其の六十
本国・易華の西北、帝都から約3,260Km離れた地に位置する懋州は、東にアライヒ、北にルレンと二国が隣接する地である。
北部には戟壁砂漠が広がり、この砂漠が国境の役割を担っていた。更に、アライヒとルレンの国境間にはアクト山脈が連なっており、それは南下して戟壁砂漠にも延びていた。
そのアクト山脈の所々では金が採掘され、別名『金山』とも呼ばれる。
ルレンの狙いはそれである。故に、アライヒのアクト地方を占領したのだ。
先の将の時代までアライヒは、易華に対して朝貢国であった。だが、改革後、帝の時代となった現在は、朝貢貿易は解かれ、対等の立場である交易関係となったのだ。
そういった関係もあり、アライヒは易華て援助を求めて来、まずは懋州に駐屯している軍を発動させるも難航、そして本軍の一部をも援軍として派遣させるも好転せず、膠着した儘半年以上も経過していた。
考え、倦ねいた末に朝廷は、南東に隣接する国・台明へ別件で赴いている、欽差大臣である梁永如を交渉役に任命した。
梁永如が懋州に到着するのと入れ替わりで、本軍は帰還した。
交渉には約一年費やし、アクトをアライヒへ返還させて『アクト条約』を結ばせた。国境を画定し、両国納得の上で、ルレンは通商上の利権を得る。
半年以上も僻地で任務に就いていた軍人達は、帝都へ戻ったその足で、当然の様に妓楼へ繰り出し、胡暗は久方振りに賑わいを見せた。
軍人達が浮かれて羽目を外している頃、瑠偉武は半年振りに春琴を尋ねて、松子房に姿を現した。
皇太子の近況を聞く為だ。
春琴は、瑠偉武に足労を掛けてしまった事に恐縮しつつ、彼が不在中にあった出来事を語る。
「…………そうか」
春琴の話しを聞き終え、瑠偉武は静かに言葉を漏らした。
「私は………… 未だ殿下に、黎竪が報告した、玉花大姐が亡くなったという事を、上げられずにおります。
それは、私自身が信じられぬ事でも御座居ますが、これ以上殿下に、殿下の御心を乱す事となりましょうから……………」
途切れ途切れに、春琴は付け加えて云う。
「そうだな」
返して瑠偉武は、出して貰った茶を一口呑んだ。
その、白花という女人の素行で、進めていた見舞金の名簿から名を消す程、殿下は未だ、大姐に忘れ得ぬ想いを秘めておるのだろう。ならば、春琴でなくとも、口には出来ぬか。
「…………しかし、由成殿が見舞金に関して怪しんでおるのだから、幾人が、この件に気付いておるのやら」
暫しの沈黙の後、ぽつりと瑠偉武は口にする。
「!」
春琴ははっとして彼を見、
「確かに、それも然りであられますな」
口の中でそう云い、眉間に皺を寄せた。
「事が事なだけに、噂が立たぬ様、細心の注意を払わねばならぬな」
瑠偉武も渋い顔で云う。
本軍が帰還した翌日。
子絽から文が届き、王陸は楼主に暇を貰って、文を届けた使者と共に鈴宝楼へ赴いた。
呼ばれた理由について、王陸は直感している。
先日、夏飛を追って、赤蛇団の塒へ行った。多分、その事であろう。
果たして、その通りであった。
通された、鈴宝楼の一室には、子絽の他に一翔も居た。
ここは恐らく、何方かの房間なのであろう。
子絽に勧められる儘、王陸が円卓へ着くと、
「酒か?」
一翔がにやりとしながら、そう訊いた。
「否、陽も高い内から酒なぞ。それに己は、未だ成人前なので…………」
やんわりと王陸は断る。
それに対して一翔は呵々と笑った。
「小性殿は堅ぇなぁ。じゃあ、烏龍茶で良いな」
云って一翔は廊下に顔を出して、通り掛かった団員へ烏龍茶を頼み、また房間へ戻る。
彼が自分の事を「小性殿」と呼んだのに対し、王陸は渋い顔になりつつ、
「己を呼び出したのは、先日の事が理由なのだろう?」
改めてそう尋ねた。
「ご名答だ」
一翔が答えた。
「孩子を追って王陸がここに来た事にも驚いたけど、それ以上にもやもやするもんがあってな」
子絽は真顔で云った。
「もやもや?」
王陸は訝しむ。
「そうだ。お前はあの日、誰を捜していたんだ? ひょっとすると、白花姐さんの孩子じゃねぇのか?」
子絽の言葉、王陸はぎくりとし、目を見開いた。
「は?」
一翔も驚き、子絽を見る。
彼もまた、白花が玉花なのを知っている。
「姐さんが太夫であった頃に妊娠したってのは知ってもいたし、そん後に産んだってのも耳にした。まぁ、噂程度にしか思ってなかったけどよ。けど、お前がここに来る程だ、そりゃあ確定するしかねぇよな」
子絽はそう続けて、ふと笑った。
彼は、王陸が玉花に焦がれていると、そう思っているからこそのその言葉。
「……………」
王陸は複雑な想いで子絽を見詰める。
「…………へ。そういう事か」
一翔は真顔になり、そう呟いた。
そして、沈黙。




