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別式女、早桃

作者: 林海


 別式女、すなわち武を()って身を立てた女のことである。

 別式女は、熊女、猪女と蔑まれようとも、強ければよい。

 武の道は厳しい。「女だから男には負けた」などという言い訳が、誰に対しても許されるはずがない。武とは、身体の大小、歳、性別を超えて、なお勝たねば意味がないのだ。



 父母が虎列刺(コレラ)で急死し、娘独り残された早桃(さもも)は、泣く間もないままに立花の家の断絶の処置の知らせを受けた。

 養子の手続きも間に合わず、跡継ぎがいない下級武士の家としては、あまりに当然のことである。


 だが、早桃という娘個人にとっては、覚悟していたとはいえ生死に関わる問題であった。

 家柄もそう良くはない。器量もようやく人並み。家が豊かであるはずもないから、琴や書などの秀でた技も持たぬ。これでは、乞われて玉の輿に乗ることも叶わぬ。

 唯一、亡き父から初歩のみを手ほどきされた剣術は筋が良いと褒められたが、これとて、武家に生まれた娘として最低限の嗜みであり、世辞にも「強い」とは言えない。

 


 早桃は葬儀の後、初七日の間悩んだ末、女の身でありながらも身を立てられる一つの道筋を見つけた。

 そのために早桃は家財のすべて売り払い、その金を以って山中の一軒家に籠もった。そして、ひたすらに打物、弓、水練に小具足と、日夜鍛錬を重ねた。

 御家断絶で残された身、今まで暮らしていた藩宅には住めぬ。なので、このようにせざるを得なかったのだ。

 ただただ、「お前は筋が良い」という亡き父の言葉だけを頼りに、である。

 その父とて、御門番衆の一人に過ぎず、決して手練と認められていたわけではないのだが……。



 とはいえ、成算はあった。

 藩では、4人の別式女が勤めていた。

 この度、そのうちの1人がお役目御免になったことから、新たなお召し抱えが望めるかもしれないと早桃は考えたのである。


 新たなお召し抱えがなかった場合、またお召し抱えがあっても、他の者が召し抱えられた場合は早桃は路頭に迷う。

 そうなったら、最悪、藩内の宿場町で飯盛女という未来も容認した決断であった。

 安寧に生きる選択をするのであれば、自由になる金を尼寺に布施し、同時にそこで出家した方が食いっぱぐれはない。ただ、それは武門に生まれた早桃の意地が許さなかった。

 たった一度の試みでよい。早桃は、己の力で生きるために足掻きたかったのだ。



 別式女の勤める所は奥である。

 藩主以外は男子禁制の場所である奥は、当然そこにいる女性が守ることになる。

 侵入してくる賊は男が想定されるから、それに勝てねばならぬ。なので、別式女は奥女中に武芸指南を行いながら、自らも戦い抜くのが役目だ。

 

 早桃の考えでは、奥のお手付きの女中が身籠っている今、別式女を減らしたままとは思えない。それでも藩財政が厳しい折、生まれた赤子が姫であったら別式女の人数はそのまま三人に据え置かれるかもしれない。男子が生まれることを、早桃はひたすらに祈った。



 血反吐を吐く思いの鍛錬の七ヶ月が過ぎた頃、桃の花に合わせるように奥で赤子が生まれた。結果として男子だったことから、ついに別式女の推挙のお声掛りが早桃にあった。御家断絶後の早桃の身の振り方は、それなりに藩内で噂になっていたのだ。

 武門の誉れと称える者もいれば、女の身で愚かしいと貶す者もいた。ただ、同じ武士の家の者たちである。笑う者だけはいなかった。


 あとは藩剣術御指南役と立ち会い、腕を認められればお召し抱えである。

 さすがに指南役に勝てとは言われていないが、無様な戦い方だけは見せられぬ。そして、そこには早桃の器量も家柄も、御家断絶の悲劇も考慮されることはない。

 生まれたばかりの若君をお守りできない別式女を推挙したとなれば、藩剣術御指南役としても面目が立たぬからだ。



 数日後、藩家老臨席のもと、天幕をはられた城中本丸広場に早桃はいた。他にも一人、推挙された娘がいる。


「まずは、立花早桃殿」

 そう呼ばれて、木剣越しに指南役と相対し、瞬の間に早桃は己の敗北を悟っていた。

 剣の厚みが違う。風格が違う。積み上げてきたものの量が違う。

 この七ヶ月の間、常に身体に寄り添わせてきた手中の枇杷の木剣が、ただの爪楊枝ほどの頼りなさに堕した。


 己の力量では、いかな姑息な手を採ろうとも決して届かぬ(いただき)

 この七ヶ月は全くの無駄であった。

 亡き父の言った「お前は筋が良い」という言葉、娘に掛けたその優しい言葉の残酷さを早桃は思い知っていた。


 早桃は大きく飛び退り、礼法に沿って木剣を己の右側に置いて平伏した。


 周囲からの、「期待外れな……」という呟きが早桃の耳朶を打つ。一合だに打ち合わぬまま全面降伏し、平伏したその姿に周囲からは白眼が向けられ、あまつさえ嘲笑すら湧いていた。卑怯と臆病は武門の名折れである。嘲笑は当然のことと言えた。

 早桃は下唇を噛んで耐え、無言で平伏を続けた。


「次、千代女殿っ!」

 進行役も早桃に苛立ったのだろう。平伏する早桃を追い立てる言葉には険があった。


 次の千代女と呼ばれた者は、女だてらに魁偉な男と見紛うばかりの体躯であった。

 指南役と向き合うなり、裂帛の気を発し打ちかかっていく。だが、音高く木剣を弾き飛ばされ、呆然と立ち尽くした。

 これを以って、試武の立会いは終わった。


「さて、これより合議に入り、召し抱える者を決定する。そのままこの場で待つように」

 藩家老の言葉に、その場にいた者すべてが礼で応えた。


「立花は、山籠りまでしたと聞いたが、全くの期待外れ。

 あれでは物の役に立たぬ」

「恥を知らぬ、なかなかに良い土下座っぷりだったではないか。

 それに対し、千代女殿のあの体躯、御指南役と一合とはいえ打ち合いし腕、最早決まりであろう」

 ざわざわと、下馬評が声高に交わされる。

 早桃は、蒼白な顔色のまま下唇を噛んだ。これでは、この先城下に住まうことすら叶うまい。



 四半刻後、藩家老と剣術御指南役が現れた。

 ざわめきは一瞬で消え、藩家老の言葉を待つ。

「立花早桃殿、三日後より勤められたい」

 ざわっ、と空気が動く。この決定に、不審を感じている者が多いのだ。


「なぜでございますか?」

 これは千代女、自らの問いである。

「相対し、相手の力量が読めぬは話にならぬ。

 わしは、そなたと打ち合ったのではない。ただ、その木剣を叩き落としただけのこと」

「お言葉では御座いますが、なんの手向かいもせずでは若君をお守りできず……」

 と、さらに千代女が言いつのるのを、指南役は厳しい声で圧した。


「立花はわしから離れて平伏し、決して後ろ襟を見せるような真似はしなかった。これは座礼をしている時も視野を確保し、頭から背を斬られないための油断なき残心である。

 つまり、千代女が別式女でわしが賊であれば、瞬時に千代女は斬り伏せられ、その次には若君であるということだ。

 だが、立花が別式女であれば、わしの腕を見抜くなり他の女中衆を盾にしてまでも、若君をお抱きして足の続く限り逃げたであろう。

 別式女の勤めは、卑怯の誹りを受けようとも幼き若君をお守りすることである。御前で犬死することではない。

 とはいえ、立花は奥勤めの傍ら、さらに腕を磨く必要があるがの」

 広場は、水を打ったように静まり返った。


「家臣の中にも、自らのお役目を勘違いしている者がおるようじゃ。

 藩御家老殿も同意とのことゆえ、皆も自戒するが良い」

 指南役の言葉は続く。


 早桃の目から涙が溢れた。

 それを隠すように、あらためて平伏をする。

 その背に、桃の花びらが降り積もっていた。

急遽書けと言われて書いた、のです。


なんと弱気な自分w

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