其の八十六
黄砂で濁った空を、幾羽かの鳥が飛んで行く。
嗚呼、あの鳥達には、確実に行くべき所があるのだ。
それが何やら羨ましい。
「………小雨?」
玉花の様子を見に診所を訪れた王陸は、内廊下の途中に居る夏翔の姿に気付いて声を掛けた。
窓から中庭を眺めていた夏翔は、その声に反応をし、王陸へそろりと視線を向ける。
「何をしている?」
感情の無い声で、王陸は訊いた。
「……煙が…………」
夏翔は王陸から顔を背き、窓枠に乗せている自身の手を見る様に俯くと、ぽつりと答えた。
「煙」と聞き、王陸は顔色を変えると、反射的に廊下の先に在る玉花の病房へ視線を走らせる。
否、まさか………… と思うも、厭な考えが頭に浮かび、その儘脳裏に張り付いてしまった。
だから彼は、夏翔を一瞥してから、その病房へと大股で向かうのだ。
内側へ声も掛けず、勢いよく戸を開けた。
閉め切った病房内、紫煙に包まれた玉花が、窓外からゆっくりとした動作で王陸へ顔を向ける。
「おや。来たのね」
玉花はそう云い、柔らかな笑みを送った。
王陸もふと表情を和らげる。
漂う紫煙に、危惧する様な匂いは感じられず、その安堵からの笑み。
「大姐。息災の様で、何よりです」
「王陸も…………」
玉花はそう応えると、乾咳をふたつした。
「大姐?」
途端、王陸は眉根を寄せ、一歩踏み出そうとするも、玉花に制される。
「………この時節は埃っぽうて、わやじゃの」
卓上の茶を一口飲み、玉花はゆったりと笑った。
「なれば大姐、この時季だけでも、煙草を御控えられてはどうですか」
王陸は渋い顔の儘でそう諫める。
「これはまた、煩わしい者に見付かってしもうたの」
ころころと楽しそうに笑いながら、玉花は灰吹の縁を雁首で叩いて灰を落とした。
表情には出さないものの、王陸は玉花のその行為にほっとする。
「もし、咳が続く様ならば、早期の内にでも医生の診察を御受け下さいませ」
だから、そう進言せずにはいられない。
それから半刻の間、夏翔も交えて、手土産として持参した肉饅頭で昼餉を摂った。
帰り際、王陸は林清源に顔を見せた。
「…………そうか、姑娘が乾咳をしておったか。
黄砂は下手をすると、胸を悪くするからのう。では、慎重に様子を視よう」
王陸から報告を受け、林は顎鬚を扱きつつにそう応えた。
「……………」
林のその言葉を聞き、王陸は恨めしそうに窓外へ目をやった。
今日は特に風が強く、常時にも増して外界を黄色く覆っている。




