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第3章④

 その後のパトリシオの態度に、変化はなかった。顔を合わせれば声をかけてくるし、庭園の散策に誘ってきたりもする。

 部屋のバルコニーでの出来事は見間違いだったのではと思うくらい、フレイアに対する距離も近い。それでも、パトリシオ付の侍女がこちらを睨み付けてくるので、見間違いではなかったのだろう。


「ねぇサーリャ。パトリシオ様は驚くくらい、変わらないわね」

「さようですね」


 さきほどパトリシオと庭園を散策してきた。向こうの国の話などは興味深く、話はそこそこ盛り上がっただろう。以前のぎくしゃくしていた頃と比べたら、格段の進歩だ。二人の心の距離も順調に近づいているのでは、と表面上は思える。


 だが、フレイアの居ない場所でパトリシオは侍女、つまり浮気相手であるナタリーと身を寄せ合って、いちゃいちゃしていた。一応隠れてやっているつもりらしいが、使用人や護衛にちらほらと目撃されている。目撃した使用人や護衛は、ことを荒立てるのは良くないと思うのか、国王や王妃の耳には入らぬよう、まずはサーリャに報告してくるのだ。サーリャが呆れつつも報告してくれるのでフレイアも状況は知っている。


「ナタリーのことを好きならば、わたくしに対してはそっけなくなったりするかと思ったのだけれど」

「フレイア様が歩み寄るようになって、さらに有頂天でしゃべっていらっしゃるように見えます」

「そうよね。わたくしの思い込みではなかったようで安心したわ」


 どうやらパトリシオは、フレイアのこともナタリーのことも手放すつもりはないらしい。少し図々しくはないだろうか。せめてどちらかにして欲しい。


「フレイア様。やはり国王様達にお話になられてはいかがです?」

「だめよ」

「でしたら、せめてパトリシオ様にナタリーと縁を切るように言いましょう」


 あまり気は進まなかった。その理由は自分でも分かっている。パトリシオに好きだと思い続けるような価値はない相手だと、面と向かって突きつけられるのが腹立たしいのだ。でも、もうそんなことを言っている場合ではないのも分かっていた。


「そうね。これ以上、目撃する人が増えたら、いずれお父様達の耳にも入ってしまうでしょうし。明日、話してみるわ」

「それがよろしいですわ」


 話したら、パトリシオとの関係はどうなるのだろうか。対フレイアに関して言えば、今はだいぶ良好になっている状態だ。それをぶち壊して、ぎくしゃくとした前の関係に戻していいのかと惑う。


 フレイアは迷いを振り払うように横に首を振る。形だけの夫婦になるのならば、もうそれで構わない。もともと王族の結婚など政略だと思っていたではないか。両親の姿に少し夢を見てしまったが、やはり割り切った方が楽だ。



***



「やあ、フレイア殿の方から来てくれるなんて嬉しいよ」


 部屋を訪ねると、パトリシオが満面の笑みで迎えてくれた。とても機嫌が良さそうなだけに、少々言い出しにくいなとフレイアは心の中でため息をつく。


「折り入ってお話があります」


 フレイアはお茶の準備をするナタリーをちらりと見る。ナタリーは見られているのも気にすることなく、平然と手を動かしている。その動作は手慣れており、仕事は出来るようだ。長い赤毛を邪魔にならないように結い上げて後頭部でまとめている。あらわになったうなじは同性から見ても色っぽかった。エプロンの紐が結ばれた腰はくびれているし、魅惑的な体格の女性だ。少女と言っていい体つきであるフレイアと比べると雲泥の差がある。


「どんな話でしょうか。まぁお座りください」


 パトリシオがのんきな様子でソファーを勧めてくるので、フレイアは複雑な思いのまま座った。


「パトリシオ様。ナタリーとはどのようなご関係ですか」


 カチャン、と小さな音がした。ナタリーがお茶のカップをテーブルに置いたのだ。しかし、手が滑ったわけでもなく、冷静にカップが置かれただけ。ナタリーは動じることなく仕事を全うしている。逆に冷静さを失ったのはパトリシオだった。


「えっ、ど、どういう意味でしょうか」


 視線を揺らしながらパトリシオはぎこちない笑みを浮かべている。


「ナタリーとかなり仲がよろしいようですね」

「ま、まさかぁ。嫌だな、誰がそんなことを言ってるんです」

「城の者達です。しかも一人や二人ではありませんし、わたくしも仲良く身を寄せ合っているお二人の姿を拝見しました」

「ち、ちがう、誤解です!」


 パトリシオがテーブルを叩きながら立ち上がった。


「はて、誤解なのですか?」

「も、ももちろんです。彼女は新しい使用人ですから、まだ適切な距離感を分かっていないのです。それをきちんと注意しなかったのは俺の落ち度です。ですが、誓って彼女とやましい関係ではありません」


 しっかりとキスまでしておいて、それは苦しい言い訳だ。だが、この様子だとフレイアを本命と考えているのは間違いない。


「パトリシオ様、信じてもよろしいのですか」


 フレイアはナタリーを視界の端っこに入れながら、パトリシオの反応を待った。


「信じて欲しい。そうだ、俺付の使用人は変えてもらおう。そうすればフレイア殿も安心だろう?」


 パトリシオはナタリーを容赦なく切り捨てるつもりのようだ。それはそれで、なんか酷い人だなと思わなくもないが。


 一方、捨てられそうなナタリーは取り乱すことなく立っていた。パトリシオよりも余程肝が据わっている。


「パトリシオ様がおっしゃるなら、ナタリーは別の場所に異動させましょう。ナタリーもそれでいいかしら?」

「はい。承知いたしました」


 ナタリーは悲しむそぶりもなく返事をした。むしろ、ゆるく微笑んでさえいて、余裕の表情に見える。それが不気味に思えた。


 話は終わったと、フレイアはパトリシオの部屋を出た。扉の前で待っていたサーリャとアーロンが出迎えてくれる。


「フレイア様、いかがでしたか」


 心配そうなサーリャが開口一番聞いてきた。


「認めなかった。でも、ナタリーを外すと自ら言いだしたし、これ以上はもういいわ」

「甘いです。あなたもそう思うでしょ、アーロン」


 サーリャが同意を求める。だが、返事がない。無視かと思いつつ後を振り返ると、いつも五歩離れて着いてくるアーロンが扉の前で止まっていた。


「アーロン? どうしたの、もう行くわよ」


 フレイアが声をかけると、アーロンはやっと動き出した。いつも生真面目に動く彼にしては珍しい。気になることでもあったのだろうか。



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