其の五十
今宵。
月夜楼の楼主の房間には、楼主の陳茂叔は固より、黒牡丹劇院々長の棋本、小性の王陸と新造である風香、そして、この座の主要人物となる夏飛が集まっていた。
棋本は品定めする様に夏飛を見、そして頷く。
「悪くはないな」
彼のその言葉に、陳茂叔は「当然」という風に満足気味に口角を上げた。
一方、風香は、僅かに顔を歪める。
彼女のその表情の変化に気付き、王陸は胸の内で笑む。
……………その後、夏飛と風香を下げてから、陳茂叔は単刀直入に値段を尋ねた。
「……………」
尋ねられた棋本は、考えながら算盤を弾く様に右手の指を動かし、ややあってから、
「銀十五両で、どうだ?」
そう告げた。
「それ以上は出ぬか?」
だが、陳茂叔は不服そうだ。
「これが限界だな」
「そうか………」
陳茂叔は返し、一旦言葉を切ってから、ふと笑む。
「李殿は、二十出すと申したがね」
「李殿……… まさか、龍陽の李月白の事か?」
棋本ははっと気付き、目を見張る。
その名を聞き、王陸の背に冷たいものが流れ、陳茂叔を見やった。
『龍陽』は男倡楼の総称であり、その総元締めであるのが、李月白なのだ。
何時の間に楼主様は、李大爺と交渉したのだろうか。
王陸は感情のない表情で楼主を見るも、何処か侮っていた自身の甘さに、内心で歯噛みする。
「どうするね?」
勝ち誇った様に陳茂叔は、棋本へ笑みを向ける。
「……………っ!」
棋本は苦々しく舌打ちをした。
「李月白に見す見す持って行かれるのは、流石に癪に障るな。
ならばこちらも二十出そう。後は奴と競り合おうではないか………………」
「御待ち下さい」
棋本の言葉を遮る様に、陳茂叔の背後から王陸が、静かに言葉を発する。
意外な事に、陳茂叔と棋本は怪訝そうに彼へ視線を向けた。
王陸はふたりの面前に出ると、片膝を着いて跪く。
「畏れながら。それ以上は芙蓉姐姐の有無を伺うのが筋かと存じます。事実、現時点では姐姐が、小雨を庇護されておられますので」
彼はそう云い、面を上げずに視線だけを上げた。
その瞳には何の色もなく、王陸の感情は読めない。
「陳老爺、どういう事か?」
棋本は横目で陳茂叔を見やり、そう問うた。
陳茂叔は、王陸を一瞥し、そして好々爺らしく柔らかい笑みを棋本へ向ける。
「ふ。なに、問題のない事だよ」
「そうか。なら、この交渉は活きていると、そう解釈して好いのだな?」
念を押す様に、今度は正面から陳茂叔を見据えて、棋本は訊いた。
「その通りだ」
彼は頷く。
そして、楼主は穏やかに王陸の名を呼び、棋本を宴席へ案内する様命じるのであった。
棋本を宴席へ案内した後、王陸は宴席が行われている房間から離れ、人影もない廊下まで来、開けられた窓の枠に腰掛ける。
「……………」
先刻の楼主の言葉を思い起こす。
楼主様は己の意見も然る事ながら、姐姐の存在をも軽んじ、蔑ろにする気なのか。
そう考えると、憤ると共に、遣る瀬なさが募った。
彼が月夜楼に来て、楼主の小性となって五年。総てとはいわないが、ある程度は主の為人を知っているつもりでいたが、今日の主の姿を見て、落胆してしまう。
吝嗇である事は認識していたが、妓女、しかも一介ではなく芸妓をも軽視するとは……………
どう足掻いた所で、夏飛は劇院か龍陽に売られてしまうだろう。ならば尚更、一目でも母子を会わせたいと、王陸は強く思うのだ。
そして、あわよくば、その儘ふたりで過ごせればと、夢を見る。
補足
◎銅一両=三百円
◎銀一両=三萬円
◎金一両=三百萬円




