其の七
熱い………
酔った?
否、そんな筈はない。
今日は然して呑んではいないのだから。
なら何故、躰がこんなに熱いのか?
そう思い、玉花は手にしている盃を持ち上げ、匂いを嗅いだ。
「!?」
酒とは違う匂いが、僅かに感じられる。
「これ玉花、聞いておるのか?」
「!」
玉花は我に返る。
ここは旦那衆を持て成す房間のひとつ、そして今宵持て成す客は、西方街の大店の御隠居である斉老大爺だ。
「珍しいのう、酔うたのか?」
斉はそう訊き、玉花の頬に手を伸ばした。
その手を制す様に玉花は、やんわりとした仕草で取ると、
「何を仰るの老大爺、貴方こそ顔を赤らめて」
そう微笑する。
しかし、次の瞬間、玉花はすっと真顔になった。
矢張り奇異だ。
斉老大爺はそう酒に強い方ではない。それにしても、徳利を一本も空けぬ内に顔を赤らめる程ではないのだ。
「確かに、今宵の酒は儂を酔わせるのう」
上機嫌に斉は笑い、玉花の腰に片腕を回して引き寄せる。
「これ程で酔われるとは、何処か不調なのではありませぬか?」
玉花は斉の胸元に右掌を置き、それとなく距離を保つ様にした。
「玉花よ、儂を案じて呉れるとは、愛い奴よの」
首を伸ばして玉花の耳元へそう囁く斉の眼は、据わっている。
「老大爺、御酒はもう、お控えられた方が宜しくてよ」
玉花は微笑みながら、諫言した。
「何を何を、見縊られては困るぞ。儂はそこらの若造にも引けを取らぬ。それに、それこそ、ダーコォとか云ったかな? あの若造にだって負けはせぬ」
酒に当てられた斉は、普段なら滅多に口にしない名を口にした。
「ダーコォ」と聞き、玉花は一瞬だけ顔色を変えた。
そんな太夫に気付く事もなく、斉は盃に手を伸ばす。
それに反応をし、徳利を取り、
「相も変わらず、頼もしい御仁ですこと」
玉花はふふと笑う。
「惚れたかな?」
斉はそう云いながら、太夫の肩を抱き、再度引き寄せると彼女の左耳を舐める。
玉花はぞわりと躰を震わせた。
虫唾が走る程なのに、酒に当てられた所為なのか、ダーコォに慣らされた躰は反応をし、まるで熱に浮かされている様だった。
「玉花がダーコォなぞに執心しておると聞き、儂はもう、どんなに悋気で狂いそうだったか……
だが、玉花が未だに身請けもされずにおるのは、心安らかになろうぞ」
斉はそう云い、玉花の旗袍の紐を解き、緩んだ襟元から手を差し入れて乳房に触れた。
「はぁ………」
玉花は吐息を漏らす。
甘いそれを耳にし、斉は眼を充血させ、太夫を組み敷いた。
玉花の帯を解きながら、
「玉花は誠、艶かしいのう」
そう云い、興奮気味に頸筋へ舌を這わせ、左手で器用に襟を開き、玉花の上半身を襦袢姿にさせた。
玉花は、斉に身を委ねる。
どうでも良い。そんな、投げ遣りな想いが彼女の脳裏を占め、総てが夢であって欲しいと、そう想わせた。
夏飛を産んだ事も、それ以前に、ダーコォとも出逢わなければ、真実の愛なぞ知らずにいたら、太夫として強く生きられたのだろうか………
「嗚呼……玉花。あの若造よりも、儂を選んで呉れるのだな」
斉は恍惚とした視線を向け、勃起した胯間を擦り寄せる。
「老大爺は、それ程迄に私を欲しておられるのね?」
玉花は斉の首に抱き着き、耳元でそう囁いた。
「お前程の女人は他にはおらぬ」
斉は云い、荒々しく玉花の口を吸う。
「……んはっ!」
その唇から逃れると、玉花は再び斉を見た。
太夫らしく、妖艶な光を帯びるその瞳に見詰められ、斉の息遣いが荒くなる。
「玉花が、ダーコォなる若造の身請けを蹴って、誠に良かった。
彼奴の放蕩振り、今頃は生家を潰して路頭に迷っておるだろうのう」
今宵の斉は饒舌だ。
その饒舌振りと、幾度も聞く「ダーコォ」という言葉、玉花は訳の分からぬ怒りが沸々と滾り、震えた。
そして怺えられず、
「ダーコォダーコォと、誰に向かって云われるのかっ!?」
そう怒鳴りながら斉の胸倉を両手で掴み、上下逆転となると、玉花は彼の腹に跨った体勢で頬を平手打ちにした。
「……っ!!
お、落ち着け! 落ち着きなさい玉花!!」
頬を打たれ、斉は惚けるが、直ぐに我に返ると、玉花の右手を捕える。
玉花の内で募る想いが爆発した。
今迄抑制し、気付かぬ振りをしていた感情が堰を切った様に溢れ出る。
玉花は叫び、怒鳴り、斉の首に両腕を巻き着けた。
「!?」
廊下に控えていた用人がその尋常では無い騒ぎに驚き、房間へ飛び込んで来、狂人と化した太夫の様子に肝を潰しつつも、「誰かあるっ!?」加勢を呼ぶ為に叫び、太夫を羽交い締めにする………