第2章⑤
ノエが帰った後、サーリャがハーブティーを入れてくれたので自室で一息ついていた。
「サーリャ、ノエ様もずっと手袋を外さなかったわね」
ふと気になったことが口をついた。
ノエが手袋越しに手を触っていたのが印象的だったのだ。父や母が手袋をしていたのを連想するから余計にだ。
「ノエ様は、フレイア様を目覚めさせようとしていらっしゃいましたからね」
「お父様が無理矢理行かせたのだとしたら、なんだか申し訳ないわ」
「違いますって。ただの命令なら一度挑戦して終わりです。でもノエ様はフレイア様の目覚めを心から願っておられましたから、何度も廟に入られていました。だからこそ、手袋を外さなかったのですよ」
あえて外さなかった、とサーリャは言う。
何か引っかかる。その意味することを考えて、ある答えにたどり着いた。その瞬間、血の気が引く。
「待って、待って待って待って。もしや手袋の下は傷だらけってこと?」
しまった、という顔をサーリャは浮かべた。フレイアがノエの気持ちを軽く捉えたので違うと言いたかっただけで、きっと手袋の意味は言うつもりは無かったのだろう。
「ではお父様も、お母様も、手袋を外さないのは……」
「フレイア様! 申し訳ありません、余計なことを申しました」
サーリャが物凄い勢いで頭を下げてきた。その必死さが、余計にことの重大さを伝えてくる。
「みんな、手袋を外せないほど傷だらけなのね」
もう隠しても無意味だと割り切ったのか、サーリャは視線を床に落とし、震える声で話し始めた。
「……はい。まわりがどれだけとめても、特に国王様と王妃様はふらりと廟に入ってしまわれて。盾や鎧で防御していても、不意に襲ってくる蔦を払ったり、フレイア様に触れようと手を必死に伸ばしたりするので、そのたびに手が血だらけになってしまうのです。そのうち痕が消えなくなってました。どうやら棘に毒があるようで、治りが遅いのです」
フレイアは震えるサーリャを見た。その手にも引っ掻き傷のようなものがうっすらと残っている。よく見ないと分からないけれど、手に傷を負ったのは確かだ。
「キスの相手は……別に殿方でなければならないと断定されていないものね」
サーリャが隠すように後ろに手を回した。
知らなかった、では済まないほど、多くの人々が自分のために身体を傷付けていた。目の前のサーリャも、フレイアのために傷を負ったのだ。
知った今、自分はどうしたらいいのだろうか。謝ればいいのか。でも、謝られた相手はどう思う? きっと困った顔で謝るなと言うのだろう。困らせたいわけではないのに。謝ってすっきりするのは自分だけ。
ならば、言うべき言葉はこれしかなかった。
「ありがとう、サーリャ」
サーリャは首を横に振る。
「我々がしたくてやったことですので。フレイア様がお心を痛める必要はありません。ですが……本当に口が滑ってしまいました。侍女失格ですね。前任者に戻ってもらいましょうか」
「そんなこと言わないで。まだわたくし付きになったばかりの新米なのだから、これから一緒に頑張りましょう」
今までの侍女はもう老齢で、フレイアの侍女をするのは体力的にきついと申し出があったのだ。彼女はフレイアが目覚めるのをずっと待ち焦がれていた。だが、待っている間に体力も衰え、目覚めた今は満足に仕事を全うできないし、いざという時に身体が動かない。だから新しい人に任せて、心安らかに隠居生活を送りたいと言われてしまえば、引きとめることは出来なかった。
そうして、後任の人選は母にお願いしていたのだが、任命されたのが親友のサーリャだったというわけだ。
「フレイア様。そうですね、前向きに考えないといけませんよね。ノエ様のことになると興奮してしまって」
「ええと、興奮、してしまうの?」
「フレイア様はご存じないですものね。ノエ様は若くて優秀、凜々しい容姿に物腰は穏やかで話しやすい。おまけに忠誠心が高く、国のことを真剣に考えておられる。だからノエ様に憧れている人は多いんです。私も推していますからね」
急に生き生きとノエについて語り出した。だが、しょぼくれて謝られるよりもよっぽど良いなと思う。
「ここだけの話、パトリシオ様が現れる前は、フレイア様とノエ様を推す人達ばかりだったんですよ」
いったい、どういうことだ?
フレイアは意味が分からなくて首を傾げる。そもそも推すとは何だろうと思うし、フレイアはノエのことを知らないというのに、なぜ自分とノエが一緒に出てくるのだろうか。
「あ、分かってませんね、その顔は」
「え、えぇ。もう少し分かりやすく説明してもらえるかしら」
「もちろんです。といっても、簡単なことですよ。眠りにつく麗しい姫君と、それを助けようと傷だらけになる殿方。想像するだけで絵面が良い! ノエ様は何度もフレイア様の元へ通っていたので、皆の妄想も膨らみまくり、いずれ目覚めたフレイア様とノエ様は結婚するのだと盛り上がっていたのです」
「まぁ、そんなことになっていたの」
まさか寝ている間に皆の妄想の的になっていたとは。驚いたけれど、嘆き悲しまれているだけよりは、皆の楽しみの一部になれている方がフレイアとしても気が楽だ。
「ですから……さきほどノエ様が王様の命令で仕方なく廟へ入ったのかとおっしゃられたので、思わず訂正しなくてはと興奮してしまったのです」
やっとサーリャの言動に納得した。手袋の秘密を思わずしゃべってしまうくらい、ノエは真剣にフレイアを起こそうとしてくれていたのだ。知らなかったとはいえ、自分の言動は迂闊だったと反省したのだった。




