其の七十二
早馬の使者が皇城から戻り、皇太子殿下が視察に参られる、と知らせを受けた部隊長の周萊は、花京まで出迎える為に馬を走らせた。
花京へ近付こうかという場末、建物のひとつに群がる黒山の人集りと飛び交う怒号に驚き、周萊は馬を止める。
建物の特徴から、そこが診所だと知れた。
その混乱振りに周萊は眉を顰める。
五鬼山からこの地まで、林の中であり、民家もぽつりぽつりとしか見られなかったから、この診所の騒動を目の当たりにし、被害を受けたのが五鬼山だけではないと改めさせられる想いだ。
迂闊であった。
目先の惨事だけに気を取られ過ぎていた。この状況で、助けを求めに駆け込んで来る市民を捨てて、どうして五鬼山の者達だけを助けられようか。
と、その時、耳を劈く銃声音が鳴り響き、周辺を轟かせた。
「!?」
周萊は咄嗟に身を屈める。
診所に集まっていた人々が悲鳴を上げ、建物から転がる様に逃げて来た。
その様子からして、銃声音が起ったのが診所であると確信する。
馬を近くの木に繋ぎ、周萊は銃を構えつつ、人々とは逆に建物へ向かう。
診所へ近付いて行く軍人の姿を目で追う人々は、声を掛けるでもなく、唯、これから起こる出来事を想像し、憂苦しながらその背中を見送るのであった。
「…………この様な時に何事だ!?」
建物へ足を踏み入れながら、周萊は威嚇する様に大声を上げた。
この突然の訪問者に、診所内に居る総ての目が注がれ、皆微動だにもしない。
周萊の視線が素早く動き、未だ硝煙の煙る銃を握る、江謙の右手を捕えた。そして、大股に彼へ近寄ると、その右手を掴む。
「己! 市内で銃を発砲する軽率さ、仮にも八雲軍の軍人である事を忘れたか!? 恥を知れっ!!」
その怒鳴り声と剣幕に、流石の江謙も震え上がった。
彼の手を乱暴に放し、銃を納めながら周萊は、改めて診所内を見回して、医生と思しき男性を見付けると、包拳の礼で以て頭を下げた。
「其方が、こちらの医生であると御見受け致す」
見詰められ、林清源は拱手の礼で返し、軽く頷き「是」と答えた。
「其方の他に医生は?」
怒気と畏怖が入り交じる負の色に染まった人々の視線を浴びながらも、周萊は表情を動かす事無く尋ねる。
「いいえ、武官様。御覧の通り手狭な診所故、私独りで切り盛りをさせて頂いております」
「解した」
周萊はそう云い、江謙と岳章へ視線を向けた。
「行くぞ」
「はあ!?」
「しかしっ!」
上官の言葉を不服とし、ふたりの軍人は顔を顰める。
「抗弁か?」
周萊は彼らを睨んだ。
「あ! 否!」
「その様な事では……………」
江謙と岳章は圧倒され、びくりと身を縮こませる。
「ならば行くぞ、時が惜しい」
そう云い放つと周萊は、林に対して再度包拳をすると「邪魔をした」、一言残して診所を出て行く。
途端、場内は歓喜に沸いた。
この雰囲気に呑まれ、江謙と岳章は屈辱的な想いを心に滾らせる。
ふと、視線を滑らせた先に江謙が捕えたのは、玉花の姿。
「………っ!」
あの女人が楯突かなければ、上手く事が運んだのだ。何と忌々しい……………




