表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愁い花  作者: 冷水房隆
75/87

其の七十六

 子絽ヅーリュィからの文により、林清源リンチィンユエンの診所で玉花ユィホワが軍人の江謙ジアンチエンと対面した事を知り、王陸ワンルゥは暇を見付けて診所へ訪れた。

 その時の状況を尋ねる筈が、逆に林から意外な報告を受ける。

 それは、震災が発生した日から、玉花の下に夏飛シアフェイが置かれたという事。

 江謙の件も気になる所だが、余り長居も出来ず、また林も多忙である事から、彼は玉花達の様子を見るだけに留める。

 

 「大姐、小雨シャオユィも、御息災で何よりです」

 「おや、来たのね」

 春の陽射しの中、玉花は柔らかく微笑み、彼を迎えた。

 夏飛を見れば、卓上に幾つかの丸くて平たい、親指程の大きさの玉を散りばめ、それを指で弾いて遊んでいた。

 勧められる儘に椅子へ腰を下ろすと、王陸は改めて玉花へ視線を向ける。

 「大姐、震災の他に、何か身の回りで変わった事は御ありではありませぬか?」

 その問いに玉花は暫し考えるも、軈て首を振る。

 「いいえ、何もありませぬな」

 「!?」

 彼女の答えに王陸は訝しむが、それも一瞬の事であり、直ぐに平静を装う。

 「………………」

 否、江謙は常連とはいえ、太夫であった大姐と顔を合わせる機会は数える程であろうから、彼を覚えていなくとも頷けよう。

 だが、子絽が態々文で『用心』する様にと警鐘を鳴らしたのだ、何か良くない事態に向かう様な出来事が起ったのは確かな筈だ。

 「…………誠に?」

 「ええ」

 笑みながら頷く玉花の表情に、何の翳りもない。

 その様子、彼女が嘘を吐いているとも思えなかった。

 大姐にとっては、然程の出来事でもなく、取るに足らぬというのだろうか。

 「………………」

 今、医生から詳細が聞けぬもどかしさ。

 「左様でありますか」

 王陸はそう云うと、立ち上がる。

 「あら。席の暖まる暇もない様であるの」

 そんな彼を見上げ、玉花は呆れた風に笑う。

 「慌ただしくて申し訳ありませぬ。

  なれど、御二方に御変わりなく、安堵致しました」

 拱手の礼で云い、王陸はちらりと夏飛を見た。

 目が合った。

 逸らさず、じっと見て来る夏飛の瞳には、不安も安心もなく恐れも安堵もなく、喜も怒も哀も楽もなく、唯、力強い光りが宿っている。

 知らずに身に着けた、自己防衛なのだろう。

 王陸は僅かに口角を上げ、背を向けると病房を後にした。


 裏口へ向けて廊下を進んでいると、何やら人の云い争う声が聞こえて来た。

 何を云っているのかは聞き取れないが、声は診察室から飛んで来る。

 「こんな時に何だっ!」

 「見舞いの言葉もなく、突然女人を出せとはよ!」

 「お前ら役人は、本当に俺らの事を莫迦にしくさってるな!」

 「い、いや私は、只、その女人の有無を…………」

 近付くに連れ、言葉がはっきりとする。

 「役人」と聞き、王陸の顔色がさっと変わった。

 震災前に子絽からの文で、役人が玉花の行方を追っている事を知らされていたから、ついにその手がここに迄及んだのかと、歯噛みをする思いだ。

 「軍に楯突いたって理由付けて、姑娘を引っ張るつもりだろう!?」

 「この混乱時だ! 誰もが殺気立って当然だろうが!」

 収拾が付かぬ程の興奮状態に、王陸は診察室へ顔を出し、近くに居る、困惑顔の林へ声を掛けた。

 「何事ですか?」

 「おぉ王陸、まだ帰っておらなんだか」

 彼の存在に、林は心做しかほっとする。

 「あの役人は?」

 「それがな、姑娘の事を何処で耳にしたのか、一目会わせて欲しいと云うのだよ」

 林の言葉を聞いた王陸は、改めて役人へ視線を向けた。

 まだ二十代であろう若い役人は、喧嘩腰の民達を前にしてたじたじであり、普段の偉ぶった姿も何処へやらだ。

 王陸はひとつ息を吐くと、診察室へ足を踏み入れた。

 「御鎮まりを!」

 そして叫び、注意をこちらに向けさせる。

 更に一歩進み、役人と視線を合わせると、

 「話しは少し耳に致しました。貴方は、どの様な御用件で、その方と会われる御つもりでしょうか?」

 そう尋ねる。

 「そんな仰々しいものではない。只、尋ね人が、こちらに在居している女人かどうか確認するだけである」

 顔を引き攣らせて、役人は答えた。

 「その方と貴方の関係は? また、如何なる理由で捜しておられるのでしょうか?」

 「いや、それは……………」

 役人・紀祥ジィシアンは言葉を濁す。

 まさか「後宮の侍女が捜しています」とも、云えなかろう。

 ここで口籠ってしまった為、またしても不穏な空気が流れ始める。

 王陸は再度溜め息を吐き、他の者が何かを云う前に口を開く。

 「大爺、理由も述べられぬ方に、彼の者を会わせてられませぬし、会わせるつもりも御座居ませぬ。早々に御帰り下さいませ。然もなければ、暴徒と化しますよ」

 凄むでもなく、平然と云って退けた。

 それでも紀祥は、「暴徒」という言葉が利いたのか、蒼褪め、そそくさと診所を去った。

 「結局、何だったんだ?」

 「やれやれ、お上の考えなんざ、さっぱりだ」

 役人の姿がなくなると、また賑やかに喋り始める。

 「王陸…………」

 懸念顔で、林がそっと彼の名を呼んだ。

 「御心配には及びませぬ、ここまで騒ぎを起こしたのです、暫くは下手な動きも出来ますまい」

 王陸は、ふと表情を和らげてそう云った。

 そして、視線を人々へ向ける。

 それにしても、あの者は、本当に役人だったのだろうか? 本当に役人だとして、何の為に大姐と面会しようとしたのか?

 「お上の考えなんざ、さっぱりだ」正しく、その通りだ。

 明けましておめでとうございます

本年もどうぞ、御引き立ての程を宜しくお願い申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ