其の八十三
草木も眠る刻。
耀舜はふと目覚めた。
一度目が覚めると、疲れているにも拘わらず、なかなか寝付けない。
五鬼山麓付近に急遽建てられた小屋から出た耀舜は、開けた広場に来た。
広場の隅には工具等が纏められている。
耀舜はその方へ行き、段差に腰を下ろすと、空を見上げた。
空は曇っており、星は観られない。
それでも、ぼんやりと空を見上げている耀舜の耳に、住居小屋の方から話し声が届いた。
「………ま、医生ん所の姐さんは、あの小性に任せとけば大丈夫だろ」
「呑気だな、王陸とて四六時中って訳にはいかねぇだろうが」
「そりゃそうだがよ、こっちは江謙の動向を見張れるじゃねぇか」
「お。それもそうか」
相手の言葉に、もうひとりは合点がいった様子だ。
「にしても、癪に障るのは軍人共だな」
苛々とした口調。
「この状況下なら、何処も手が足らねぇのは火を見るよりも明らかだってんのに、強引に医生を連行しようとか、意味理解に苦しむぜ」
「どうせ、御上への点数稼ぎで、媚売ってんだろうよ」
反吐が出るといった様な口調だ。
「そこ、誰か居るのか?」
話している内容に堪らず、耀舜はその者達に声を掛けた。
「っ!?」
突然声を掛けられ、彼らは驚き、耀舜へ視線を向ける。
その正体を知り、ふたりは咄嗟に片膝を着いて包拳の礼を執った。
「構わぬ」
耀舜はふと笑みを零し、彼らを立たせる。
「殿下、この様な時分にどうしましたか?」
立ち上がると、ひとりがそう尋ねた。
「目が冴えてしまい、夜気に当たろうかと思うてな。
お主らこそ、如何した?」
耀舜の言葉に、ふたりは顔を見合わせる。
「自分達は、少々息休めの為に出ていまして、その帰りです」
そうして、ひとつ息を吐き、もうひとりがそう答えた。
「そうか」
耀舜は頷き、ふたりを改めて見ると、
「お主らは、赤蛇団の者か?」
そう訊いた。
「はい。子絽と申します」
「一翔です」
今度は拱手の礼で以て、ふたりはそれぞれ名乗る。
「そうか」と頷いた耀舜は、次に厳しい顔付きとなり、
「先刻、何やら聞き捨てならぬ話を耳にした。軍の者が医生を強引に連行しておるとは、誠か? それが誠ならば、少々問題であるが………」
口調も厳しく、問い糺す。
「あぁ。矢張り、殿下の御指示ではないと、そういう事ですね」
一翔が云った。
「その様な命は出してはいないし、聞いてもいない」
不愉快となり、耀舜は思わず砕けた口調で反論をする。
皇太子のその口調を耳にしふたりは親近感を覚えて、ふと表情を和らげた。
「ならば、殿下の知らぬ所で、事が動いてるって事か」
一翔が腕を組んで、そう口にした。
「この件、早急に事実確認をした上で沙汰を下す故、我に預けて貰いたい」
「勿論です。殿下になら、申し分のない事ですよ」
子絽がそう云って、にっと笑った。
「先の話し、お主達の知人の診所も狙われたとか。大事はなかったのか? その、知人の女人も無事であるのか?」
耀舜は眉間に皺を寄せ、案ずる様に尋ねた。
「御心配頂き、痛み入ります」
子絽が包拳の礼で以て感謝の意を述べる。
「自分らは直接現場に居た訳ではありませんが、聞く所に依れば、その姐さんが、医生を連行しに来た軍人を蹴散らしたそうですぜ」
子絽の言葉の後、間髪入れずに一翔が云い、にやりとした。
「ほう。それは何とも、頼もしい姐さんであるな」
耀舜も愉快そうに笑う。
「そりゃあ、元妓女ですからね。肝が据わっているのでしょう」
子絽も楽しそうに笑った。
だがしかし、「元妓女」と聞き、耀舜の笑みが凍る。
そういえば、先刻に云っていた名、「王陸」も耳にした様な気がする…………
耀舜の心臓が、早鐘の如く打ち鳴らされた。
「………その、姐さんの名は? 何と申すのか?」
生唾を呑み込み、耀舜はそう尋ねる。
皇太子の様子が変わった事に、ふたりは怪訝に思うも、「白花」だと明かした。
「っ!」
求めていた名ではなかったものの、耀舜を動揺させるには、充分な名である。




