ているフレイアに拒否権はない。されるがまま、運命に選ばれた相手とやらに初めてのキスを奪われた。
せめて元婚約者のカルロスであれば良かったのに。実際は、目の前で尊敬出来ない言葉を吐くパトリシオがフレイアの唇を奪ったのだ。今まではキスをされた記憶がないから実感が無く、あまりリアルに考えたことも無かったけれど。こんな残念な人にキスをされてしまったのかと思うと、すごく嫌だなと思った。そして、勝手にキスを奪ったこのパトリシオと婚約して、ゆくゆくは結婚するのかと思うと今から憂鬱だ。
それでも、心配を掛けた両親のことを考えると、婚約したくないと言えそうにない。二十年間の両親の心労を思うと、望みをできうる限り叶えてあげたいと思ってしまうからだ。
また、それは娘としての気持ちだが、王女としても国のためになるなら婚約をすべきだとも思う。呪いを解いた運命の相手が偶然にも他国の王子だった。身分的にもつりあっているし、婚約する理由もこれ以上無いほど明確だ。王位を継承する唯一の王女の婿候補として誰も反対などしないだろう。それくらい、フレイアとパトリシオが婚約することは自然な流れだと言える。フレイアさえ自分の感情を飲み込めさえすればだが。
パトリシオに対しての不信感から、フレイアの口は重くなっていく。漂い始めた沈黙を振り払おうと思ったのか、パトリシオが陽気な声を出した。
「そうだ。俺の部下を紹介しますね」
パトリシオは部屋の隅に控えていた黒い軍服の青年を手招きした。青年はきびきびとした歩き方でフレイア達の前に来ると、カツンと音を立てて足をそろえる。その精錬された仕草に、騎士として良く訓練されているのだなと感じた。
「こいつはアーロンです。今回連れてきた騎士団の一員で、真面目で腕も立つ奴ですよ」
パトリシオの紹介に、フレイアは立ち上がりアーロンに向き合う。面と向かうと背が高い。パトリシオより高いかもしれない。体格も騎士らしく引き締まっており細身ではあるが軟弱さはまったく感じなかった。
年齢はパトリシオよりも少し上だろうか。金髪を後ろで束ね、毛先は肩に流れている。長い髪が護衛の邪魔にならないように括っているのだろう。意志の強そうなはっきりとした眉毛、瞳は切れ長で、口はきゅっと硬く閉じられている。まるで余計なことは言わないと決意しているかのように。
真面目そうな騎士だなとフレイアは思った。上司であるパトリシオの軽薄な印象とは真逆だ。
「フレイアです。あの……もしや、目覚めたときにパトリシオ様と一緒にいた方ですか?」
フレイアの頭の中にぼんやりとした記憶が蘇る。あの場にはフレイアの横にいたパトリシオと、もう一人黒い軍服の青年がいた。顔立ちまではっきりとは覚えていないけれど、黒い軍服姿を見て彼なのではと思った。
「はい」
返事のみ。それ以上は何も言わない。
「ではあなたもわたくしの呪いを解こうと、パトリシオ様に同行してくださったのですね。ありがとうございます」
「はい」
またもや返事のみ。しかも表情がぴくりとも変わらないので何を考えているのか分からない。
上司が軽薄なら、部下は真面目すぎな堅物らしい。温度差が激しくて心が風邪を引きそうだ。
「アーロンは無口な奴なので、お気になさらず」
パトリシオが移動して、フレイアの横に立った。
「は、はい。そのようですね」
苦笑いしながら答えるも、アーロンはやはり無表情だ。自分のことが話題に出ているというのに、ここまで無反応でいられることがすごい。
「フレイア殿。呪いは解けたとはいえ、なぜ掛けられたかは不明のままです。もしあなたを狙ってのことなら再び狙われる可能性もある」
パトリシオが顔をしかめ、考え込むように腕を組んだ。
言われてみれば、呪いを掛けられた理由は分からないままである。二十年という空白に戸惑うばかりで、そこまで考えが及んでいなかった。
誰かも分からぬものから攻撃的な悪意を持たれている。その漠然とした恐怖に、体の中がぐるぐるとかき乱されるような不快感が襲ってきた。
「確かに。目覚めたことを闇の魔女が知ったら、何か動いてくるかもしれませんね」
「なのでアーロンをあなたの護衛につけたいのです。こいつは愛想はないですが、剣も体術も騎士団で一番なので」
護衛ならば父がちゃんと配置している。わざわざパトリシオの部下をつける必要はあるだろうか。そんな疑問が顔に出てしまったのか、パトリシオが付け加えてきた。
「もちろん、今の護衛体勢はそのままで大丈夫です。これは俺の我が儘だと思ってください。せっかく目覚めたあなたが、再び眠ってしまったらと思うと心配なんです」
パトリシオがフレイアの手を取り、懇願するように見つめてくる。無遠慮に触れられたことにびくりと手が揺れるも、パトリシオは逃がさないとばかりに握り込んできた。
パトリシオの顔は整っている。こんな美形に至近距離で見つめられたら、普通は赤面してしまうのだろう。だがフレイアは赤面どころか眉間にしわが寄っていた。ダンスをするでもないのに手を握られることなど今まで無かったから、何か嫌だと思ったのだ。あからさまに手を振り払えないし、やんわりとでは解けないくらいには握り込まれている。
「ご、ご心配いただき感謝いたしますわ」
「では、アーロンを護衛に付けてくださいますね」
ぐいっと顔を寄せてきた。あまりの近さにぎょっとして顔を背けてしまう。無礼かもしれないが流石に限界だ。
こんなに必死に護衛を付けさせようとしてくるなんて、逆に何かあるのではと思えてくる。フレイアのことを気遣って、心配だから自分の信頼する部下を護衛に付けたいという考えは理解出来る。理解出来るけれど、本当にそれだけだろうか。
疑いの気持ちが芽を出すけれど、パトリシオの圧は変わらない。フレイアが承諾するまで引く気はなさそうだった。
「仕方ありません、承知いたしました。アーロン、よろしく頼みます」
フレイアは根負けした。というより、はやく手を離してもらいたかった。アーロンがどのような思惑で護衛に付くのかは、これから見定めればいい。それに、呪いを掛けられた理由も分からない現状では、護衛は多くても困らないだろうと思ったのだ。使えるものは使うべし。それが幼い頃よりフレイアに叩き込まれた処世術である。