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第5章③

何故こんな展開になっているのだと混乱しているのかもしれない。だが、部屋中の視線が集まり、圧に負けたのか手袋をおもむろに取った。そして、ゆっくりとフレイアの前に差し出される。


「やはり、この手だったのね」


 フレイアはアーロンの手を取った。騎士として毎日剣を握る手は、皮膚が分厚く、骨格もごつごつしていて、剣の古傷が至る箇所についていた。だが、その上から真新しい傷がいくつもついている。それは、両親やサーリャに残っていた蔦の傷にそっくりだった。


「アーロン、あなたがわたくしを目覚めさせたのですね」


 この手の傷が、確かな証拠だ。誰の目から見ても、フレイアのために蔦のなかで手を伸ばしたのはアーロンだと分かる。だけれど、アーロンは返事をしない。


「違う、俺がフレイア殿にキスをして目覚めさせた! 俺こそが運命の相手なんだ!」

「パトリシオ様は、わたくしの唇にキスをしたと」

「あぁ、そう言ってる。だから君はこうして目覚めたんだ。もうキスを交わした間柄なんだ、俺達は仲良くやっていくべきだろう?」


 呪いの欠片が手の甲にキスをしたと言っているのに、パトリシオは明らかに嘘をついている。


「だとしたら、パトリシオ様は運命の相手ではありません。パトリシオ様が唇にキスをしても、わたくしの呪いは今、完全には解けていない。完全に解けていない以上、あなたが運命の相手なわけがないのです」

「ど、どういうことだ!」

「急に眠りについてしまったのは、呪いが残っている証拠なのです。信じられないのなら魔法医に確認してもらって構いません。なんにせよ、このまま手を打たなければ呪いが盛り返し、わたくしは再び長い眠りについてしまいます」


 パトリシオは自分の発言で首を絞めた。これで、運命の相手だから結婚するという主張は崩れたのだ。


 そもそも、もしパトリシオが本当にキスをしたならば、敬愛を示す手の甲にするだろうか。そのような配慮をする人物とは思えない。だから、フレイアは呪いの欠片が言っていた人物は、パトリシオではないと考えた。そして、すぐに思い浮かんだのがアーロンだったのだ。


「パトリシオ様、もうわたくしの婚約者ぶるのは金輪際、おやめくださいね。その容姿ですから、きっとすぐに魅力的な女性があらわれますよ。その方とお幸せにくらしてください」

「なっ、なんてことを言うんだ。ナタリーには騙されただけだ。俺は君を、君こそを愛している。そうだ、キスをしよう。そうすれば分かる。俺がキスをすれば絶対に呪いは解けるんだ」


 パトリシオは言いながら、フレイアに詰め寄ろうとする。その必死の形相をみて全身に鳥肌が立った。だが、詰め寄られる前にアーロンが身をはさみ、フレイアの盾になってくれた。


「アーロン、邪魔をするな!」

「私はフレイア様の護衛ですから」

「貴様! 余裕ぶりやがってふざけるな。王族も名乗れないお前より俺の方が偉いんだ」


 パトリシオが憎々しげに吐き捨てる。


「パトリシオ、黙れ」


 アーロンが、取り乱すパトリシオの胸倉を掴んだ。


「ぐっ、何が運命の相手だ。運命なんてまやかしだろ」


 うめくような声でパトリシオが言い返した。そしてアーロンの手を弾き、一歩離れる。乱れた胸元のシャツを正すと、フレイアの方を見てきた。


「フレイア殿。あなたの言うとおり、俺はキスをしていない。だが、呪いを解ける。本当だ。セガルラ王国の王族であれば誰だってあなたの呪いは解けるんだ。なら俺で良いだろ。ずっと使い道のない王子だと言われ続けてきた。やっと使い道が出来たといわれて、国を追い出された。もう俺にはここしかなかったのに!」


 パトリシオの声が空気を震わせる。

 魂の叫びだと思った。いろんな屈折した思いを彼も抱えて生きてきた。それはフレイアとて同じだし、きっとアーロンもだろう。


「ならば、なぜナタリーと浮気をした。ノエ様の暗躍のせいとはいえ拒否すれば良かったはず。この状況はお前の不誠実さが招いたことだ」


 アーロンがパトリシオを睨み付けている。


「堅物のお前には理解できないだろうな。もういい、こうなったら言ってやるよ! フレイア殿は見た目こそ少女だが、実年齢は三十六、俺よりもかなりの年増だ。会話する節々に子ども扱いされているような、残念なものをみるような目で見られている気がしてイライラした。おまけに綺麗だが全然色気がない、容姿はただの子どもだ。正直、そそられないんだよ」


 パトリシオの隠さない本音に、フレイアはぐっと奥歯を噛んだ。パトリシオに対して、確かに距離を置いていた。それはフレイアの落ち度だろう。


 眠っていなければ三十六歳なのも事実、見た目が十六歳なのも事実、変えられようのない現実だ。指摘されても仕方ないのかもしれない。だけど、失礼過ぎはしないか。最後に少しだけ残っていたパトリシオに対する情も霧散していく。


 フレイアが納得できるかどうかは別にして、彼には彼の言い分があった。同時にフレイアにはフレイアの言い分があるのだ。だからこそ、パトリシオの願いを聞き入れることは出来ない。フレイアは視線を落とし、首を横に振った。


「あなたを受け入れることは、出来ません」


 ふらふらとパトリシオは後ろに下がり、不貞腐れたように顔を背けた。


「ここまで、だな」


 パトリシオが懐から何か小さなものを取り出した。小瓶だろうか、先端は布を巻き付けて封じられている。


「まさか――アーロン、小瓶を取り上げて!」


 フレイアが声を上げると同時に、アーロンの手が小瓶に伸びる。

 しかし、パトリシオは大きく腕を振り、小瓶を投げて壁にぶち当てる。パリン、と陶器が割れる音が聞こえた。


 フレイアは小瓶の中身は毒だと思った。あのタイミングで取り出すのだ、自害しようとしたと考えたのだ。だが、パトリシオは飲まなかった。それは良かったのだけれど、パトリシオの行動が引っかかる。アーロンに取られまいとして投げたのだろうが、あまりにも迷いなく壁に向かって投げたのだ。おまけに小瓶が割れてしまったのに取り乱しもせず、落胆するでもなく、ただ小瓶が転がる壁際の床を見ている。その虚ろな目が、無性に恐ろしいと思った。


 割れた小瓶の中から、赤い宝石のようなものが転がり出た。途端、辺り一面に魔力の気配が満ちる。


「パトリシオ、何をした!」


 アーロンが叫んだ。


「国王から渡された、最後の切り札さ。これで俺もお前も、この国も終わりだ」


 パトリシオは口元だけをにやりと引き上げた。



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