第4章④
サーリャを下がらせて、フレイアは一人で考えていた。ベッドの上に寝転び、天井をただ見つめる。傾き掛けた橙色の光が白い天井を染めていた。なんとなく、寂しげな色だと思った。
ただの事実として、ノエから依頼されて、サーリャは犯人の男を雇ったという。今までのノエに対する人物像は、穏便で聡明で優しい人だ。だから、子どものために働き口を探していた男を不憫に思って仕事を斡旋した。そう思う。だけれど、どうにも胸がざわざわと落ち着かない。
一つずつ、考えていこう。フレイアはゆっくりと意識的に呼吸をする。
フレイアが居なくなって欲しいと思ったから、黒幕は毒を盛った。つまり、フレイアが死んで得をする人は誰か、ということだ。
両親は除外だ。良いことなど何もないし、悲しみにくれてしまうだろう。サーリャにも得があるとは思えない。逆に働き口を失うだけだ。
ではパトリシオはどうだろう。フレイアが居なくなれば、王もしくは王配という地位は消えてなくなる。第十一王子で自国では居場所がなくて外に出てきた人だ。フレイアが居なくなっては損しかない。
最後にノエはどうだろうか。フレイアが目覚めなければ、王位に就いたかもしれない人だ。もし柔和な笑顔の下に野心を隠していたのだとしたら、フレイアは邪魔者でしかない。
もしくは、ノエを王位に付けたい人、という可能性もある。
思考の海に沈んでいると、ノックの音が聞こえた。
『アーロンです』
思わぬ人物からのノックに、フレイアはベッドから慌てて降りる。服が乱れていないか確認したあと、ドアを開けた。
「どうしたの?」
アーロンから声をかけてくるなど珍しい。フレイアが部屋から出るまでドアの横で護衛しているだけなのに。
「話があります」
きょろりと辺りを見渡し、小さな声で言ってきた。
深刻そう、というか基本的に無表情なので深刻そうというのはフレイアの先入観なのだが、いずれにしても何かありそうな様子だ。先ほどのサーリャといい、このアーロンといい、自分に対して重そうな話を抱えすぎではと思った。
「いいわ、中に入る?」
部屋に二人きりは少し迷ったが、他人には聞かせたくない話のようなので入室を促してみた。だが、アーロンは首を横に振る。
「いいえ、ここで」
「そう、では何かしら」
「ナタリーとノエ様の関係を調べてみて欲しい」
「ノエ様との?」
今まさにノエに対しての不信感を抱いていたところだ。驚いて目を見開いてしまう。だが、それをノエを疑ったことに対する驚きだとアーロンは勘違いしたらしい。
「私はあなたの護衛だが、パトリシオ様についてきた騎士という立場でもある。信じてもらえないのは承知です」
「いえ、あなたを信じていないというわけではないの。それよりも、何故、今?」
「昨日、ナタリーとノエ様が視線で合図をかわしていたように見えた。言うべきか、言っても信じてもらえるのか、ずっと考えていたから」
アーロンの視線が足下に落ちる。まるで子ども言い訳のような仕草に、自然と手が彼の頭に伸びた。言うか言うまいか、昨日からずっと悩んでいたという彼が何だか可愛いなと思ってしまったのだ。
「えっ?」
アーロンの声に、自分の行動を知る。そう、フレイアはアーロンの髪を撫でていたのだ。
「ご、ごめんなさい。つい、撫でていたわ」
慌てて手を引っ込めるが、さらさらとした髪の感触が手に残っていた。むずむずとしたとらえどころのない気持ちがわき上がる。その感情を抑えるように、胸を押さえた。
「いえ、その、では、私の用件はそれだけです」
アーロンはさっさと定位置のドアの横にへばりついてしまったのだった。
残されたフレイアは、閉じられていくドアをただ見つめていた。
「サーリャ、調べてくれた?」
アーロンの進言を受けて、調査を依頼していたのだ。何も出てこなければそれでいいし、出てきたら出てきたで前進だ。信頼できるノエという人物を失うけれど。
「フレイア様、私かなり打ちひしがれています」
「サーリャの感想はいいのよ。それより報告!」
「はいはい、もう、せっかちですね。私の悲しみの心を少しは理解してくださいよ」
「いいから、早く」
まぁサーリャの口調からして、もうノエは黒なのだろう。
「フレイア様の予想通り、ノエ様とナタリーは繋がっていました」
「やはりね」
「どこで気づいたのです?」
驚かないフレイアの様子に、サーリャが不思議そうに首を傾げた。
「ええと、それは……実は、アーロンが教えてくれたの」
なんとなくアーロンの名前を出すのが気恥ずかしくて、言いよどんでしまった。
「さようで。ふふ、良きことかと。それよりもナタリーですが、彼女は別人です」
「どういうこと?」
「ナタリーは国境付近の田舎町の出身です。家族や友人に確認をしたら、容姿はダークブラウンの髪で痩せ気味の小柄な女性だと判明しました。城にいるナタリーは赤毛で背も女性にしては高いですし、肉付きもよろしいですからね、あきらかに別人です。本物は田舎から首都に出稼ぎに来たようですが、今は家族も連絡が取れないそうですよ」
つまり、行方不明になった本物のナタリーになりすまして、今のナタリーが城勤めをしていたということか。
「そして、ノエ様は領地でもかなり女性から人気があり、中には熱狂的な方もいらっしゃったようです。熱狂的な崇拝者の筆頭に、赤毛の女性がいたと報告があります」
あぁ、繋がってしまったと思った。
ノエと偽ナタリーの糸が。
***
誰が味方で、誰が敵なのか。
ノエは味方だと思っていた。紳士的で年上の余裕が有り、父からの信頼も厚く、政治の話も真剣に聞いてくれる。同じ年上の男性でもパトリシオには感じない安心感があった。ゆくゆくは彼を宰相に迎えて国を導いていくのだと迷いもなく描いていたのに。
ノエは野心家の顔を上手く隠していたのだろう。あくまで仮定だが、パトリシオの地位を狙っていたのではないか。思い返せば、フレイアに対してパトリシオと婚約をするのかと何度も確認された。心配しているという態度だったから、気づかなかったけれど。もしフレイアが個人的な感情を優先してパトリシオとは婚約しないと言っていたら、毒殺などは考えなかったかもしれない。
フレイアは王座そのものに執着はない。国を良く導ければそれでいいからだ。だから、夫になる人物が王座につくといえば了承しただろう。
「ノエ様は王の座を狙っている。ならば二十年前の魔女の呪いとは別なのかしら」
頭が冴えて全く眠れなかったフレイアは、暗闇のなかで目を開ける。体を心地よく包むベッドで寝返りを打った。
フレイアはこの国が大切なのだ。それは王女として生を受けたという理由もある。だけれど、それだけじゃない。尊敬する祖父が命がけで守った国だから。
建国以来最強とうたわれる大魔法使いであった母方の祖父は、持てうる限りの力をふるって大嵐から民を守った。当時はまだ魔鉱石が発掘されていなかったため、国は農作物がすべてだった。数年不作が続いていたから、根こそぎ収穫が出来なくなっては、民は餓死するしかない状況だったのだ。だから嵐から守るために、途方もない巨大さで結界を張った。
祖父は他人より多く持っている物は、他人を助けるために使いなさいとよく言っていた。幼いフレイアには難しくてよく分かっていなかったが、祖父の言うことなので「分かりました」と大きな声で返事をしていたものだ。
フレイアにとっては、ただの優しい祖父だった。だが、嵐に立ち向かうために城を出て行く後ろ姿は、大魔法使いの威厳に満ちていた。そして、それが祖父をみた最後だった。祖父はその魔法使いとしての力を民を守るために使ったのだ。
祖父の姿こそ、自分が目指すべきものだと思った。だから、気高く生きる、民のために出来ることをする、そう思って生きてきた。
でも、正しくあろうと焦る余り、他国の戦争にまで口を出すのはきっと間違っていたのだと思う。
「優先順位を間違えていた。まずは、足下から一つずつよ」
フレイアを狙っている人物を捕まえる。そうでなければ、いつまで経っても狙われ続けてしまうから。
フレイアに毒を盛った男は、弱みを握って脅せるようにと選ばれたのだろう。おそらく男にしてみれば「薬代を稼ぐために城勤めを斡旋してやろう」と言われれば、有り難いと飛びつくに決まっている。
パトリシオの浮気も、いわゆるハニートラップというものだったのだ。ノエのために偽ナタリーがパトリシオを誘惑し、フレイアとの婚約をなくそうとしたのだろう。
「そう思うと、少しだけパトリシオ様が被害者だと思わなくも……いえ、浮気は浮気よね」
ノエの策略に引っかかってしまったとはいえ、浮気したのは事実。反省はきちんとしてもらわないと気が済まない。
「ノエは、わたくしと結婚して王の地位が欲しい。だからパトリシオにナタリーを仕向けて浮気させた。それなのにわたくしが婚約をすると言い張るから強硬手段に出た、と」
ノエとしては、フレイアは結婚出来ないならば、逆に生きていたもらっては困る存在だ。だから、次の手駒として城に入れた男を使って毒を盛った。
ただ、この推理で合っていたとして、ノエを捕まえる証拠がない。
「もともとおびき出すためにパーティーを開くことにしたのだものね。予定通りおびき出そうではないの」
フレイアは勢いよくベッドから身を起こした。そして、護衛として部屋の外に張り付いているであろう、アーロンに声をかけたのだった。




