表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愁い花  作者: 冷水房隆
4/87

其の伍


 時は過ぎ、夏飛シアフェイは二才となった。

 この頃になると、夏飛は楼内をちょこまかと走り回り、風香フォンシャンは元より、用人の男衆も手を焼く程だ。

 そんな夏飛なもので、妓女達にも人気であり、楼内を活気付ける。

 それでも客入りの時刻となれば、聞き分けも良く部屋へと戻るから、楼主からは特別咎められる事もなかった。

 だが、本来ならば出産を許される筈のない世界、中には嫉妬をし、その存在を疎ましく想う妓女もいる事は否めなかった。


 月夜ユエイェ楼の次期太夫と囁かれ、事実玉花に次ぐ程の妓女である雪梨シュエリィ

 彼女は玉花よりも六歳年若く、そして、玉花を目の敵にしていた。

 入楼した当初、既に初見世を済ませ、人の目を惹き付ける絢爛けんらんたる玉花に憧れてもいたが、旦那衆の多くが、当然の様にこの妓女になびく様を見、軽い嫉妬が大きく膨らみ、今では敵視する程になったのだ。

 玉花と雪梨が相反する事は末端まったんに迄知れ渡っている為、極力ふたりが顔を合わせぬ様にと気を配っていた。

 「これは、大姐ダァジェ

 「あら、雪梨じゃないの」

 それでも、時として顔を合わせてしまう事もある。

 この日は雪梨の馴染みの旦那が常時よりも早く着くという事で、準備の為に廊下を進んでいる際、手水ちょうずに立っていた玉花とばったり鉢合わせをしてしまったのだ。

 「………時に大姐、今宵の老大爺ラオダァイエは、何方どなたなのでしょう?」

 不意に雪梨はそう訊いた。

 「ふ、不躾な事を訪ねるのね」

 玉花は少し笑い、そう返す。

 「近頃大姐のお相手は、ソン老大爺とヂャン老大爺それにチィ老大爺、何れも大店おおだなの御隠居ばかりですね」

 雪梨は、棘を含んだ物言いをする。

 彼女が何を云いたいのか、大体の予想は出来た。

 「そうね、有難い事だわ」

 だから玉花は、飄々とかわす。

 「そろそろ、年季が明ける頃でしょう。なのに聞けば、身請けを総て断っているそうではありませんか。年季明け、大姐はどうなされるおつもりなの? もしやもしや、子連れ夜鷹になられるおつもり?」

 くつくつと勝ち誇った様な愉快な嗤いが込み上げて来、雪梨は、その佳麗な顔を歪める。

 「まあ、それもまた一興いっきょうね」

 玉花は鰾膠にべもなく、そう返答した。

 「流石は大姐、負け惜しみも一品ですこと」

 袖で口元を覆って雪梨は笑うが、その眼に笑みは見られない。

 「それこそ、負け惜しみに聞こえてよ?」

 玉花は、やんわりとした口調で返した。

 それが雪梨の癇に障り、横目で玉花を睨む。

 「大姐、貴女その内、足をすくわれますわよ。太夫の座は、誰もが狙っているのですから」

 雪梨はそう云い一息吐くと、口端を歪めた。

 「そもそも、大爺ダァイエが来楼しなくなったのも、大姐の自尊心が高いからじゃなくて?」

 彼女のその言葉、玉花はころころと笑う。

 「何が可笑しいの!?」

 雪梨は思わず声を荒げた。

 「太夫になりたくば、私を踏み越えてでもなれば宜しい。それがこの花柳界の道理なのだから。

  なれど、ダーコォ程の男人ナンレンを太客に出来たのは、後にも先にも私だけ。ダーコォが今、来楼しなくなったといえどもね。お気の毒様」

 嫌味のない笑顔で玉花はそう云って、この場を後にした。

 雪梨は、去って行く太夫の背中を、口惜しそうに歯軋りしながら見送った。


 ダーコォの正体、無論玉花だって知らない。だが、時折見せていた気品溢れる雰囲気と、教養の高さは、普通の貴息達とは異彩を放っていた様に感じられたのだ。

 そしてそれが、ダーコォからの身請けを断った、理由のひとつである………


 居住部屋へ戻ると、夏飛が気持ち好さそうに眠っていた。

 窓際の腰掛けに腰を下ろし、窓を開ける。

 冬の香りを纏った風が、部屋の中へ流れ込む。

 もう、秋も終わるのね。

 そう思い、振り返って我が子を見た。

 父親似の我が子の寝顔に引き寄せられる様に、夏飛の側へ腰を下ろした。

 秋が終わり、冬が過ぎて春となる。

 一歳ひととせとは、何と早い事か。

 心の何処かでダーコォの来楼を待ち侘びている自分に気付き、玉花は自身を揶揄する様に小さく笑った。

 だがそれも束の間で、我が子を見ていると切なくなり心が乱れ、玉花はゆっくりと立ち上がり、部屋を出て行くのであった。


 それから数日後に、事件は起こった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ