其の四十三
紆余曲折を経て、胡暗の火災に巻き込まれた被災者へ、漸く見舞給付金が届けられたのは、災害があってから一月半後の事である。
その中でも幾人は行方が追えず、届けられなかった者もあるが、それでも事は遂行された。
そう、思われたのだが………
「………っ!」
石均は、親交のある役人から内密でその報告書の写しを入手し、書面を観て愕然とする。
名簿欄の『受取済』にも『未済』にも、白花の名が記されていないのだ。
もしや、配付した役人が懐に入れたか。とも考えるが、それならば、単に『受取済』と記せば良いだろう。役人は時に、書類管理が杜撰であるのだから。
念の為に、手元に置いておいた名簿の原本を取り出して、その二枚を見比べる。
幾度観ても、消えているのは白花の名のみだ。
何かの手違いで漏れたのか、はたまた、故意に消されたのか………
「まさか」
石均は頭を振った。
この件は皇太子の名の元で進められた事業。しかも、被災者が例え苦力であろうとも、関係なく給付すべし。と達示があったのだと、役人達が顔を顰めていたのだから、故意に消されたとは考え難い。
「………………」
これは、探ってみる価値がありそうだ。
「…………おう? 成栄じゃねぇか。どうしたよ?」
胡暗の北側に在る、赤蛇団の塒となっている鈴宝楼を訪れた青年に、子絽が気付いて声を掛けた。
「あ、子絽。久し振りだね」
成栄は笑みを向け、気さくに応えると、
「今、侠羽大哥は居る?」
逆にそう訊いた。
「あぁ、大哥に用事か。大哥なら、まだ房間に居ると思うぜ」
「何だ? 成栄、頭の方で何かあったのか?」
通りすがりにふたりのやり取りを見聞きし、葛榴がそう声を掛けた。
「榴哥、御無沙汰しています」
葛榴の存在に気付き、成栄は慌てて拱手の礼をし、
「御頭から侠羽大哥へ封書を預かりまして、その意義までは分かりません」
申し訳なさそうに、そう続けて伝える。
「まぁ、気に病む必要はない、それは当然の事だ。ならばその封書、俺が大哥へ届けよう」
葛榴は表情を和らげて云い、彼へ手を出した。
「え?」
意外な事に、成栄は戸惑う。
「お? 何だよ成栄、榴哥を信用出来ねぇてのか?」
彼の様子を見、子絽が突っ掛かる。
「あ、いや、そうじゃないよ」
成栄は慌てて弁解をする。
「じゃあ、何だってんだよ?」
今度は揶揄する様に、子絽は彼に絡んだ。
「よせよせ」
葛榴が苦笑し、やんわりと子絽を窘める。
「済んません榴哥」
成栄は頭を掻き掻き云い、彼へ封書を託した。
「そろそろ昼時だ、お前ら飯でも行って来たらどうだ」
ふと、柱に掛けてある西洋時計を見やり、葛榴はふたりへ云う。
「いや俺は、一刻も早く御頭へ、侠羽大哥の返書を届けなくてはならないから………」
成栄がそう返した。
「は、相変わらずの堅物振りだな」
子絽が失笑する。
「あぁ、大哥だって、そんな直ぐには返書を書けまい」
葛榴も笑った。
「あ、それなら」
渋々と成栄は云う。
「おう! そう来なくっちゃな。橋近くに新しい飯屋が出来たんだ、そこ行かねぇか?」
子絽がそう云い、成栄を促して外へ出る。
ふたりを見送った葛榴は、真顔になると、侠羽の房間へと足を運んだ。
「………頭は何と?」
侠羽が封書を読み終えたのを見計らい、葛榴は訊いた。
「うん。先の火災による被災者への、見舞給付金に就いてだね」
訊かれた侠羽は、緊張感もなく、しれっと応える。
「それは、何か、裏工作が行われたと?」
大哥の為人を把握している葛榴は、特別気にするでもなく、再度質問を投げ掛けた。
「裏工作………その言葉が妥当かは知らないが、十中八九といった所かな」
侠羽は答え、煙管の雁首に刻み煙草を詰めて火を入れると、何とも美味そうに紫煙を燻らす。
「解せねぇな」
葛榴は腕を組み、一言そう云った。
「ん?」
そんな彼を、侠羽は怪訝そうに見る。
「役人が金銭をちょろまかすんは、別に珍しくもねぇでしょう。頭は何を気にしてんです?」
その件はもう済んだのに、今更蒸し返す事が理解出来ず、葛榴は眉を寄せた。
「確かにな、役人の不正は今に始まった事じゃないよ」
侠羽は云い、煙を吸うと、
「だけどな、大哥が気にしてんのは、その、給付金受取者録から名を消された人物、白花姑娘の事だ」
書面から視線を上げ、葛榴を直視しながらにそう結ぶ。
「あ? 姐さんの名前が、消された?」
葛榴は驚き、前のめりになる。
「そうだ。たまたまかも知れんが、消えているのが、姑娘の名のみ。頭としては、それが気になるのだろうね」
「なる程、姐さんだけってのが、気持ち悪いすね」
「と、いう訳で、姑娘の周辺で、何か変わった事がないか、ちぃと探って呉れんか?」
「あぁ、承知した」
葛榴は頷いた。
白蟒蛇河に架かる大橋の西詰め付近に、千里飯という食事処が在り、子絽と成栄はそこで昼食を摂っていた。
他愛のない話しをしながら、食後の茶を飲んでいる子絽の視線の端、窓外を行くひとりの少年の姿を捕える。
「とうしたの?」
そんな彼の僅かな表情の変化に気付き、成栄は訊いた。
「ん、あぁ。あの向こう側を歩いてる奴、知ってる奴でさ」
子絽は顎で指し、そう説明する。
「あの、書生風情?」
成栄もその少年を見た。
「あぁ、王陸っつって、妙に馬が合うんだ。年も変わんねぇし」
子絽はそう云って、茶を飲み干した。
「え? あれ?」
成栄は窓に張り付き、頓狂な声を上げる。
その声に釣られて、子絽も再び窓外へ視線を移す。
王陸の数歩後ろを、ふたりの男が歩いているのだが、馴れていないのか、王陸の跡を追っている事は一目瞭然であった。
「人に尾行されるなんて、彼、何者?」
「えー?」
成栄は妙な面持ちで云い、子絽も奇怪なものを見る様に、窓硝子に鼻を付ける勢いで凝視した。
挿入句
○石均・赤蛇団頭目
○白花・玉花の俗名
◎苦力・下層労働者
○子絽・赤蛇団
○侠羽・赤蛇団の胡暗頭
○葛榴・赤蛇団幹部




