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愛し方を知らなかった僕から、君へ贈る花束

作者: 牧場のばら

長めの短編になってしまいました。

お目にとまれば幸いです。

 アメリアが5年続いた婚約を解消したのは16歳の時だった。

 親の決めた婚約者は伯爵家の次男で、跡取りのいないアメリアの家に婿入りし、ゆくゆくはウォレス伯爵となる予定だった。


 婚約者はアメリアより1歳年上、眉目秀麗で貴族学院では常に取り巻き令嬢たちに囲まれていた。

 一方アメリアは見た目が地味で、婚約者とは釣り合わないと言われていた。

 そのせいかどうか、婚約者とアメリアの間には距離があった。


 婚約者からの贈り物は誕生日の花束くらいで、それすらも婚約者の家の使用人が用意したらしく、メッセージカードは無かった。二人が顔を合わせるのは年に1、2回程で、アメリアは婚約者とまともに話した事がなかった。


 婚約者は美しい上に誰にでも優しいので貴族令嬢からの人気が非常に高く、意地悪な令嬢達からアメリアは釣り合わないと陰口を叩かれ、貴女なんて婚約破棄されるわよと言われ続けていた。

 それでも婚約者だからと、いつかは心の交流もあるだろうと慕い続けていたが、アメリアのデビュタントの舞踏会のパートナーを、婚約者から理由をつけて断られた時にいよいよ諦めがついた。


 その日、婚約者は別の女性をエスコートしていた。

 舞踏会でアメリアと顔を合わせると悪びれもせず、

「君は次のパーティでエスコートするよ。」と言った。

 アメリアは久しぶりに婚約者の顔を見て、やはり美しい人だと思ったがそれだけだった。言葉を返せるほど気丈ではなかったので、何も告げずそのまま伯爵邸へ戻った。そして両親に向かって、婚約を解消したいと願い出た。


 たまたまその場に居合わせた他家の子息や令嬢たちが証言してくれ、両家の話し合いによって婚約は解消された。

 父は先方有責による婚約破棄を望んでいたが、アメリアの将来に傷がつくかもしれぬと穏便に解消することになった。


 その後、何人から婚約の打診があった。

 しかし、一度婚約を解消しているのはアメリアに問題があったからだと噂され、伯爵家の家督を目論む素行の悪い高位貴族の三男坊であったり、入婿になって楽がしたい男爵子息であったりと、希望に叶う相手は現れなかった。

 結婚や恋愛といったものに幻滅していたアメリアは隣国へ留学することに決めた。


 そして21歳になった今、アメリアは隣国の疫学研究所で若き研究者として過ごしていた。

 アメリアはもともと植物が好きで、伯爵邸の庭の一角に自分専用のハーブガーデンを作っていた。その知恵と熱心さでもって勉学と研究に打ち込んだ。

 この地方に多い風邪に似た流行病に効果のある薬の研究をして、論文に纏めて発表したのが去年のこと。それが疫学研究所に認められて現在同施設に勤務している。


 既に21歳で、行き遅れの訳あり令嬢は、薄金色の長い髪を一括りにして黒縁のメガネをかけ、地味なドレスの上から白衣を着込んでいる。メガネは伊達だが、女性だからと舐められぬよう、後は面倒な揉め事を避ける為の必須アイテムだ。


 婚約時代は、醜いわけではないが目元を隠す長い前髪のせいもあり、地味で冴えない女だと周りに思われていた。それは本人も含めて伯爵家の人たちの衣装センスが壊滅的だった事が大きな原因だった。

 流行を追わない伝統的な衣装や化粧法は親世代には評判がよくても、若い娘たちの言葉は残酷で棘があった。

 「アメリア様って最新のドレスを買えないのかしら?貧乏くさくて田舎ものみたい。」と言って嘲笑った。


 ウォレス伯爵家は歴史も財産もあり、決して卑下する必要などない名家なのだが、万事控えめでおとなしいアメリアにとっては、生き馬の目を抜くような貴族社会で渡り合うのは厳しかった。

 留学先では、大らかで伸び伸びした本来の性格を出すようになり、友人も出来た。友人はアメリアの美しさに気付き、着せ替え人形のようにあれこれと衣装を合わせて変身させた。変身したアメリアは周囲が驚いて見誤るほど、目鼻立ちの整った涼やかな美人だった。

 そうなると周りの男性からのアプローチも多くなったが、もう男性はこりごり、関わるのは面倒だと、目立たぬように過ごしていた。アメリアは結婚というものに一切期待していなかった。


 ある時、祖国の実家から、アメリアに婚約の打診が来ていること、その家の者が向かうのでとりあえず話を聞いてみなさい、という連絡が来た。

 アメリアは研究に生き甲斐を見出していたので断りの手紙を出したが入れ違いとなり、使者が疫学研究所を訪ねて来た。


「わたしはランプリング侯爵家より参りましたフレドリックと申します。ご令嬢におかれましてはお時間をとっていただき感謝いたします。こちらが婚約申し込みの絵姿とご令嬢へお渡しする手紙でございます。」

 その使者は、侯爵家の使用人だというが、なかなかどうして堂々たる振る舞いをして、頬に薄く残る傷跡や顎を覆うもさもさの髭を除けば美しい容貌ともいえる男だった。


「この度はわざわざ遠方までご足労いただきありがとうございます。せっかくのお話ですが、わたくし結婚する気はございませんの。流行り病や不治と言われる病の薬の研究に一生を捧げるつもりなのです。申し訳ありませんが、この話はなかったことに。絵姿も手紙も受け取れませんわ。」


「ウォレス伯爵様からも、ご令嬢がそうおっしゃってお断りになるだろうと伺っておりますが、わたしもこのままおめおめと帰国するわけには参りません。せめてご令嬢の普段のお仕事と様子など拝見させていただくわけには参りませんか?

 自分の目で確かめて納得しましたら、一生を研究に捧げるという貴女様の貴い志を、侯爵家の者たちに正しく伝えることが出来るかと存じます。」


 きっぱりと拒絶された使者だったが、それでも食い下がって粘った。せめて絵姿と手紙は受け取っていただけますか?と。さすがに悪いと思い受け取ったアメリアは、それらを机の引き出しに仕舞った。


「わかりましたわ。フレドリック様。それでは明日、研究施設へご案内いたします。わたくしの事はどうぞアメリアと名前でお呼びください。」


 少し面倒なことになった。

 それに使者のフレドリックはどこかで会ったような気がする。祖国の学院時代にでも見かけたのだろうか?と記憶を手繰り寄せたが、思い出せなかった。侯爵家の名前にも聞き覚えがなく、何故自分に縁談を持って来たのかさっぱり理由がわからなかった。

祖国を離れて5年、既に自分の結婚は諦めているだろうと思っていた父親にとって、独身の行き遅れの娘がいる事は大いなる恥なのかもしれなかった。未だ後継者も決めていない事にアメリアは罪悪感も持っていたので、父親の顔を立てるためにも、使者に誠意をもって対応することにした。


 翌日、午前中にフレドリックはやってきた。

 アメリアに案内され施設内を見て回る。 


「ほう、皆さん研究者でいらっしゃる?アメリア様のような女性もちらほら見かけますね。」

「ええ、この国では男女の性差別は少ないのです。女だからと馬鹿にされる事はこの研究所ではほとんどありません。外に出ればそれなりに見下す方もいらっしゃいますけどね。

特にわたくしなど、婚約解消された上に既に二十一歳で婚期を逃しつつありますから、行き遅れとか面と向かって言われますよ。」

 アメリアは苦笑いをした。


「それは聞き捨てなりませんね。貴女のような美しく魅力的な方に言って良い言葉ではありません。年齢はただの記号です。記号が積み重なれば、より複雑で高尚な美しさが生まれるのです。」

 そう言っては柔らかく微笑むフレドリックに、アメリアは思わず胸が高揚した。


「お口が上手ですわね。フレドリック様は女性の扱いに慣れてらっしゃる。」


その時、

 「やあ、アメリア!今日はお客さんかい?」と言って声を掛けて来たのは研究所の同期のルパートだった。

「ルパート、そうなの。祖国からわざわざ婚約の申し込みの使者として来てくださったのよ。」

「なんとまあ!君のような研究バカに婚約申し込みだとはね。

、、、おっと、そんなに殺気出さないでくださいよ。」


 フレドリックは、ルパートの失礼な物言いに、思わず殺気を出したようだ。


「使者さん。僕はルパート・カーヴェルと言います。アメリアとはずっと一緒に研究していましてね。

彼女の素晴らしさは充分理解しています。もちろん婚約解消のことも知っていますし、年齢だって何の問題もない。

だから今度の研究が一段落ついたら、カーヴェル侯爵家から正式にアメリアに結婚を申し込むつもりなんですよ。

そういうわけだから残念だけどアメリアのことは諦めるように、お伝え願いたい。」


ね、アメリア、と、ルパートはアメリアの肩を軽く抱きしめてすぐに離れた。


「ルパート!何をっ。」

「照れてる君も可愛いよ。じゃあ続きは後でね。」ひらひらと手を振ってルパートは自分の研究室へ戻った。

フレドリックはその後ろ姿をじっと眺めていた。

「ルパート・カーヴェル侯爵子息か。」


 ルパートに翻弄されたアメリアだったが、立ち直るとフレドリックに謝った。


「お見苦しいところをお見せしましたわ。申し訳ございません。」

「いえ、それで先程の方とは?」

「同じ時期に研究所に入った仲間なのですが、いつもあんな感じで。わたしを揶揄っているのですよ。」

「随分、親しいように見えました。あの方がいらっしゃるから今回の申し出は受けていただけないのでしょうか?」 


「それは違います。ご承知かと思いますが、私は祖国で一度婚約を解消しております。結婚より疫病の特効薬を研究している方が性に合います。わたくしのような地味で見栄えの悪い女を嫁になど、ランプリング侯爵家の皆さまのご酔狂としか思えませんの。申し訳ございませんがご縁がなかったとお伝えくださいませ。」


「そうですか。相手を嫌ってのことではないのですね?それならば待ちましょう。アメリア様のお気持ちが少しでも結婚に向き合われましたら、是非我が侯爵家とご縁を結んでいただきたい。

ウォレス伯爵様からは、アメリア様のお気持ち次第だとおっしゃっていただきました。」


 フレドリックは押しの強い笑顔でにっこりとそう告げた。

今日はこれでお暇いたします。明後日の祝祭日に本日のお礼を兼ねてお食事でもいかがですか?夕刻迎えに参ります、と言って宿に戻って行った。


「第一、わたしは忍耐強いのですよ。貴女に会う事を待ち続けたのですから。待つ時間が多少延びても問題ない。」

 フレドリックはつぶやいたが、アメリアは知る由もない。


 アメリアは何故こんな事になるのかと、戸惑っていた。

断ったのに通じない、なかなかに骨の折れる相手だ、困った、、それにルパート、いったい全体どうしたというのだろう?

確かに仲良くはしているが、それはあくまで同じ研究仲間として。それ以上の感情を持った事はなかった。

 それにしても食事は困る、どうにかして断れないかと考えながら何気なく引き出しにしまった絵姿と手紙を取り出した。


 侯爵家からの絵姿を見たアメリアは息をのんだ。

慌てて手紙の封を切る。中には透かし模様の入った上質の便箋が一枚入っていた。

 アメリアはしばらく放心状態となった。


……………


 時は5年前に遡る。


 デビュタントの夜、白いドレスに身を包んだアメリアは緊張した面持ちで舞踏会の会場にいた。本来なら婚約者であるフェリクスがエスコートしているはずであったが、アメリアの隣にいるのは従兄弟だった。

 婚約者からは数日前に簡単な断りのメッセージが、花束と共に届けられていた。本来ならドレスやアクセサリーといった類のものを贈られて当然ではあるが、婚約者からは花束以外のものはただの一度も贈られたことはなかった。

 そして会場での遭遇。傷ついたアメリアは従兄弟に連れられて伯爵家へ戻ったが、悲しみの涙は流れなかった。

 こんな結末だなんて、わたしはとんだピエロねと、力無く笑った。

 

 父の行動は素早かった。仲介人を立てて、婚約解消の手続きを進めるため相手方の伯爵家へ出向いた。

 伯爵家当主は次男の非を認め、軽率で心無い行動を取り続けたこと申し訳なかったと心から謝罪した。

 しかし、当の本人は

「僕は婚約解消はしません。これからもっとアメリアの事を知りたいのです。これから愛したいのです。」と頑なに拒絶した。

 この後に及んで一体どういうつもりだと、伯爵は怒り、次男を絶縁すると宣言した。


「この家から出て行きなさい。」


 驚いたのはアメリアの父、ウォレス伯爵だった。婚約解消するだけのつもりが、相手方の伯爵家の家族問題に発展してしまった。

 しかも婚約者だった男は娘を愛したいと言う。

 一生に一度のデビュタントで娘に恥をかかせ、傷つけた上に、これから愛したい?何なのだそれは?

 父伯爵もまた怒りに震えた。

「君が絶縁されてどこへ行ってどう暮らそうと我が家には関係ない。今後一切関わることはないだろう。二度と娘の前に現れないで欲しい。」と告げた。


 半年後、アメリアは隣国へ旅立った。


 一方、絶縁された元婚約者であるフェリクスは、母親の実家を頼る事にした。

 フェリクスの母は彼を産んですぐに亡くなったので、母の実家との交流はほとんどなかったが、ほかに頼る術はなかった。

父親は絶縁したとはいえフェリクスの貴族籍を抜いたわけではなく、黙って亡き妻の実家へ向かう馬車を手配した。

 そこへ行けと言うことか、父上には兄と義母が居れば良いのかと、フェリクスは悟った。

 

 母が亡くなった後、父親の愛人が伯爵家の後妻となった。

フェリクスの兄はこの後妻の子供だ。父親は同じだから、父と義母は、母が生きている間から繋がりがあったという事になる。

 義母はフェリクスの事を虐めることはなかったが、愛することも無かった。つまりは無関心。

父親は優しかったが、何事も兄優先であったし、兄は優越感からか隠れたところで弟をこっそり虐めるような男だった。

 母と兄が出来てフェリクスは喜んでいたが、この2人がフェリクスを愛する事はなかった。乳母が愛情を持って育ててくれなければフェリクスの人生はもっと早くに終わっていたかもしれない。生きる意味がわからなかったのだ。


 乳母が亡くなると、フェリクスは人を愛して拒絶されることを恐れて、誰に対しても一定の距離をとり、誰に対しても親切で、誰に対しても心を開かなかった。


 そんな折、父親が婚約者を見つけて来た。相手方の伯爵家へ入り、ゆくゆくは伯爵家を継ぐという好条件だった。これはある意味父親からの愛情だったと言えよう。

 しかしフェリクスには、人の愛し方がよくわからなかった。

綺麗な顔立ちのため、近づいてくる女性は途切れなくいた。

 彼女たちは婚約者の存在を知ると、残念がって婚約者のアメリアを貶めた。あんな地味な女より自分達の方が貴方には相応しいと言う。

 優しく振る舞うと女性たちが喜ぶので、フェリクスはただ微笑んで肯定も否定もしなかった。


 16歳になり舞踏会へ出るようになると、エスコートを頼まれるようになった。女性たちにとってフェリクスは最高のアクセサリーだった。

 女性たちは贈り物をねだったが、フェリクスは彼女たちに好意があるわけではないので何も贈ることはなかった。

手を取られたり抱きつかれたり、時には唇に触れようとする女性もいたが、相手が喜ぶということは自分が好かれているのだと思い込むようになり、フェリクスはここに居ていいのだと安心出来た。


 12歳で初めて会った婚約者は自分への好意を表に出さなかった。会った回数もごく僅かだが、いつも下を向いて言葉の少ない少女にフェリクスは心を掻き乱された。

 なぜ、僕を見てくれないの?愛してくれないの?君が僕を愛してくれれば僕も君を愛せるのに。


 それでも礼を欠いてはならないと、花束の贈り物は続けた。それは婚約者から望まれたものではないけれど、彼が誰かに自主的に贈った唯一の物だった。

 婚約者の誕生日には花束を。必ず赤いアネモネを入れて。

花言葉の「君が好き」に、意味を込めて。


 しかしフェリクスはアメリアの事が好きなのかどうかわからなかった。そもそも異性を好きと言う感情がよくわからない。

美しいものは好きだし、美味しい食べ物も好きだし、可愛がっている犬も、すべて同じように好きだった。


 ただ、自分に靡かないアメリアに心を乱され続けている自分には苛立っていた。

 誰かに好かれたい、愛されたい、そして愛したい、それだけの事なのに、その感情を持て余し誰にも伝える方が出来ない不器用なフェリクスだった。


 デビュタントのエスコートは婚約者から言い出すのを待っていたが、アメリアより先に取り巻き令嬢のひとりからエスコートして欲しいと頼まれた。

 何も言ってこないアメリアが悪いのだと、フェリクスは自分に言い訳をしてエスコートを引き受けた。その後、ウォレス伯爵家から手紙が届いたが、先に約束した方を優先しないとその令嬢から嫌われてしまうと思ったフェリクスは、婚約者の願いを断った。

「先に言わないアメリアが悪いんだ。」



 あの日、広い舞踏会場でばったり出会すとは思ってもいなかった。エスコートを断られた婚約者は、デビュタントの舞踏会へ来ないと考えていたのだ。そんなことがあるはずないのに。


 久しぶりに見たアメリアは驚きで目を見開いていた。

その目は潤んでいたが涙をこぼす事なく、頬が紅潮していた。フェリクスは婚約者が怒って自分を殴るのではないかと思った。

 むしろ何らかの反応をして欲しかった。殴って欲しかった、罵って欲しかった。少しでも自分のことを考えてくれているのなら。

 ところが婚約者はエスコートをしていた男性(それは従兄弟だと後で知った)に手を取られ、目の前から去っていった。


 あらまあ、なんて人なの。婚約者のフェリクス様に挨拶もせずに失礼な方ね、とくすくすと笑う隣に立つ令嬢が気持ち悪かった。

「悪いがここで失礼する。」


フェリクスは婚約者の後を追おうとした。令嬢の悲鳴が後ろから聞こえていたが、アメリアのことで頭がいっぱいになった。

 アメリアたちは裏の出口から帰ったのか、フェリクスは婚約者に追いつくことは出来なかった。

 それが婚約者に会った最後の日だった。



………………


 

「そうですか、事情はわかりました。それで、何故今、ここにいらっしゃるのです?フェリクス様、いえ今はフレドリック様でしたね。」アメリアは静かに問うた。


 フレドリックが帰った後で確かめた引き出しの中の絵姿は、驚いた事に5年前に別れた婚約者だった。

そしてそれは侯爵家の使いとしてやってきたフレドリック、その人だった。

 髪の色を変え付け髭とメガネで印象を変えていたが、どこかで会ったことがあると感じたのは間違いではなかった。

 開いた便箋には

「5年間のやり直しがしたい」と書かれてあった。



「伯爵家を絶縁されて行く宛のないわたしは亡き母の実家であるランプリング家へと向かいました。幸い祖父母が健在だったので、我が身に起こった事、わたしが貴女にした非道な事を全て話しました。

 全部聞き終えた祖父母は、わたしを養子として迎え入れてくれました。そこで名前を変え、新たにフレドリック・ランプリングとして生きる事になりました。」


 研究所の案内の翌々日、アメリアは洒落たレストランの一室へ案内されフレドリックと向き合った。



 ………………


 祖父は、後妻が来た時にお前を引き取るべきだった、と謝った。

 亡き娘に似た孫が、感情を伴なわない笑みを顔に貼り付けて、愛されることを知らずに過ごして来た事を心から悔やんだ。

 そして祖父母は泣いた。祖父母の泣く姿を、目の前にしてフレドリックは、胸の奥をギュッと掴まれた気がした。それは辛くて悲しくて、初めて心が痛くて泣いた。


 祖父母はフレドリックを抱きしめて、辛かったろうと身体をさすった。こんなに大きくなってもお前の心は子どもなんだ、と。人は愛し愛されて心が成長するのだ、と。


「お祖父様、お祖母様は僕を嫌いになりませんか?僕は婚約者を傷つけてしまいました。彼女に嫌われました。父親に恥をかかせて嫌われて家から追い出されました。僕は誰からも愛されていないのです。」

祖父はフレドリックを抱きしめて、お前の居場所はここだよと安心させるようにつぶやいた。

 ああ、愛しているとも。お前は大切なわたしの孫だ。


 それからフレドリックは祖父に鍛えられ、意外な事に剣の才能が開花した。

 20歳の時に国の騎士団に入り、近隣諸国の紛争解決のために派遣された。その際に獅子奮迅の活躍をしたことが評価され勲章を与えられた。そして現在の実家であるランプリング伯爵家もまた、この度めでたく陞爵して侯爵家となった。


 祖父母や剣の師匠からの、時には厳しくもある溢れる愛情によってフレドリックの心は成長した。陞爵したことで祖父母への恩も返せたのではないかと思った。

 残る心残りはアメリアの事だった。

 

 自らが傷つけた少女のことを忘れたことなどなかった。

ただ、許して貰うために生きてきた。

 アメリアの今を知るためにフレドリックはまずウォレス伯爵家を尋ねて、父伯爵との面談を希望した。

 名前が変わっていたため、初めはフェリクスとは気がつかなかった伯爵は、顔を合わせた時に表情を変えた。

 丁重に追い返そうとしたが、土下座して話だけでも聞いて欲しいと乞う男に、若干の同情と責任を感じて、話を聞く事にした。


 全て聴き終えた父伯爵は、何を望んでいるのです?と尋ねた。


「わたしはずっと後悔している事があります。自分の愚かさのせいでただ一人の大切な女性を傷つけて、幸せにする事が出来なかった。

 もし許されるのならば、その女性のこれから先の人生を支え幸せにしたいのです。

 敵と戦っている間、何度も命の危機がありました。その時に脳裏に浮かぶのは、5年前の舞踏会で涙を溜めた目でわたしを見つめていたアメリア様の顔でした。

 わたしは手を伸ばすのですが、彼女は身を翻し去っていきました。もう一度会いたい、ただ会いたい、その気持ちがわたしを死の淵から引き戻しました。まだ死ぬべきではないと。

 今、生きているのはアメリア様のおかげなのです。

だからこそ、わたしの残りの人生全てをアメリア様に捧げたいと思うのです。」



……………………


 フレドリックの語る話をアメリアは静かに聞いていた。


「アメリア嬢、わたしは貴女の側に居る許可が欲しい。

今更受け入れ難いのは理解しています。わたしは最低の男でしたから。

 もし、あの研究所の男性、カーヴェル卿との間に何もないのであれば、他に将来を約束した人がいないのであれば、どうかわたしの申し込みを受けてくれないだろうか。」


「フレドリック様、お話を聞いてわかりました。あの頃のフレドリック様の目には光がなかった。わたしを見てはくれなかったけど、他のどの女性も見てらっしゃらなかったのですね。

 あの頃、わたしはフェリクス様であった貴方をお慕いしておりました。燃えるような思いは無くても親愛の情を持っておりました。

 あなたはいつも花束をくださったわ。毎年毎年赤いアネモネが必ず入っていた。

 その花言葉は」


「君が好き、、君が好きだ。気がついていたんだね。」


「貴方に頂いたアネモネが嬉しくて押花のしおりにしましたのよ。貴方にも差し上げようと思って作りました。それに伯爵家の敷地に小さな庭を作ってもらいましたの。そこにハーブやお花や、もちろんアネモネも植えたわ。貴方に見せたくて。」


「アメリア嬢、いや、アメリア。受け取ってもらえるだろうか。」


 そう言うとフレドリックは給仕に合図をして花束を持ってこさせた。


 抱えきれぬほど大きな花束の真ん中には、赤いアネモネがあった。



「婚約者であった5年間をこれからやり直したい。出会った初めからアメリアの事がずっと好きだった。愛し方を知らなかったわたしに、貴女が愛を教えてくれた。

 もう一度、わたしを貴女の婚約者にして貰えますか?

 愛しています。」


 アメリアは花束を受け取ると、嬉しそうに頷いた。

 




 二人のこれからが、この瞬間に始まった。













お読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公が途中で入れ替わったような、意外な展開に…… でも好きです。 面白かった!
[良い点] 穏やかな初恋同士の行き違いと再会 [気になる点] かわいそうなフェリクスの境遇の描写はあれど 彼はヒロインに一言も謝ってない! まずは自分も周囲も彼女を貶めて、婚約期間もデビュタントすら悲…
2022/06/17 21:43 試される北の大地
[一言] 褒められた話ではないが… フェリクス君には恋愛感情が存在しなかったのか… 愛された経験が無いのなら有り得なくも無い事ですね… そもそも婚約者がいるのに手を出した令嬢が悪いわな。
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