其の六十八
「御早く邵雍殿へ!」
「御急ぎ下さい!」
避難を促す錦衣衛の声が、皇帝陛下の居所にも届いた。
眠りの浅かった為、揺れ始めて直ぐに目を覚ました皇帝・惇堯は、揺れが落ち着いた頃に侍従太監を呼び、身支度を整えさせた。
錦衣衛の声を耳にしたのは、調度、身支度を終えた時である。
「畏れながら、御声掛け致します!」
切羽詰まった声が飛び込んで来た。
「火急だ、簡潔に答えよ!
どの様な状態か!? 皆は無事であるのか!?」
扉が開けられる間ももどかしく、惇堯は急く思いで怒鳴る様に尋ねた。
皇帝が姿を現した事で、皆は咄嗟に拝跪する。
「好いと申しておるのだ! 事態を早う報告せよ!」
その様子を苛々しく想い、惇堯は口調も厳しく問い質す。
「申し上げます!」
錦衣衛次官が進み出て、包拳の礼で以て口を開いた。
「目下の所、負傷者があるとの報告は受けてはおらず、大きな被害も然りで御座居ます」
「そうか、皆息災であるか」
報告を受け、惇堯はほっと安堵する。
と、皇太子の姿が見られぬ事に気付いた。
「皇太子は如何した?」
「は。殿下は只今、軍機処にて指揮を取って御座居ます」
「そうか、ならば朕も向おう」
惇堯がそう云い、一歩踏み出そうとするのを、次官は止めた。
「陛下、なりませぬ!」
「何故留めるのか!?」
「殿下の御意向にて御座居ますれば!」
「何だと!? 彼奴め、朕に取って代わるつもりか!」
気色ばみ、惇堯は怒鳴った。
その剣幕に、錦衣衛を始め、太監達も竦み上がる。
そこへ、李栄大総官が登場した。
李栄は、錦衣衛及び太監達が、皇帝の居所前に集まっている光景に目を見張り、その中心に皇帝陛下の姿がある事に、更に驚いた。
「これはっ!?」
「李栄か、丁度好い。軍機処へ参るぞ」
惇堯は、錦衣衛等の背後に見える大総官を一瞥してそう云うと、再度歩みを進める。
「陛下! 御待ち下さい!」
早足で進む皇帝に合わせ、次官は後ろ歩みで行く手を阻んだ。
「えぇい! そこを退かぬか!」
怒気を含んだ声で惇堯は云い、次官を退ける様に右手を横へ払う。
「陛下! 今は退避を! どうか御聞き入れを!」
次官は食い下がった。
「この災いを収拾するには、彼奴では未熟過ぎて任せられぬ!」
「陛下っ!」
李栄が惇堯の行く先へ走り、その場に跪くと、一際大きな声で呼び掛けた。
その事で惇堯は思わず足を止め、険しい視線で李栄を見下ろす。
「目下の所は、城内外の情報を待つのみで御座居ますれば、殿下御一人とて事が足りるかと存じます。故に、董次官に従い、今は退避されたき願います」
面を上げず、李栄は悲願した。
大総官に倣う様に、周囲の錦衣衛と太監も拝跪する。
「……………」
惇堯は拝跪する臣下達を、厳しい面で見回す。
恰も見計らった様に、地面が揺れ、そこかしこから悲鳴が上がり、右往左往する様子が、見えずとも伝わって来る。
「好きにせよ」
ふと、ひとつ息を吐き、惇堯は静かに告げた。




