其の四十六
子絽と成栄は、帝都・花京の手前の繁華街である没中門の辻に立ち、談笑していた。
それは、全く有触れた光景であり、行き交う者達も気にする様子もなく、彼らの側を通り過ぎて行く。
しかし、彼らの意識は路地の先にあった。
そこでは王陸が、ふたりの男と対峙している。
「………あの小男孩って、何なの?」
王陸の跡を追って路地へ入った男らは、こうして見れば、追っていた筈の王陸に背後を取られていた事に対しての、成栄の言葉だった。
彼の云う「小男孩」とは、小僧という意味だ。
驚く成栄に、子絽はにやりとする。
「柳暗花明ってのは、どうやら闇の深い場所らしいからな。自ずと身に付けた術じゃね?」
しれっと返すが、その実、王陸に尾行を巻く術は、子絽が伝授したものだ。
「柳暗花明、妓楼か。随分と粋な事を云うじゃないか」
成栄はふと笑った。
「けど……………」
子絽は彼の言葉には応えず、路地の先で繰り広げられている遣り取りを見、呵々と笑う。
それに釣られて、成栄も再度その方へ視線を向け、苦笑いをした。
「あぁ、子絽が云わんとする事は解るよ。小男孩にとってあの男人らじゃあね」
「敵もあんな頓痴気を寄越すなんざ、彼奴も、随分となめられてんだなぁ」
愉快そうに笑う子絽。
「おい。こんな所に居やがったのかよ?」
と、突然に、子絽と成栄の背中へ声を掛ける者があった。
「!」
ふたりは振り返り、声の主を見る。
そこには、彼らとそう年齢の変らない青年が居た。
「お? 一翔じゃねぇか」
子絽が笑いの余韻を残した儘、その者の正体を認める。
「楽しそうじゃねぇか、おい、何やってんのよ?」
一翔もにやにやしながら、子絽の肩へ腕を回して、巻き舌でそう訊いた。
「ふ。なぁに、ちと喜劇をな」
子絽はそう返し、口元を右手で覆うと、堪らずにくくっと吹き出す。
「あ? こんな所で喜劇かよ?」
彼の言葉を訝しく思い、一翔は彼らがそれまで見ていた方へ視線を向けた。
そこには三人の男達が、二対一で対峙している場面。
「ん? 何だ? 月夜楼の用人がいちゃもん付けてんのか?」
一翔は状況が把握出来ず、ぽかんとする。
「あの三人皆、月夜楼の者だ」
子絽がそう云うと、一翔は事情が解ったのか、「へぇ」と一言漏らして、再度にやりと嗤った。
「それより、一翔は俺らを捜しに来たの?」
そんな彼を見て、成栄が尋ねる。
「おっと、そうだった」
その言葉に一翔ははっとして、子絽の肩を解放すると、
「手前らがなかなか戻って来ねぇから、俺が動くはめになっちまったんだぜ?」
不機嫌面で悪態をつく。
「あ? どういう事だ?」
子絽が訝し気に聞き返した。
一翔はちらりと成栄を見、
「お前が持って来た御頭の命で、これから診所へ行く所だ」
そう返す。
「てぇと、白花姐さん絡みって事か?」
子絽は意外な言葉に目を見開き、一翔を見据えた。
そんな彼を成栄は見る。
「その姐さん、何かあったの?」
成栄のその言葉で、矢張り彼は何も知らないのだと、子絽は確心する。
「あー、成栄。お前は、毛修と趙頗の件を知らねぇな?」
「御頭の逆鱗に触れたってのは聞いたけど、何をやらかしたのかまでは知らないな」
成栄は右手を腰にやり、軽く首を振った。
「あぁ、奴らの悪癖の小遣い稼ぎ、その犠牲にされたのが、件の白花姐さんだ。
その所為か、御頭が気に掛けてんだよ」
子絽がそう説明した。
「それだけじゃねぇよ」
すると、一翔が加えて口を開いた。
「あん?」
その言葉を訝しく思い、子絽は一翔を見、成栄も彼を見る。
「先の火災、その被災者の中に姐さんの名も上がったんだけどな、何でか、新たに作成された名簿からはその名が消されたそうだぜ」
ふたりが注目する中、一翔はさらりと云った。
「は? 消されたって、どういう事だよ?」
子絽は驚く。
「知らねぇけどよ。行方が追えなくて見舞給付金が届けられねぇなら、そう記せば良いだろうが、名そのもの自体が消されたとなると、胡散臭ぇわな」
云って一翔はにやりとする。
「あぁ、仮にそれが苦力だとしたら、まぁ頷けなくもないか」
子絽は腕を組み、思案顔で返した。
「白花姐さんが、元太夫っつうのも関係してんじゃね? 知らんけど」
「え?」
一翔の云った「太夫」という言葉に、今度は成栄が驚いて声を上げた。
「おっと。こりゃあ明るみに出しちゃなんねぇ事だったな」
一翔は大袈裟にそう云うと、成栄の肩に腕を回して、
「忘れろ」
囁く様に彼へ云う。
「あー、なる程」
子絽はそう呟き、路地の方へ視線を向けた。
そこでは、浪基と奎至が王陸に背を向け、立ち去る所である。
「じゃあ、彼奴に訊けば、姐さんの近況が分かんじゃね?」
視線をふたりへ戻し、右手親指を王陸の方へ向けながら、子絽は言葉を繋いだ。
「彼奴?」
一翔と成栄も、路地の先に立つ少年の背を見る。
「そ、月夜楼の小性だ」
ふと笑い、子絽は云った。
「へぇ、そうかい」
正体が知れて、一翔もにやりとする。
「……………」
成栄は独り、今ひとつ話しが見えずに、戸惑っていた。
そんな三人に注目される中、王陸は静かに振り返った。




