其の五十一
王陸の案内で廊下を進む棋本を、芙蓉は偶然目撃した。
「……………」
王陸と同伴しているという事は、矢張り、楼主様絡みと見るべきであろう。
不審感が募り、芙蓉は眉間の皺を深める。
問うても王陸は、答えまいか……………
夜が白々と明ける頃。
明烏に急かされる様に旦那衆が妓楼を後にすると、夜を名残惜しむ妓女や、やれやれと安堵の息を吐く妓女もおり悲喜交々《ひきこもごも》だ。
芙蓉は芸妓として宴席に出ていた為、他の妓女達よりも先に自室へ戻っていた。
彼女の房間は二間になっており、奥の間では風香と夏飛が眠っている筈だ。
「……………」
芙蓉は、明け始める窓外を眺めつつ、盃を空けてる。
その表情は険しい。
王陸の今迄の言動を考えれば、大姐を想っていると知る。なれど、楼主様の意見に異を唱える事はなかろう。
そう思うと、何とも歯痒い。
「…………否」
芙蓉は呟き、ふと笑む。
彼奴の心は存ぜぬが、自身の意に反すれば、表立ってではないにしろ、抗うやも知れぬな。
酒器を取り、空いた盃に注ごうとした時。
「芙蓉姐姐。未だ起きておられましょうか?」
と、廊下から声が掛けられた。
「何方か?」
芙蓉は酒器を置き、訪問者を尋ねる。
「あ…… 失礼致しました。茜紗で御座居ます」
訪問者は慌てて名乗った。
その名を聞き、芙蓉は眉間に皺を寄せる。
茜紗は去年に新造から妓女になった者で、雪梨派だ。
芙蓉はふと息を吐くと、立ち上がり扉へ向かった。
「それで? 茜妹、何用であろう?」
そう問いながら彼女は扉を開ける。
「っ!」
扉が開けられるとは思ってもみなかったのか、茜紗は驚き、続く言葉が直ぐには出ない。
「どうした?」
彼女のその様子を見、芙蓉は思わず苦笑する。
苦笑であれ、芙蓉が笑んだ事に茜紗はほっとした様子で、
「姐姐が起きておられるのであれば、是非とも盃を交わしたいと、太夫が申しておられます」
そう伝えた。
「太夫が?」
芙蓉は怪訝そうに聞き返す。
「はい。如何で御座居ましょうか」
彼女のその反応に、茜紗は上目遣いで恐る恐る伺う。
「……………」
太夫の今宵の客は黒牡丹劇院の面々。
推定の域を出ぬが、棋本大爺が役者達を率いて登楼した目的は、小雨であろう。それを、太夫も気付いたのか? 故に、私を呼び出すというのか?
何の為に……………?
そこまで考えて、ふと気付く。
太夫は小雨を月夜から追い出したいと思ってはいるが、楼主様の修惑を知り、異を唱えておるのか?
「…………好い。太夫と盃を交わそう」
暫くの後、芙蓉は茜紗と視線を交わし、ふと微笑んでそう答えた。




