第5章①
ふわふわとした不思議な感覚に意識が戻る。目を開けると、フレイアは暗い空間で蔦のベッドを見下ろしていた。そう。見下ろしているのだ。
「わたくし、浮いている?」
残念ながら、まだ目覚めてはいないようだ。夢の中だろうかとフレイアは当たりを付ける。
ベッドには誰もいない。浮いているのも怖いので、ベッドに座れないかなと考えてみる。試しに手を寝台の方へ延ばすと、すうっと移動できた。
「まぁ、飛んでいるみたいね」
すうっと移動し、ふわりと止まる。それを数回繰り返すと、ベッドに辿り着いた。蔦を掴んで体を引き寄せ、ベッドに腰掛ける。
「さて、座れたけれど、これからどうしようかしら」
ポンっとベッドを叩くと、振動で体が浮く。通常よりもとても体が軽いみたいだ。
「さすが夢の中、なんでも有りなのね」
『そうさ、なんでも有りなのさ』
「誰!」
急に知らない女性の声がした。左右を見渡し、上も下も見たが誰もいない。だが、確かに何かがいる気配がした。
『誰か……強いて言えば、闇の魔女、だな』
「あなたが? では、またわたくしに呪いを掛けたの?」
『いいや、新たな呪いは掛けられない。この私は、二十年前の呪いの欠片だから』
「意味が分からないわ」
『呪いを掛けた「私」の意思が残ってるってことさ、あんたの中の呪いの欠片にね』
呪いの欠片に意思が残っている。それが、今しゃべりかけてくる存在、ということだろうか。
「ね、姿は現せないの? どこを向いてしゃべっていいのか分からないわ」
『いいけど、話す時間が減るよ。人格の意思を保つのは難しいんだ。一気に力を使うと枯渇してしまうからね。この呪いは、発動こそ闇の魔女である私の呪いだが、発動し続ける力の糧はあんたの阿呆みたいな量の魔力から頂戴してるのさ』
「えっ……じゃあ、近づこうとした人を攻撃していた蔦も……」
『あぁ、原動力はあんたの魔力さ』
「知りたくなかった」
いや、それは甘えだろう。ちゃんと自分がみんなを傷付けたのだと思い知らなければいけないのだと思う。
『まさかここまで長い間、呪いを発動できるとは思わなかったよ。しかも、魔力が豊富なあんたの中にあるせいで、欠片から呪いが再構築されている』
魔女の押し殺したような笑いが空間に響く。
呪いが再構築されているとは、まさか、急に眠りについてしまったのは、呪いの欠片のせいだというのか。
「あなた、どうして教えてくれるの?」
『そうさね、私は「私」じゃないから。本人から分離した亡霊のようなものさ。二十年間ずっとあんたを眠らせてきた呪いが意思を持ったってとこかね。でもま、解かれちゃったんだけどねぇ』
軽い口調で呪いの欠片は語ってきた。敵視する相手のはずなのに、妙に親しげな様子にこちらの調子も崩される。
「そ、そうです。呪いは解かれました。それなのに、あなたは呪いの欠片だという。矛盾しています」
『矛盾などしてないさ。呪いは解かれた、だからあんたは目が覚めた。だが、完全には解かれてはいなかったんだよ。呪いを解くには「キス」が必要なんだ』
「つまり、キスが不完全だったと」
『そういうこと。好きな女の子と上手くいくようにって、せっかく解呪方法をキスにしたのに』
「あなたね、勝手にキスされるわたくしの身にもなってください!」
『ふふ、眠ってるあんたより、起きて騒いでいるあんたの方が見ていて面白いよ』
「笑っている場合ではありません。そもそも、今のあなたはわたくしの敵なのですか? わたくしの中にある呪いの意思なのであれば、わたくしがもし死んだりすれば、あなたも消え去ってしまいますよね」
フレイアは対話しながら、呪いの欠片との関係を、変化させることが出来るのではと思いついた。
『あんた、もしかして私を味方にしようとでも?』
「いけませんか? こうして対話が出来るのです。しかもわたくしの魔力を糧にしているのでしょう? どちらかというと、わたくしに有利な状況です」
『あっはっは! なんて子だ。呪いを本気で味方に取り込もうとするだなんて。だけどね、無駄だよ。こうしてしゃべることはできても、この私に出来るのは呪いの発動だけだからね』
フレイアは呪いの言ったことを必死に頭の中で組み立てる。
呪いはどうして今、しゃべり掛けてきたのだ。今までだって、夜の睡眠時に出てきても良かったはずなのに。
もしかして……しゃべることが出来るほど、呪いの欠片が育ったということなのでは。これまでは呪いが意思を持てるほどの力がなかった。本当に欠片しか残っていなかったから沈黙していた。だが、フレイアの中で、魔力を勝手に糧にして成長し、今、自我を持てるくらい強くなったのだとしたら。
「もう、呪いは再び発動しているのですか」
『してるよ。ただ、さほど強くないから、数日眠って、起きて、また眠って起きるを繰り返し、呪いの強さがあんたの目覚める力を凌駕したとき、完全な呪いになる』
つまり少しでも呪いは残っていては駄目なのだ。完全に呪いを解かなくてはならない。そのために、不完全だったキスを、完璧なものにしなければならないということだ。
「パトリシオと、キスをしなければならないの?」
フレイアは、雷が落ちたかのように目を見開いた。
意識がないからこそ、パトリシオとのキスもしかたないと思っていた。だが、パトリシオの人柄を知った上で、もう一回キスを出来るのか? 自問の答えは否だ。嫌だ、恋心もなく、尊敬もなく、親愛も友愛も抱けない相手と唇を合わせるなんて。ぞっとする。
『いいこと教えてやろうか。キスが不完全だったと言っただろ。それはキスをした場所が唇ではなかったからさ。あんたのことを思って、敬愛の口づけを手の甲に贈ったのさ』
「まさか……本当なの?」
『呪いそのものである私が言ってるんだ、本当さ』
「どうして、そんな重要なことを教えてくれるのです?」
『私はね、あいつの甘酸っぱい初恋を応援したくてこの呪いにしたのさ。ここだけの話、依頼主からは瞬殺してくれっていわれてたんだ。きっと「私」は二十年前に怒られたんだろうねぇ。あぁ面白い!』
空間に響き渡るほど、呪いは大きな声で笑い転げていた。まぁ、本当に転げていたかは見えないから分からないけれど。そう感じるくらい、愉快そうな笑い声だった。
***
「あ……ここは?」
フレイアは目を開けると体を起こした。自室ではなく、毒を盛られた後に使っていた部屋だった。
「今度は、ちゃんと目覚めたようね」
ほっとしつつ、ベッドから降りてカーテンを引く。窓から見えるのは夕陽だった。
おそらく眠りについたのが、ノエと対峙した夜だ。今が夕方ということは、少なくとも半日以上は経っている。ただ、翌日の夕方とも言いきれないのが怖いけれど。
「あれは、ただの夢? それとも……」
夢にしては鮮明に覚えている。それに今回は、何もしていないのに眠りについてしまった。殴られて昏倒したわけでも、毒を盛られたわけでもないのだ。だとすれば、夢の中で呪いが言っていたことと辻褄は合う。
フレイアは目覚めた後、魔法医の診察を受けた。ちなみに眠っていたのは三日間だった。当然、誕生日の舞踏会は延期となっていた。診察のためにサーリャにも部屋の外に出てもらっている。部屋の中はフレイアと魔法医だけだ。
さて、フレイアの予想が正しければ、診察をした魔法医は難しい表情を浮かべるだろう。
そして、予想は正しかった。
「フレイア様、大変申し上げにくいのですが」
「分かっているわ。呪いのせいで眠っていたのよね」
「さようです。どうやら呪いが完全には解けていなかったようで、残っていた呪いが再び盛り返してきているようです」
要するに夢が正しい、そうフレイアは判断した。なれば、呪いが言っていたことをもう一度かみ砕いて考えなくてはならない。
「このことは、自分でお父様達に伝えるわ」
「承知いたしました。ですが、このままでは再び眠りについてしまいます」
「えぇ、完全に解かなくてはね」
力強く言うと、フレイアは立ち上がるのだった。




