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第1章②

 ヴァニュエラス王国の第一王女であるフレイア・フォン・ヴァニュエラスは、目覚めたら二十年経っていたらしい。まるで他人事のようだ。自分のことだとすぐには実感がわかなかった。


「信じられないわ」


 見慣れた自室のベッドでぼうっと天井を見上げる。蔦だらけの廟から運び出され、そこから五日が経っていた。

 駆けつけた王族お抱えの魔法医が回復魔法を掛けてくれ、体は少しずつ動かせるようになっている。とはいっても、だるさは残っているし動作もゆっくりだ。二十年眠っていたのだとしたら、仕方のないことかもしれないが。


 フレイアは起き上がると、部屋の壁に掛かっている大きな鏡までふらふらと歩き、恐る恐る視線を上げる。鏡に映る自分の姿は、記憶にある十六歳のままだった。胡桃色の柔らかな髪はふわりと波打ち、二重の瞼の下には榛色の瞳が不安げに揺れている。小さめの唇は力が入りすぎて、余計にこじんまりとしていた。あまりにも困惑に満ちた表情に、自分のことながら苦笑いしてしまう。


 見た目だけなら何も変わっていないし、自室の調度品や内装も特に変化はない。もし二十年経っていたのならば、城の人々がいつ起きるかも分からぬフレイアのために、部屋を保ち続けたのだということになる。そんな手間をわざわざかけるのか? 合理的に考えれば、目覚めたら新しく部屋を用意すればいいではないか。だから、きっと二十年なんて経ってない、そうであって欲しかった。


 だけれど、よく観察すればどことなく違うのが分かってしまう。例えば、窓辺に置かれた机は、もう少し色が濃かった気がする。カーテンは同じ色だが、模様が違ったはずだ。


「色あせたり、劣化して取り替えられたり。そういうことなのね」


 納得したくない気持ちはあれども、事実として二十年経ったのだと思わせる証拠があちらこちらに散らばっている。


 ふいに足音が聞こえたかと思うと、ノックと共に扉が開けられた。


「フレイア、気分はどうだい」


 にこやかに問いかける父、ほっとしたように父に寄り添う母。髪が白くなり、しわも増え、記憶よりも細くなってしまった両親が入ってきた。


「お父様、お母様……」


 あぁ、本当に二十年眠っていたのだと実感する。何を見ても、誰に説明を受けても、信じきれなかった。でも、目覚めてから両親と初めて面会したときにやっと悟ったのだ。記憶の中の若々しかった両親はもういないのだと。


 年老いた両親を見てしまっては、どれだけ気付かぬふりをしていたくても無理だった。認めたくなくて現実逃避していても、両親を見るたび現実に連れ戻される。そして、二十年という年月の重さを噛みしめるのだ。


 眠りから覚めて、もう何度も顔を合わせているのに。それでも、会うたびに胸がぎゅっときしむ。二十年ものあいだ、ずっと娘である自分を心配して過ごして来たのだろうか。フレイアが少しでもふらつけば、大騒ぎしてしまう二人を見る度に、申し訳なさが募る。


「体調が良いようなら、少し話をしようと思うのだが」


 父の言葉に、フレイアは素直に頷く。


「はい。わたくしもいろいろと聞きたいことがあります」

「では、着替えて客間へ来てくれ。あぁ、急がなくてもいいから。ゆっくり支度しなさい」


 付け加えられた言葉は過保護なものだ。フレイアは苦笑いを浮かべつつ、再び素直に頷くのだった。



***



 客間のソファに座り、フレイアは口を開いた。


「つまり渡された手鏡を通じて、闇の魔女がわたくしに呪いを掛けたのですね」


 眠る前の記憶はぼんやりとしている。思い出そうとしてもはっきりしなかった。二十年も前のことなら仕方ないのかもしれないが。


 両親からの説明はこうだった。

 他国を招いての舞踏会はつつがなく終わり、帰る来賓を門まで見送った。その後、両親とフレイア、宰相などが門から城へ向けて歩きながら談笑していたときだ。フレイアが他国の子どもに贈り物をもらったのだと、包みを開け始めた。すると中身は手鏡で、フレイアの顔が映った瞬間に禍々しい黒いもやが放出され、その瞬間にフレイアは意識を失ってしまった。そして、黒いもやが染みこんだ地面から蔦が生え始め、フレイアを包み込むベッドが形成されたのだという。


『その娘に眠りの呪いを掛けた』


 手鏡から魔女の声が聞こえた。


『ど、どういうことだ! なぜこんなことを。早く呪いを解け!』


 手鏡に向かって父が怒鳴ったが、魔女は引きつった笑いをこぼす。


『くくっ、王女を真に愛する運命の相手が誓いのキスをすれば、眠りの呪いは解ける。もちろん唇にね。現われなければ永遠に眠り続けるのだ。つまり、死んだもどうぜん――――』


 魔女がしゃべっている間に、勝手に手鏡はひび割れていき、粉々になったと同時に魔女の声は聞こえなくなってしまったと。


「では、わたくしを起こしてくれたあの殿方は……」


 金髪の青年を思い起こす。白い軍服をきっちりと着込み、少し垂れた目が甘い印象を醸し出す美しい青年だった。


「そうです、フレイア。あなたを愛し救ってくれた、運命の人なのですよ」


 母が嬉しそうに、乙女のような表情を浮かべた。


「まるで王子様のキスで目覚めるお姫様の童話みたいですね」


 絵本で読んでもらった物語が脳裏に浮かぶ。あの頃はまだ文字も読めなくて、でも絵がとても綺麗で。お姫様は可愛らしく、彼女を救った王子様は凜々しく素敵だったのを覚えている。


「みたいも何も、彼は本当に王子様よ。セガルラ王国の第十一王子なんですって」


「え、まさかわたくしを目覚めさせるために、わざわざセガルラ王国から来てくださったのですか」

「そうですよ。身分を問わず、あなたを目覚めさせてくれる人をたくさん募ったわ。でも誰もが蔦に邪魔されて断念したのよ。その中で、ついに彼だけがあなたにたどり着き、キスで起こしてくれた。なんて素敵なんでしょう。まさに運命の人ね」


 もともと娘のフレイアよりも乙女な思考を持つ母は、ここぞとばかりにうっとりと語っている。歳を重ねても乙女心は健在のようだった。


 それにしても、まさか自分が童話と同じような経験をするとは思ってもいなかった。幼心にフレイアだって童話の物語に憧れはあったけれど、現実にはキスをされた記憶もないだけに実感もない。


 フレイアはそっと自分の唇を指でなぞる。記憶に無いけれど、呪いが解けたと言うことはキスをされたのだ。何だかそわそわする。初めてのキスだったのに、覚えていないなんて。


「それでだ、フレイア」


 父が口を開いた。


「はい、お父様」


 ここからが本題なのだと思い、フレイアは背筋を伸ばす。


「呪いを解いたということは、フレイアを愛しているという証拠でもある」

「え、えぇ」


 親から、しかも父から『愛している』の言葉を聞くとこそばゆくてかなわない。フレイアは気恥ずかしくて視線を逸らした。


「愛しているうえ、なによりもフレイアを救ってくれた恩人だ。だから、彼にフレイアを託したいと思っている」

「託す、とはどういうことでしょうか」


 フレイアは視線を戻し、妙な胸騒ぎを抱きながら父の言葉の続きを待つ。


「我々ももう老齢にさしかかっている。次代に王位を譲りたいのだよ。だからねフレイア。彼と結婚して、二人でヴァニュエラス王国を盛り立ててもらいたい」


 父は真っ直ぐにフレイアを見つめている。その真剣な眼差しが冗談などではないと物語っていた。


 フレイアは第一王女で、しかも他に兄弟はいない。王家の直系の血筋はフレイアだけなのだ。だから通常、王女は他国へ嫁ぐことが多いが、フレイアは婿を取ることになっている。そして、すでに婚約者もいた。


「婚約者のカルロス様は?」


 父も母も表情を曇らせた。先ほどまでの晴れ渡ったような笑顔が消えてしまったことで察する。


「カルロスは別の女性と結婚したよ。彼もフレイアを目覚めさせようとしてくれたのだが、蔦に阻まれて駄目だったんだ。何度も挑戦して、ぼろぼろになっていくのを私達が見ていられなくてね……、婚約を破棄してもらったんだ」

「そう、ですか」


 冷静に考えれば仕方のないことだ。目覚めないのだから、結婚しようがない。しかも何度も目覚めさせようと頑張ってくれたのだと知れば、ありがとうという気持ちも芽生える。


 だけれど、子どものような我が儘が胸をよぎった。待ってて欲しかったなと。カルロスのことを好きだったのかと問われると、よく分からない。だけれど、この人と結婚するんだと思っていたから裏切られた気分だった。恋を知らない自分にとっては、恋すべき相手であり、きっと結婚したら好きになるのだろうと思っていたから。


 あぁ、なんて浅ましいのだろうかとフレイアは自嘲する。カルロスにはカルロスの人生があるのだから。魔女の呪いに倒れた自分が縛っていいはずがないのに。


「あなたを目覚めさせた人物が、王族だったのは偶然ではなく必然だったのかもしれないわね。やはり運命よ」


 母の言葉にフレイアは顔を上げる。


 運命、なのかもしれない。いや、そう思った方が前向きだ。時は戻らないのだから、失ったことよりもこれからのことを考えよう。



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