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王国の花名シリーズ

月の騎士~秘密の誓い~

作者: 詠城カンナ





   月の騎士―秘密の誓い―









◇・◇・◇・◇



「なにに変えても、お守りします」

 ――あの日、誓ったんだ。俺はこいつの剣になろう、と。なにがあったって、こいつの味方でいてやろう、と。

 それが俺にできる、最大のことだと思ったんだ……。



◆・◆・◆・◆












「だれ」

 ランスロットが王宮の庭園に迷い込んでしまったとき、唐突に頭上から声が響いた。

 様々な花々が咲き誇るなかで、いくつかずっしりと根をはる大木がある。その木陰に入ったランスロットに対し、声は容赦なく責めるように降ってきたのだ。

「泥棒……?」

 だがしかし。ランスロットが驚きに声を発せずにいると、頭上から再び降ってきた声は幾分おとなしくなった。恐る恐る、といった感じで、そっと降ってくる。

 仰ぎ見ると、緑で覆われた天の隙間から、ほっそりとした白い腕がのぞいていた。あ、と思う暇もなく引っ込められたその腕の代わりに、今度は宝石玉のような青い眼がふたつ出てきた。

 しばしふたりは見つめあった――。

 これが、木に登っていた第六王子・アルと、はじめて王宮にあがったランスロットとの出会いであった。






 カスパルニア王国の第一王子はすばらしい、というのが、もっぱら話の的であったころ。そんな光輝くような兄の栄光の陰にありながら、その少年もまた非凡さを思わせていた。

 すくなくとも、ランスロットはそう思っていた。

(絶対なにかある……アイツは特別なんだ。絶対だ!)

 少年のきらきら輝くブロンドの髪を見るたびに、ランスロットは胸が沸き立つのを抑えられなかった。宝石なんかよりももっと輝かしい神秘的な色に、つい目が奪われてしまう。

 しかしランスロットの期待をよそに、第六王子はいつもびくびくとしており、家臣たちからの噂も、あまりいいものではない。それが徐々にわかってくると、どうしても腹立たしくなる。

(なんだ、へなちょこめ)

 ランスロットは何度か心中で彼を嘲笑ったこともある。気弱そうに歪む眼を見ると、失望とともに苛立ちが沸き起こるのだ。

 時たま目にする王子は、たいていうつ向いていた。ランスロットが父について王宮にやってきてから一年と経っていなかったが、それでも王子はずいぶんと臆病だと周りからも評価されているらしい。



「あんな王子の下に、だれがつきたいと思うもんかね。え、君。わたしは君が羨ましいよ」

 白くなりはじめた顎髭を悠長になでまわしながら、男はため息混じりにそう言った。

 この腹がでっぷりと飛び出した男を、ランスロットはよく見かけていた。特に父の部屋にしょっちゅうやって来ては、「わたしは君が羨ましいよ」という言葉を連呼していたので、印象強く覚えている。

 彼は出された紅茶をまた一口すすりながら、さらに肩をすくめ、薄く笑って言った。

「わたしだって、あの方に仕えたくて仕えているわけではないのだ。こんなことを言うのも何だが、他に空きがなかったのだよ……わたしだって、できたら君のように、第一王子さまにお仕えしたいものだね」


 この国の国王には八人の子供がいる。彼らにはそれぞれ後見人として、様々な家臣がついているのだが、なかでもだれもが憧れるのは、第一王子・フィリップの下に仕えることだ。彼の家臣になるべく、大臣や騎士も含め、こぞってフィリップやその母・エレンディアに気に入られようとしていた。

 運よく、城の一番騎士としてフィリップに仕えることを許可されたのが、ランスロットの父である。おまえもいずれはフィリップさまに仕えるのだからと、いつも父に言われていた。

 そんな父には人脈がある。たいてい他の王子の配下にある家臣らが、愚痴や悩みなどを相談にきていたのだ。


「そんなことを言うものじゃない。我らはみなで、この王国を守っていかなくては」

 ランスロットの父は依然として応えたが、顎髭をしきりに触る男は、フンと軽く鼻を鳴らして反発した。

「君はいいさ、アーサー!君は有能で、人望もあって、位も……身分も高い!おまけに第一王子のおかかえ騎士なんだ。不満なんて、あるはずないだろうが。え?そうだろう?」

 男は眉を寄せ、腐った蜜柑を顔にぶつけられたような表情をした。

「ああ、本当にわたしは、君が羨ましいよ。むしろ、憎いくらいにね」

 ランスロットの父は目を細めて肩をすくめ、男に微笑を見せる。何度も言われてきた文句に、もはや応えようがなかった。

「やめてくれよ。ルドルフ、君のほうが地位はある。いや、聞いたよ。もうすぐ大臣に昇格だろう?」

「よしてくれ。どうせ一時的なもんさ。フィリップ王子殿が王位を継いだ暁には、すぐに大臣職だって、君が就く」

 髭を触りながら、ルドルフと呼ばれた男はふてくされたように言った。しかし、「大臣」と言われ、多少なりとも気を取り戻したらしい。いくぶん頬が緩んでいる。

 ランスロットの父、アーサーはおかしそうにくすりと笑ったが、やがて表情を改めた。

「わたしは騎士だ。大臣という職は、わたしには適さない……もし、君がわたしを――周りの者が言うように――『フィリップ王子のお気に入り』だと思っているなら、それは間違いだ」

 アーサーはにこりと笑む。そばにきて話に耳を傾けていた息子をチラと見、頭をなでる。

「そしてもし、フィリップ王子が彼の好き嫌いで家臣を選んでいると思うなら……お気に入りが重要職に就くと、本気で思っているなら――」

 その瞬間、ランスロットは身を震わせた。

 恐怖ではない。言いようのない、期待に近いものからだった。

 父の眼を見、声を聞き、その姿を目の当たりにして、ランスロットは言葉を失って、ただ見入ったのだ。

 アーサーはしっかりとした低い声で、告げた。

「――フィリップ王子を、そんな愚かな君主だとは思わないでくれ」





 * * * 


 ランスロットは昼食に持ってきたパンを、心ここにあらずの状態のまま、ぱくぱくと口へ運んでいた。味もわからず、ただぼんやりと物思いに耽りながら、そして時々カスをこぼしながら食べていた。

 カッと輝かんばかりに照る日の下、ランスロットは暑さを知らぬ人のように、中庭の石段に座っている。じっとして動かず、遠目からは造りたての彫像のように見える。

 ふいに、彼は鳶色の瞳をあげた。

 影が落ち、見上げると、すぐ目の前にひとりの少年が立っている。ランスロットよりも小柄で華奢な身体つきをしており、肌は蒼白い。

 だが、しかし。ランスロットの目を惹いたのは、その瞳の色と髪色だった。

「……頭、痛い……?」

 おずおずと、少年は口を開いた。青いガラス玉のように明るい瞳が、蔭を落とす長い睫毛の下で不安気に揺れている。

 ランスロットははじめ、彼がなにを言っているのかわからなかったが、やがて自分が気遣われているのだと知り、あわてて片膝をついて頭を下げた。

「いえ、大丈夫です」

 ごくり、と唾を飲み込む。表には出さなかったが、ランスロットの心臓は緊張でバクバクだった。遠くから傍観感覚で王子をとやかく言うことはあっても、こんなに間近で接するのははじめてに等しい。緊張しないわけがない。

(見とれてしまった――)

 冷や汗が染み出す。ぼけっとした情けない面を見られたかもしれない。気弱そうではあっても、王子は王子だ。


「……これをあげる」

 少年――王子はそっと声を落とす。やさしく柔らかい、あたたかな声音だ。

 ハッとして顔をあげるランスロットの前に出された小さな手のなかには、淡いピンクの花ビラがのっかっていた。

「きれいでしょ」

 ふふ、と笑いながら、王子は花ビラを指先ではじき、ランスロットに差し出す。甘い香りが漂ってきそうだな、とランスロットは花ビラをそっと受け取りながら思う。

「おまえ、花が好きなんだろ」

 にっこりと柔く、ハッとするような笑顔でそう言う王子に、ランスロットはしばし見とれたが、すぐにあわてて頭を下げる。

「あ、は、はい」

 花は好きかと問われれば、それは好きな方だ。だが、とりわけて好きなわけではない。どちらかといえばランスロットは、剣や弓矢、兜や駿馬などといったものに惹かれている。花をこよなく愛でるのは女と庭師の仕事であり、男たるものはいつも強さに直結するものだと思っているのだ。

 けれど、まだ剣士として未熟なランスロットではあっても、この場で「花は好きですが、剣に勝るものはありません」などと言うほど愚図ではない。自分は花が大好きだと、即座に自身へ刷り込んだ。

「やっぱり。だって、いつも庭で見かけるもの。最初は泥棒かと思ったけれど」

 まったく、この王子の勘違いは甚だしい――これだから兄王子と比べられるのだと、ランスロットは内心ため息をこぼす。容姿だけは異様にうつくしいからこそ、少年の抜けたところが余計に際立ってしまうのだ。

(宝石みたいなのにな。もったいない奴だな)

 ぼんやりとランスロットはそんなことを考えた。幼いながらも、どこか冷たい秀麗さを持つ少年は、知らぬ間に若き騎士の心をくすぐったのだ。

 昔からただ、剣を振るうことだけをやってきた。それだけがランスロットにとって誇りであり、唯一好きだと言えるものだった。


「俺、いつかこの王国でいちばんの騎士になるんです」

 ぽつりと、ほとんどつぶやくようにランスロットは言った。なにを考えたわけでもない。ただ、言いたかったのだ。

「そしたら、王さまを守るんです。どんな敵からでも、絶対に」

 きらきらと輝かんばかりの瞳で語る幼き騎士に、王子はほほえむ。

 言葉はなく、ただ。







 * * *


 アル王子と出会って、一年が経とうとしていた。庭園でよく会うこととなったふたりは、それから他愛のないことを話し――といってもほとんどランスロットが城外で見聞きしたことを話しているのだが――互いに打ち解けていった。アルはときたまランスロットが剣の稽古をしているところへひょっこり現れることがあったが、その表情はあこがれと熱意に輝いていた。


「僕にも、教えて」

 ある日、いつものように父たち騎士が訓練に励む傍らで練習していたランスロットに、ブロンドの髪の少年が言った。ランスロットはチラと少年を見たが、剣を振るう腕を休めずに、黙々と汗を散らす。

「僕もやりたい」

 柔らかな、高値の衣を振りながら、少年は再度言った。この一年で、さらに美少年に磨きがかかったようだ。

「おまえにはまだはやいよ」

 動きをやめ、滴る汗を拭いながら、ランスロットは近づいてきた少年に軽く笑って応えた。男の子というものは、いつも強さにあこがれるものである。戦いにあこがれ、鋭い剣にあこがれる――そうやって国を守ることに、誇りを抱く。

 だが、アルにはまだはやい、とランスロットは思う。年齢もあるが、なにより貧弱な身体で重い剣を振るえるはずもない。万が一怪我をするようなことがあれば、それこそ一大事である。彼はどうしたって、王族なのだ。


(それに、戦うのは俺の役目だ)


 そっと心内で笑う。将来は父のようにフィリップ王子の第一騎士として従うつもりだったが、最近ではアルの配下につくのも悪くはないと考えていた。けれどやはり、第一希望はフィリップ王子に仕えることである。

 そんな考えを笑みの裏に隠しながら、ランスロットは鳶色の眼を王子へ向ける。金に輝く髪の少年に、そっと口をひらいた――瞬間、彼は地面に突き飛ばされていた。

 びっくりして見上げる黒髪の少年を、金の髪の少年が見下ろしていた。その瞳は冷たく、いつもの柔さが消え失せている。

「アル……?」

 恐る恐る、ランスロットは口をひらく。アルが悪戯で突き飛ばすような奴ではないことくらい、知っていた。

 アルはぐっと唇を引き結び、それからランスロットを見下ろしたまま言った。


「僕に、剣を教えろ」


 ――命令だった。それは、頼みなんかじゃない。

 はじめてアルから下された、命令だった。


 突如、言いようのない怒りがランスロットを襲う。裏切られたような、侮辱されたような、そんな気分になる。

 アルの命令は、若き騎士を傷つけた。

「おまえっ!」

 ランスロットは怒り任せに、彼が王子であるということすら忘れ、上等な衣の胸倉につかみかかった。ぐっと力を込め、鼻と鼻がくっつかんばかりに近づく。

 びくっと一瞬身を縮めたアルであったが、すぐに顔をあげる。青い宝石のような瞳が、じっとこちらを見ていた。

「……おまえ……」

 ランスロットは再度言った。それ以上、つづける言葉が見つからなかった。

(俺は……なにを怒っているんだ)

 そっとアルの胸倉から腕を離しながら、ランスロットは鳶色の瞳を伏せる。自分の感情に戸惑い、うまく頭が働かない。

(当たり前のことなのに。きちんとした主ではないにしたって、こいつは王族で……俺はこいつの……)

 愕然とした。さらに困惑が広がる。

(こいつは俺の、友達じゃないんだ)

 なにを馬鹿なことを考えていたのだろう。王子と騎士は主従関係。友人ではないのに。

 ランスロットは、自分がアルと友人であるつもりだったことに驚き、情けなく思った。騎士として、あるまじきことだと思ったのだ。


「強くなりたい」


 よろよろと後退りする黒髪の少年に、王子は絞り出すような声で言う。今度はすがるような、そんな声で。

 ランスロットはじっとアルを見つめる。

『――剣を持つということは』

 頭の奥から、突如唸るような声が轟いた。片隅に埋められていた、記憶の声。あっというまに、その声はランスロットを過去へと誘った。



 ――剣を持つということは。

 顔に刻まれた皺を寄せ、アーサーは見たこともないほど固い表情をしていた。ランスロットがはじめて、剣を教わりたいと言った日のことだ。

 ランスロットには、三人の兄がいた。とても年の離れていた兄弟たちだったため、今では一緒に暮らした記憶もない――たくましく育った立派な彼らは先の戦でみな亡くなったのだ。ランスロットの父にとって、残されたのはまだ幼い息子ただひとりになってしまった。

 だからランスロットは知っている。父や母の嘆きを、痛いほど。

(だから僕は強くなろう)

 幼い時分ながら、彼はそんなことを固く誓ったのを、今でも強く憶えている。

「命をかける、ということだ」

 アーサーは極めて厳しい声音で言う。普段からやさしさに溢れているとは言えない父であったが、このときほど恐ろしく厳しい顔をしたことはなかった。

「命をかける……なんのために?」

 じっと動けずに見上げるだけの息子に、父はにこりともせずに重ねて言う。ただのあこがれだけで剣は持てないのだ――それがひしひしと身に染みる。


「死んでも文句は言えん。剣を手に取るということは、そういうことだ」


 結局、父はなんのために命をかけるのかは教えてくれなかった。それはきっと、自分で見つけるしかないのだ。

 だが、最後に父がつぶやいた言葉は――死んでも文句は言えん――アーサー自身に言い聞かせたものだろう。

 たとえ、息子が死のうとも。どんなに月日が経とうとも。




 ドン、と胸に衝撃を覚え、ランスロットはハッと我にかえった。

「僕に――教えて……強くなりたいんだ」

 アルはランスロットの胸をドンドンたたきながら、歯を食いしばって声をもらす。必死に泣くまいとしているようだったが、すでに目にはいっぱいの涙がたまっていた。

 声が出せなかった。ランスロットにはただなにかを必死で訴える少年を見つめることしかできなかった。それ以上に、言葉が見つからなかったのだ。

「なんで、強くなりたいんだ」

 やがてランスロットは、しゃくりあげる王子の肩に手を置き、視線を合わせるために片膝をつく。じっとそのきらきらした瞳を見つめる。

 しかし、彼は少年の答えを待たずに口を切った。

「おれが守ってやるよ」

 少年は目を丸々とさせて見つめかえしてきた。

「でも……おまえは、フィリップ兄さまの……」

「いいんだ」

 ランスロットはアルの言葉を遮り、きっぱりと言う。強く青い瞳を見、声に力を込めた。

「それでも強くなりたいなら、まっすぐな気持ちで強くなりたいと思うなら――俺が剣術を教えてやろう」


 どうして自分がそんなことを言ったのかわからない。ただ、ぐしゃぐしゃに顔を歪め、必死で自分に訴える少年が憐れだったのだ。つい勢いで「おまえを守ってやる」と言ったが、どうしたものか……。

 ランスロットはつい口走った自分に後悔した。



 翌日から、ランスロットは密かにアルへ剣の稽古をつけた。怪我をさせぬよう、細心の注意を払いながら。

 ランスロットは年のわりに腕がたつと有名だ。同い年の少年たちとは比べ物にならないくらい上達がはやく、自分よりも身体の大きな少年たちにすら、敗けを知らなかったのだ。


「こうか?」

 突きの型を真似ながら、アルが問う。すこし身体を動かしただけなのに、もう汗が額に見える。

(別に、いやじゃないんだ)

 ランスロットは正しい型を実演して見せながら、そっと思った。……アルに仕えるのが、いやなわけではない。ただ、ずっとあこがれていた父のように、ゆくゆくは王になるであろうお人の騎士として戦いたかっただけなのだ。

 アルは曲がりなりにもこの国の王子。されど、第六王子ではとうてい王にまではなれないだろう。

(それにしても……こいつ、いつも暇そうだよな)

 ランスロットはぽつりと不審に思った。アルと出会ってから、ときどき気にかかっていたことだが――アルにはどうやら、王子としての教育がいき届いていないようだった。

 武術はもちろん、振る舞いや勉学についても、王族は様々なたしなみを学んでいかなくてはならない。だが、アルには師たるものは見当たらないのだ。一度聞いてみたことはあるのだが、王子はただ「先生たちは忙しいんだ」と言うだけだった。

(ないがしろにされているんだな)

 ランスロットは同情のまなざしをチラと彼に向ける。

 第七王子や第八王子ははやくに病で亡くなり、今では末っ子はアル王子だ。そんな彼は王の位からいちばん遠いことに加えて、兄王子の栄光に隠れることが多々あった。いつしか具図だと言われはじめた第六王子には、きちんとした教育など受ける価値もないということなのだろうか。

(かわいそうな奴……)

 ランスロットは無邪気に剣術に励む少年を横目で見て、小さくため息をこぼした。






 * * *


 その日の空はどんよりとしていた。厚く垂れ込めた雲間から光はなく、ただ薄暗い天が広がっている。

 ランスロットはふっと軽く息を吐き出すと、そのまま身を屈めて突きの型をとる。冷たい空気が肺に入り込み、頭が冴えてくる。澄まされた感覚のまま、剣を振るって身体を舞わせる――剣の舞だ。

(俺はどうする)

 少しの乱れもなく、きちんと違わぬ型で舞われる舞はうつくしい。だれにも頼ることなく、こびを売ることなく、強く逞しく、鋭い剣の使い手……幼いながらも、ランスロットの剣の舞はそれを完璧に表していた。

(今、あいつの側にいるのは不利だ)

 右に左に、流れるように腕を動かしながら、ランスロットは顔をくもらせた。

(それでも、俺は……)


 第一王子と第六王子の母君が、ふたりそろって不慮の事故で亡くなった。馬車に乗って珍しく王妃ふたりが出かけたその矢先、彼女たちの乗った馬車が崖から転落したという。

 城ではその話で持ちきりだった。特に、第六王子の母が嫉妬のあまり第一妃を殺したのではないか、という噂で。

(いい迷惑だろうな)

 足が止まる。ランスロットは息をつめて動きをやめ、手から剣が滑り落ちるのも気にせずに落胆した。従うべき主を間違えれば、出世は望めない――それは正しいことだ。

(後戻りはできない)

 ぎゅっと唇を噛み、うつむく。この決断が、なにかとてつもないような気がした。


「ランスロット」

 ふいに聞こえた声に顔をあげると、ちょうど手に籠を抱えたアルが走ってくるのが見える。月日は経つというのに、アルにはさして変化は見られない。出会ったころと変わらぬ、どこか儚く、そして惹き付けられる少年だった。

 ここ数ヵ月でぐっと背の伸びたランスロットは、この小さいアルもいつの日か自分の背を追い越すこともあるのだろうかと、不思議な思いで考えるのだった。

 少年は無垢な笑顔でぱたぱたと近づいてくると、うれしそうに口をひらいた。

「見て。ほら、たくさんもらったんだ!」

 きらきら顔を輝かせて、アルは騎士に籠のなかにたくさんつまった真っ赤な林檎を見せた。しかし、赤く色付いた果実は、なぜだか不気味に見える。

 ランスロットはしかし、口角を引き上げて笑みを浮かべた。

「すごいな」

「フィリップ兄さまのお屋敷でもらったんだ!おまえにはやく見せたくて……」

「お屋敷?なんでそんなところに……」

「知らないの?兄さまは『汚いこども』を拾ってきたんだよ」

(汚いこども……)

 くりくりした眼で、きょとんとこちらを見上げるアルを、ランスロットは内心顔を歪めて見つめた。

 一ヶ月ほど前、第一王子が自分の母親の祖国から地位なきこどもを拾ってきたことは、噂で有名になっていたので、ランスロットも聞き知っていた。加えて父のアーサーからもだいたいの話は聞かされていた。なんでもその『こども』は、第一王子の遠い血族にあたるらしい。


「アル、そんな言葉を使っちゃだめだ。いいね?」

 眉をひそめるランスロットに、王子は首を傾げたが、すぐにこくりと頷いた。

「よし」

 頭を軽く撫でてやると、アルは照れくさそうに顔をふせる。ふんわりした光の糸の如き髪が、やんわりと指の間を流れた。

「ねぇ、ねぇ。それより、この林檎を一緒に食べよう。僕――」

「アルさま!」

 くすぐったそうに笑いながら話すアルの言葉を遮って、高く耳障りな声がした。びくっと身を縮めるアルのもとへ、駆けてくる人物らがいた。

「ここにいたのですか。兵舎に近づくなと、どれほどご注意したものか……」

 やってきたのは、黒を貴重とした制服に身を包んだ三人の侍女だった。ひとりはアルの侍女頭を務める初老の女性で、彼女は怒りを露わにした厳しい表情でツカツカと近づいてきた。

「ただでさえあなたは――」

(やばい)

 ランスロットはあわててアルの頭から手をどけた。柔らかな心地よい感触に、ついいつまでも撫でつづけていたのだ。

 しかし、時すでに遅し。侍女はランスロットを汚らわしい生き物でも見るような目でにらみつけた。

「ランスロット!あなた、まだアルさまに……」

 ランスロットは急いでアルのそばに跪き、頭をたれる。

「申し訳ございません」

「まあ、まあ!」

 侍女頭はアルの腕を引いて、引き連れてきた侍女に預けると、顔を真っ赤にして黒髪の少年をにらみつけた。腰に手をあて、震える声で話し出す。

「この方は仮にも王子です。騎士ごとき身分のあなたが、やすやすと触れていい方ではございませんわ。それに、隠れたところでは口の利き方もなっていないと噂ですわよ」

 王子には敬語を、と言われつづけていた。はじめはランスロットだってそうしていたのだ。しかし、アルはよそよそしさを望まなかった――兄のように、親しく語りかけてやったほうが、ずっとうれしそうに笑うのだ。

 けれど、いつまでも『子供だから』が通用するわけではない。すくなくとも、人のいる前ではなるべく言葉の使い方には気を遣っているはずだった。

(つい、クセが出ちゃうんだよな)

 侍女は反応を示さないランスロットを罵るべく、嘲りともとれる笑みを浮かべながら口をひらく。

「アーサー殿は、さぞご自慢でしょうね?自分は第一王子に気に入られ、息子は第六王子を家来にすべく取り入っているのですから」

 そんなの、言いがかりだ――叫び出したい衝動をなんとか堪え、ランスロットはぐっと拳をつくって地面を見つめつづけた。小さな虫が地を這っているのに集中し、なるたけ怒りを別方向へ向けようと試みる。

(だめだ、耐えなければ。どんなに言ったって、この人たちには伝わらない)

「わたくしたちを嘲笑っているのでしょうよ。第六王子の世話しか与えられない……こんな末端の仕事しかもらえない、わたくしたちを――」


 考えるより先に、想いに突き動かされていた。

 ランスロットは持っていた剣を、老侍女の首に突きつけていた。


「それ以上、そいつの侮辱は許さない」


 冷たい、目が合ったら凍ってしまうような眼をした少年が、すらりと不気味な輝きを見せる剣を手に、立っていた。声はナイフのように柔らかみの欠片もなく、突き刺すような雰囲気にその場は包まれる。

 動く者はない。恐怖に震える侍女たちと、呆気にとられている王子と、殺気を露わにした騎士は、動きもなく立ち尽くしていた。

「生意気なっ。どうせ王の駒でしかないくせに!」

 やがてがたがた震えながらも、侍女頭は捨て台詞を吐いて、他の侍女と逃げるようにその場を去っていった。


(そっか)

 ランスロットはハッと息を吐くと、首を左右に振って身体を伸ばす。ぴりぴりした冷たい空気は消え、急に空気が軽くなる。

(これが、俺の気持ちなんだな)

 ぼうっと突っ立って自分をながめている王子に近寄り、ランスロットは軽く笑いかけた。





 * * *


 満月が、灰色の雲間からぬっと現れた。白いベールに包まれたまま姿を見せた黄金の球は、そこになにを住まわせているのだろう?

 ランスロットには、昔から満月は人の顔に見えた。ときどき怒っていたり、泣いていたり、不気味に笑っていたり。

 冷たくなりはじめた夜気に息を吐き出し、彼は兵舎から出て空の動きをながめていた。


(あいつ……なんで、強くなりたいなんて言ったんだろう)

 空では風が強いのだろうか。雲ははやくに流れ、出てきたばかりの満月を隠しはじめる。やや寂しい気がして、ランスロットはじっと動かずにそれを見つめた。

(なんのために)

 ずっと胸のなかにあった。ときどき、無邪気な笑顔を見せるようになったアルを見つめながら考えるのだ――偽りではないか、と。

 剣を教えろ、と言ったアルの声が、いまだに耳から離れない。瞼をとじれば、彼の泣いた顔が浮かんでくる。なにかに必死でしがみつこうとしていた王子に、ランスロットは痛みを覚えていた。

 母親が死に、自殺ではないかという噂さえたっていた。それでもアルは涙を見せはしなかった。荒れた様子もなかった。葬式のときでさえ。

 落ち込み、母を突然失ったことにショックを受けているのはむしろフィリップではないかと、ランスロットは考える。気丈に振舞ってはいるが、フィリップ王子の笑顔にはこのごろ陰りが見えるような気がしていた。

 だが、しかし。アルはどうだろう?

 まだ十歳にも満たない子供なのだ。それなのに、泣きも喚きもせず、淡々と仕事をこなすように笑っている――そう思えて仕方がない。

(あのときから、変だった……いや、もしかしたら、もっとずっと前から……)

 強くなりたい、という想いは、どこからきたのだろう。漠然と抱くものなのだろうか。すくなくとも、ランスロット自身には軸のような想いがあった。


 ――俺は、死なない。強くなる。だれかを守る盾となり、敵と戦う剣になりたい――


 息子を亡くして悲しむ親の姿は、もう見たくなかった。父のように、主から信頼される騎士になりたかった。

(このままじゃ、だめだ)

 ぐっと天を仰ぎ、月のなくなった空をにらむ。心が、苦しかった。

(俺はアルの騎士じゃない。そんな資格、ない)

 なぜ、自分はアルに仕えたいと思ったのだろうという想いは、ずっと胸の内にくすぶっていた。本当は第一王子に仕えるつもりで国の騎士団に入ったランスロットは、まさか自分が第六王子の騎士になろうとは思いもしなかった。

 ずっと特別だと感じていたのは事実だ。あのうつくしい容姿や青い瞳は人を惹きつけ、同時に拒ませる。神秘的な、目が離せないうつくしさを持った王子に、興味がわいたのもまた事実。

 されど、自分の『王に仕える』という夢をなげうってまで、第六王子に仕えたいとは思わなかった。

 父はなにも言わなかった。それが余計、ランスロットを困惑させた。王の第一騎士になれなくとも、父は自分を一人前だと認めてくれるだろうか?


(この気持ちが、忠誠心ならばいいのに)

 ぎゅっと心臓のあたりを握りしめ、少年はうつむく。暗い影が、落ちてくる。

(アルは友達じゃない。関係を築けるとすれば、主か否かだ)

 泣きたくなった。それでも唇を噛みしめ、嗚咽を呑み込む。

 笑顔で近寄ってくるアルに、好意を抱かないわけはない。実際、弟のようにかわいいのだ。

 けれど、もはやその笑顔すら真実ではないかもしれないのだ。道化のように笑顔を貼り付けたかわいそうな子供にしか、見えないのだ。

 あの笑顔が偽りかもしれないと思うと、胸は張り裂けそうだった。

(俺はアルに頼ってほしいと思っている……俺の前でだけは、泣いてもいいし、喚いたっていいんだ)

 他の人間に見せるような笑顔はいらない。ただ、本当の感情を見せてくれればいい。

 しかし、そう思うことすら、憚られるのは――やはり自分の気持ちがわからないからだ。忠誠心からアルを心配するのではないからだ。


(同情なんだ、俺の気持ちは)


 本当にアルに仕えたいなら、第六王子の騎士になりたいなら、同情で動いてはいけない。それは偽りであり、本当の主と従者の関係ではないのだから。

 ハッと顔をあげる。いつの間にか、再び月が顔を出していた。

(そうか……そういうことだったんだ)

 月光が降り注ぐ。黒髪の少年を、嘲笑うかのような、不気味な笑みを振りまきながら。

(俺の気持ちが同情だから――偽りの忠誠心だから、アルは俺に本心を見せないのか)

 いつからだろう。アルの笑顔が偽りに見えてきたのは。この自分の心が、苦しんでいるように感じてきたのは。


 複雑に絡み合っていた糸が解けた。そうすると、いてもたってもいられない。

「アル……」

 ランスロットはぽつりとつぶやくと、急いで兵舎を抜け出した。




 * * *


(やばい、やばい)

 ふっと息を吐き、少年は冷や汗をぬぐう。巡回している兵士に見つかるまいと草陰に身を隠し、息を殺す。

 アルの部屋は離れにある。奥の、いちばん日の当たらないところだった。庭園を回り、こそこそと足を忍ばせて進入したランスロットは、目的の部屋の真下までくると、どうしたものかと途方にくれた。


 アル王子の部屋のバルコニーが見える。出てきてくれないだろうか、などと都合のいいことを考えたとて、そうそう運よくなるはずもない。かといって勝手に部屋に侵入することもできないし、大声で名を呼んだって見張りの衛兵に捕まるのがオチだ。

(もう真夜中を過ぎているしなぁ)

 明日話せばいい、と思うのだが、なかなか足は帰路につこうとしない。今日、今、このときを逃してはいけないような気がするのだ。

(アル、アル)

 ランスロットは必死で念じながら、アルに呼びかけた。

(俺、もうやめるから。おまえの騎士、やめるから。そうしたら、おまえは気兼ねなく笑ってくれる……?)

 ランスロットは目を疑った。あわてて驚きに声を発しそうになった口を押さえ、まじまじとそのバルコニーを見つめた。

 暗い闇夜のなかでも、はっきりと見える。ブロンドの髪をした少年が、そっと外に出てきた姿が。

(アル)

 声をかけようとした。そして、話すはずだった――だが。

(アル?)

 バルコニーのふちに膝を抱えて座り込み、王子はそのまま銅像のように動かなくなった。しかし、よく目を凝らせばその肩がわずかに震えているのが見える。

 声をかけるつもりだった。それなのに、声が出なかった。

 やがてアルは顔をあげ、もぞもぞと動き出す。服の内側からなにかきらりとする金色のものを取り出し、祈るようにそれに額を押し当てていた。


(アル……王子)


 ランスロットは固まったまま、その光景を見上げていた。








 * * *


 王妃ふたりが亡くなってから、三年が経った。ランスロットがアルと出会って五年が経とうとしていた。


 いつものように稽古に励んでいるランスロットの元へ、きちんとした王族の正装に身を包んだアルがやってきた。あのころから変わっていない――たぶん、ずっと変わっていなかったアルを見つけ、ランスロットは軽く会釈した。

 ランスロットはこの三年で、うまく表情を隠すことを学んだ。アルを見ると胸の苦しみが――一種の激しい同情が――わき起こり、止めようもなかったのだが、必死でそれを覆い隠し、王子と一定の距離を置いて付き合えるまでにいたった。

 アルははじめ、ランスロットのよそよそしさに驚いたようだったが、すぐにその態度も気にしないように振舞い、思ったとおりショックは受けていないようだった――表面では。

 ランスロットはときどき、夜中に兵舎を飛び出してアルの部屋のバルコニーを見に行くことがあった。すると決まってアルがそこにいて、泣いているかうなだれているかをしているのだ。最後には懐から金の鎖でつながったロケットを取り出し、額に押し当てる……それが王子の習慣であると知ったのだった。

(アル、ごめんな)

 苦い想いで、いつもランスロットは謝っていた。

(だけど、同情からくる忠誠心じゃ、主を危険にさらすだけだ。本当に危険なとき、俺はおまえを守ってやれない)

 ランスロットはアルに、第一騎士を降りるとは言わなかった。正しくは言えなかったのだが、それでもアルならば気づくだろうと考えていた。


「ランスロット」

 アルはランスロットのよそよそしい会釈に一瞬顔を歪めたに見えたが、すぐににこりともせずに口をひらいた。

「ランスロット、父上が死んだ」



 やはりこの人は泣かないのだ。彼は一瞬時を忘れ、まじまじとアルを見つめる。

 城中は王の突然の死で大騒ぎだった。流行り病だったらしいが、それにしても急なものだったのだ。みな深刻な顔、不安な顔、泣きそうな顔つきでいるなかで、アルだけは無表情でじっと彫刻のように表情を崩さない。まだ十二歳であるというのに。

(いつの間にか、大人になったのかもしれない)

 ランスロットは遠くから王子を見やり、唇を噛んだ。

(俺は、あいつは偽りの笑顔を向けるようになったと思っていたけれど……本当は出会ったときから、ああいう笑顔しかしなかったんだな)

 アルは歳のわりに、充分大人過ぎるのかもしれない。だが、しかし。もしかすればそうではなくて――。

(ただ、感情をなくしてしまったピエロのような奴だとは、思いたくない)

 無意識に拳を握りしめ、彼はひとり苦い想いで立ち尽くした。



 不幸は重なるものだ。

 そして、はじめてランスロットは『彼』を垣間見るのだった。ずっと心に引っかかっていた、はじめて見る『アル』を。







 * * *


「馬鹿言わないでよ、ランスロット」

 がたがた震える少年に、ランスロットは目を向けていられなかった。苦しくて、言葉がつっかえる。そして、目の前にいる少年に衝撃を覚えた。

 第一王子フィリップが死んだ――その報告をしに、アルの部屋へ参上したときのことだ。

 フィリップの第一騎士であったランスロットの父・アーサーは、すぐさま事実確認をし、様々な対処に当たっていた。あんなに取り乱した父を、ランスロットははじめて見た。

 よほど兄王子の死がショックだったのだろう。アルは肩を激しく揺すぶり、ランスロットに詰め寄る。

「本当に?ねえ、本当に?」

 王子の手には、金色のロケットが握りしめられていた。甘いような、独特の香りが放たれている。

「ほ、本当です。今、俺の父も必死で捜索していますが……」


 ――泣くな。おまえには俺がいるから、泣くな……そんな言葉が胸に押し寄せる。だが、言えやしなかった。

 そんな無責任なこと、言えるはずなどなかった。


「そう、本当に……本当だったんだ。夢じゃ、なかったんだ」

 アルはがくりと膝を床につき、うつむく。母親の死でさえ、父親の死でさえ、あんなに表情を、感情を皆の前で出さなかったアルが、今、まるで別人のように悲しみに沈んでいる。どうしてなのか、わからない。ランスロットはただ、そのはじめて見るアルに衝撃を受け、それ以上なにも言えなかった。

「ふ、ふふ」

 膝を抱えて座り込み、アルは力なく声をもらす。握られていたロケットは、小さな手からするりと滑り落ちて転がった。

 瞬間、ランスロットは目を見開く。雲間から突如現れた満月が、不気味にニヤリと笑ったような気がした。


「アル……」

「死んじゃったんだ」


 思わず駆け寄り、よそよそしさなんてかなぐり捨てて、ランスロットは脆く今にも壊れてしまいそうな少年の瞳を見つめた。

 ――不気味だった。目の前にいる少年は、自分の知らない人間だ。アル王子なんかじゃない……兄が死んでうれしそうに笑うなんて、そんなこと、アルにできやしない。


「ああ、ランスロット」

 金髪の少年は騎士の肩に手をかけ、にこりとほほえむ。

「どうして泣いているの?」


 もう、我慢できなかった。

(俺のせいだ……離れちゃ、いけなかったんだ)

 涙は止めようもなく次から次へと流れてくる。胸が押しつぶされそうで、息をするのも難しくて、ランスロットはただただ抱きしめる腕に力を込めた。

「泣かないで、ランスロット」

 ぽんぽんと黒髪をやさしくたたいて、王子は笑う。

 見たこともない、無感情の笑みで。


(なんで俺は、こいつから離れようとしたんだ。こいつはずっと、ひとりだったのに)

 アルの白い衣にぽたぽたと涙を落としながら、ランスロットはしがみつくように抱きしめる。

 もし今ここで彼の手を放せば、すぐにでも崩れ去ってしまう気がした。なにが崩れるのか、壊れるのかわからない。それでも、この胸に空いた重い痛みが本物であると、ランスロットは頭の片隅で悟った。

(アル、もう、離れないから)

 なにが彼をこのようにしたのだろう。いつもびくびくしていたアル。悲しみを顔に出さなくなったアル。嘘か真かの笑顔のわからないアル……どれが本物で、どれが偽りなのだろう。

 なぜ、自分は彼と距離を置いてしまったんだ――今更後悔したって遅い。

 自分は王子の騎士である資格がないと思った。同情や憐れみから王子を守ると誓ったとて、本当に危険が迫ったとき、自分の命をかけられるだろうか。絶対の選択を迫られたとき、逃げずに迷うことなくアルを選べるだろうか?

 自信がなかったのだ。アルに忠誠を誓う自信が。


「アル、ごめん……ごめん、アル……」

 結果的に、自分は逃げた。アルから、そして揺れ動く自分の弱さから。

「俺、アルの騎士にな――」

「いらないよ」

 騎士になる、と言いたかった。今度こそ、おまえを守る騎士になると。

 しかし、少年はランスロットが言い終わるまえに、冷ややかに拒絶した。笑みは消え失せ、再びあの固い表情になる。

「ランスロット、いいよ。僕には兄さましかいなかった」

 アルはランスロットから身体を離し、そっと立ち上がった。いつの間にか空には夕闇が迫り、桃色と紫紺の雲が縞模様をつくって浮かんでいる。

「ランスロットが僕から離れたがっているの、わかってたよ。だから僕はおまえをあきらめた」

 背を向け、少年はバルコニーに近づく。赤い夕日は彼方へと去りかけ、遠くから黒い雲が手を伸ばしはじめている。

「母さまもいないし、僕には兄さまだけが残った――ううん、ちがう。母さまがいなくなったから、兄さまが僕を見てくれるようになったんだ」

 アルは足元に転がっていたロケットをそっと拾いあげると、それを降り注ぐ夕焼けの光にかざした。金色のロケットは、王子の柔らかな髪とともに光にきらりと反射する。

「でも、その兄さまもいなくなっちゃったね」

 くすくす笑い声をたてて、少年はさらに言う。


「いいんだよ、別に。僕は兄さまがだいきらいだったから」


(そんな――)

 目が離せなかった。今目の前にいるのが、ずっと見てきたアルだとはとうてい思えなかった。無邪気さを感じさせていたアルはどこにもいない……。

(最初からいなかったのかもしれない。俺は本当のアルを知らない……)

 胸に鈍い痛みが走る。自分にはなにもできないのだと、突きつけられた気がした。


「ねぇ、ランスロット」

 アルはくるりと振り返った。

 口の端に、笑みを浮かべながら。


「今度はおまえが、傍にいてくれるんだろう?」






 * * *


 ――騎士なんかいらない。ただ、傍にいてくれればいい。

 ――好意なんていらない。どんな感情を僕に抱こうとも構わない。

 ――ただ僕を見てくれればそれでいい。それだけで、いいんだよ。


 ――騎士なんか、いらないんだから。




(間違ってるよ、アル……)

 叢に寝そべりながら、ランスロットは両手で顔を覆い隠し、ふっと息を吐いた。虫がそばで鳴き、風がそよそよと髪をなぶる。

(俺はただ、本当のアルが見たいだけなんだ)

 これは自分勝手なわがままだ。勝手に守ってやると言いながら、勝手にアルから離れ、勝手にまた騎士になろうとしている。自分の都合のいいように動く、なんと醜い人間か。

(どうすればいい……どうすれば、アルは――)

 ごろんと寝返りをうつ。いつの間にか静寂の空間が広がっていた。




『……ランスロット』


『だれ……泥棒?』


『おまえ、花が好きなんだろ』


『僕に剣を教えて』


『強くなりたい』


『はやくおまえに見せたくて……』


『この林檎を一緒に食べようよ!』


『……父が死んだ』


『本当に?ねぇ、本当に?』


『死んじゃった』


『どうして泣いているの?』


『いらないよ』


『僕には兄さましかいなかった』


『だから僕はおまえをあきらめた』


『僕は兄さまがだいきらいだったから』


『今度はおまえが、傍にいてくれるんだろう?』


『ランスロット――』




 今宵は満月。雲はなかった。



「くそっ」

 ランスロットは舌打ちをすると勢いよく起き上がり、アルの部屋をめざして走り出した。ぐだぐだ悩んでいることは性に合わない。ならば、さっさと行動すればいいだけのこと。

(わからないことだらけだ。アルのことも、自分のことも。だけど――)


 バルコニーでひとり、泣いていたのは真実だ。

 花をくれたことも、林檎を一緒に食べようと言ってくれたことも、笑いかけてくれたことも。

 全部、全部、思い出のなかにある欠片のようなひとつひとつのアルが、他のだれかであるはずはない。

(本当のアルだとか、そうじゃないとか、関係ない)

 同情なんかじゃない。今、アルのために走っているのは、決して同情からくるものではない。

 たしかに、彼を憐れんだことはあった。それでも、アルから遠ざかったこの数年は、ランスロットにとって非常に苦しいものだったのだ。

 ずっと、アルを侮辱するなと怒った気持ちは同情からきたのだと思っていた。それが自分の気持ちであり、そんな想いしか持っていない騎士など不要だと決めつけた。そうやって、自分の見えない気持ちから逃げた。

(でも、ちがうんだ。俺は、アルが大切なんだ)

 走る。必死で、そこまで。

(俺はあいつの家臣になりたかったわけじゃない……俺は、友達になりたかったんだ)

 弟のような、無二の親友のような、そんな存在。意識しなくとも、大切だと思える存在。


(同情でも、いいや。あいつはかわいそうだ。だから、俺がそばにいてやればいい)

 アルへの忠誠心は、同情だけからだったろうか?それは、偽りの心だろうか?

 騎士なんていらない――そう言ったアルの顔が脳裏に浮かび、ランスロットはぐっと奥歯を噛みしめた。

(そんなこと、言わせないからな!)





 * * *


 幸か不幸か、例のバルコニーに王子はいた。相変わらず膝をかかえ、じっと身動きせずに月をながめている。

(きれいだな)

 一瞬、ランスロットはすべてのことを忘れ、月光に照らされるうつくしい王子に見入った。はじめて見たときから惹かれていた、その不思議なうつくしさ。まるで宝石をながめているような、そんな気分になる。

(俺、こいつのことを守りたいな)

 無意識に、ランスロットはそう思った。そしてそう思った瞬間、気分は晴れ晴れとし、いつもは不気味だった満月も、今夜は最高にうつくしく見えた。


「アル!」

 ランスロットは、部屋の真下までくると、バルコニーを見上げながら呼んだ。

「アルティニオス!」


 よほど驚いたのだろう。王子はばっと顔をあげ、きょろきょろと辺りを見回す。やがて大きく手を振る、シャツの上から深緑の衣を着ている少年を見つけると、目をぱっちりと見開いて立ち上がった。少年の黒髪は闇に溶け、彼の輪郭が妙にぼんやりとして見える。

「ランスロット……?」

「俺、おまえの友達になりたかったんだ」

 なんの前置きもなく、ランスロットはよく通る声で、アル王子だけをまっすぐに見て言った。

「本当のおまえを知りたかった。でも、俺は自分自身の気持ちすら、正しく理解できちゃいなかったんだ」

 ぎゅっと胸に手をあてる。ずっと鈍く響いていたあの痛みは、同情よりも憐れみよりも、もっと深い気持ちだ。

 ただ、アルが好きだった。純粋に、この少年の笑顔を見るのが好きだった。

 それなのに、いつも変な野望が頭をもたげては邪魔をする。『王に仕えたい』という価値のない夢に、惑わされていた。

「王に仕えたかった。おまえは第六王子だし、友達とか、弟みたいな存在だった……だけど、おまえは俺がそばにいることを望んだろう?」

 力を込めて、その明るい青の瞳を見つめる。揺るがない、強い気持ちを込めて。


「じゃあ、俺は騎士になる」


 バルコニーのふちに手をかけ、アルは突き動かされたように黒髪の少年を見つめた。夜気の寒さと高揚した気分に頬は赤らみ、どこまでも濁りのないまっすぐな鳶色の瞳をした少年を。

「俺は騎士だ。それ以外のなにものでもない」

 アルの喉から、小さく声がもれる。詰まっていたなにかが、どっと押し寄せてきたように。

「みんなの前では、ちゃんと敬語を使うし、態度も改める。でも、今までのぎくしゃくした関係はいやだ」

 月光がベールのように揺れながら、王子の髪を照らした。その青い瞳が、宝石のようにきらきらと光っているかに見える。

「おまえのそばにいる。盾となって守り、剣となって戦う騎士になろう」

 ブロンドの髪は、瞳の色より濃い青の服によく映えている。蒼白い肌は、真夜中の暗闇にもうつくしく浮かび上がっている。

 月の下に立つ王子は、まるで別世界の生き物のようだ。

「本当のおまえだとか、偽りの笑顔だとか、そんなのどうでもいい。俺が見て、俺が信じたアルが、俺のなかで本当のアルだ」

 陰を落とす長い睫毛の奥から、青い瞳が揺れている。そして刹那、そこからぶわりと涙があふれた。

「おまえが俺のことを嫌いでもいい。それでも、そばにいてやるから」

 ランスロットはその場で片膝をつき、すっと見上げてアルを捉える。

「離れてなんか、やらないからな」

 ぐっと拳を握り、息を吸い込む。そのまま頭をたれ、腰から剣を抜いた。

 アルの目が、大きく見開かれる。涙に濡れた顔には、もはやあの不気味さはない。


「誓う――ランスロット・オゥザ・トゥラスは、アルティニオス・ル・ド・カスパルニア王子に、一生仕えることを、ここに誓います」


 剣をぐっと頭上に掲げ、ランスロットは口角を引き上げた。気分は清々しく、迷いも後悔もない。ただうれしくて、仕方がなかった。



「アル、俺をおまえの第一騎士に選べ!」



 王子の目からはたくさんの涙が零れ落ちる。顔をぐしゃぐしゃに歪め、あの金のロケットに額をくっつけて嗚咽をもらす。騎士もまた、小さな雫を目からぽろりと落としていた。








 * * *


 燃えるような赤毛の少女を見つめる主を見やり、ランスロットは含み笑いを浮かべた。

 騎士になると誓ってから六年――今では立派な王子の第一騎士として過ごしているランスロット。今日も王子に付き従い、亡き第一王子の遺した屋敷の前を通りかかったところだった。


「あいつの名前……スー、だっけ?」

 アルは無表情のまま尋ねてきた。屋敷の庭で花々に水をやっている少女に目をやり、ランスロットも鋭いまなざしのまま、こくりと頷く。

「ふぅん……なあ、ランスロット」

 アルはいまだ赤毛の少女を遠くからながめながら、ぽつりとつぶやくように声を落とす。口元をにこっと引き上げ、目を細めて。


「そろそろ、召使がほしいなぁ」


(また、こいつは……)

 内心苦笑しながらも、ランスロットはまたひとつ頷いた。

 アルはフンと鼻をならし、満足そうに笑みをこぼすと、そのまま踵を返す。相変わらずうつくしい容姿に、どこか冷たさを加えたアルの背を見やり、ランスロットは知らぬ間に小さく笑んだ。



(おれはあいつを守っていこう……なにがあっても、あいつのそばにいよう)

 月夜のようにうつくしく、孤独な寂しさを秘めた主。

(俺は誓う)

 アルの悲しみも、辛さにも気づかないふりをして、それでもそばにいてやろう――それを彼が望んでいるのならば。

(あいつに心の支えができるまで。本当の笑顔を見せるまで……ずっと)



「来いよ、ランスロット」

 アルは振り返り、ぶっきらぼうに呼ぶ。

 ランスロットは笑みを隠し、腰にさしている剣の柄にそっと触れた。



 ――誓うよ、アル。


足を踏み出し、その背を追う。

「承知しました、王子さま」




 ――おまえの騎士に、なることを。



 秘密の、誓いを。












   【終わり】











  あとがき



 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

【月の騎士―秘密の誓い―】は、【王国の花名】の外伝(外伝Ⅱかな?)のような感じで書きはじめました。

 本編ではなかなか語れないだろうなぁと思ったふたりの関係を書け、満足しています。


 この二人を書いているうちに、いろいろなことが発見できました。ランスロットという人物がどんな奴なのか、改めて知った気がします。また、アルの過去……本編で語る前に書きそうになるほど、夢中で書きました。

 あとはランスロットの本名も決まりましたし笑


 アルにとって、ランスはどんな存在なのか?それはここでは言葉で語ってはいない(つもり)です。ランスは彼の「騎士になりたい」という想いを持っていますが、果たしてアルは……。

 アル王子の気持ちが、読んで伝わればいいなぁと思っています。つ、伝わったかなぁ(汗

 

 ランスのおちゃめな部分、それからいちばん収穫があった発見は、彼がスーと似ているということでしょうか。

 本編を読んでくださった方は気づいたかもしれませんが、若きランスロットは、スーと同じ悩みを抱いたのです。



 結果的に、表でも裏でもアルの支えになろうと決意したランスロットですが、こいつもなかなかつかめないなぁ、なんて書きながら思いました(笑



 本編は第一部終了ということで、この短編を書かせていただきました。思ったより、やはり長くなってしまいましたが(^^;)自分では楽しくノリノリで書けたように思います。

 読んでくださった方にも、すこしでも楽しんでいただけたなら、幸いです。




 それではまた、【王国の花名】で彼らの成長を(するかなぁ汗)見守っていただければ嬉しいです。


 楽しく書けました!

 最後に、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。


   2009.10.12



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― 新着の感想 ―
[一言] どうもです。評価依頼ありがとうございます。 王国系の話はどうにも苦手で、評価に困りました。というのも、同じような話が多く、どこからが「オリジナリティ」と呼ばれるような領域に入るのかいまいち…
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