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愁い花  作者: 冷水房隆
33/87

其の三十四

 主人の間に呼ばれた、その翌日の昼下り。

 芙蓉フーロンは、夏飛シアフェイ風香フォンシャンと共に、遅い昼餉を摂っていた。

 「時に、小雨シャオユィは、媽媽に会いたいか?」

 その際に、芙蓉はそう訊いた。

 突然のその問いに、夏飛はきょとんとし、上げた箸を下ろす。

 「姐姐、藪から棒に何事なのですか?」

 風香が割って入り、夏飛の代弁をする様に、訝しがり、逆に訊く。

 「どうだ? 小雨」

 芙蓉は風香に構わず、再度尋ねる。

 「あ、会いたい………」

 夏飛はそう答え、溢れそうになる涙を堪え、ぎゅっと強く目を閉じた。

 その様子に、風香は不機嫌な顔付きとなり、夏飛を横目で見る……………


 宮中。

 春琴チュンチンの居住房である松子房に、翰林かんりん院士で皇太子・耀舜ヤオシュンの師傅の由成ヨウチョンが訪れたのは、耀舜が胡暗ホゥアンの被災者名簿から白花バイホワの名を抹消させた、その翌日の夜だ。

 彼の訪問を怪訝に思いながらも、春琴は快く迎え入れた。

 「………マオで緊迫した情勢の今、この様な事を問題視するのも如何なものかと、やや迷ったのだが」

 「何事で御座居ましょうか?」

 春琴は身を乗り出す。

 懋とは、本国・易華ヤンホワの西北に位置し、アライヒの最西端とルレンの南方の国境に接する地域だ。

 そして今、三国間で揉めている最中なのである。

 「うん。実は、以前から敬事房けいじぼうの者から相談をされていてな」

 先程から由成の歯切れが悪い。

 だが、「敬事房」と聞き、春琴は感知した。

 それはつまり、皇太子の夜伽の事だろう。

 春琴は無言で、次に出る由成の言葉を待つ。

 「当初こそは、侍寝じしんとして、ルオ妃殿下を招喚なされていた様ではあるが、近年では全く御声が掛からぬと、妃殿下も嘆いておられるとか」

 「左様で御座居ましたか。

  然りとて、申し訳御座居ませぬが、そちら方面は、私の与り知らぬ所であります故」

 春琴は首を下げながら、そう応える。

 「あ、これは、私の方こそ、春殿を責める様な云い方になってしまい、申し訳ない」

 由成は慌てて執り成した。

 「そうではない、私が云わんとする所は、そこではなく………」

 そこまで云い、由成はひとつ息を吐き、座り直すと、

 「今、殿下が進められている事業、胡暗の火災で被災した民へ見舞金を給付する件は、無論君も知っておるな?

  それに関して昨日さくじつ、有ろう事か殿下は、被災者名簿から一名を削除なされたのだよ」

 彼の言葉、春琴はぴくりと反応した。

 「そ、それは、何という名の者であられましょうか?」

 「確か………白花、とか、そういう名であったかな」

 「っ!!」

 春琴はぎくりとする。

 「春殿のその様子、何やら心当たりがあると?」

 「否………」

 言葉を濁す春琴。

 由成は暫し、そんな彼を直視してから、口を開く。

 「殿下は、分け隔てなく、被災した総ての民に見舞金を給付すると、その者が例え、最下層の身分であろうとも、そうすると申された。

  だがしかし、何故、その白花という者ひとりを、削除されなければならぬのか」

 そして由成は、徐々に感情的となり、身を乗り出す。

 「皇太子殿下の名の下で行うのであるのならば、そこに私情を差し挟む事は、あるまじき愚行であるぞ」

 「御尤もな御意見にて」

 「春殿、殿下を愚行に走らせる、その白花とは、何者なのだ?」

 由成は両手を伸ばし、卓を挟んで対面する、春琴の両肩を掴んだ。

 「………………」

 春琴は口を噤み、思い惑う。

 無論、由成は信頼出来る人物である。

 しかしながら、白花の事を語れば、自ずと玉花ユィホワの存在が浮き彫りとなり、妓楼へ通っていた事実も明るみとなるだろう。

 例えそれが五年前であり、婚儀前であろうとも、後の皇太子が足繁く通うとは以ての外だ。それ故に、この事を知るのは、春琴と八雲バァユン軍の総指揮官である瑠偉武リウウェイウゥ他、腹心の限られた者のみなのだ。

 「………白花という者、名だけは耳に致して御座居ますが、それ以上は、残念ながら存じませぬ」

 考え倦ねいた末、春琴は心苦しくも、そう答えた。

 「それは、誠か?」

 由成は探る様な目付きで彼を見る。

 「はい」

 その視線を受けても、春琴は、二回りも上の年長者と視線を交わし、堂々と頷いた。

 「………………」

 暫しの沈黙の後、由成はふと笑う。

 「君は何とも、恐ろしい存在だ。だが、殿下には忠実であり、頼もしい存在であるのだな」

 「痛み入ります」

 春琴は背筋を伸ばし、卓に額が着く程に深く、頭を下げた。


 夕暮れ時の胡暗、その本通りはそろそろ賑わい始めて来る。

 昨今の主な顧客である軍人は、懋での攻防戦に駆り出され、その姿はまばらである。その代わり、以前の様に金銭に余裕のある大店の子息や、余裕はないものの、日頃の鬱憤を晴らしに、金銭を掻き集めて来る下級官吏や民の姿が多く見られた。

 それ故に、どの妓楼も、高級妓女である太夫が呼ばれる事はまれだ。

 その波は当然、雪梨シュエリィにも押し寄せ、焦燥感で辟易していた。

 故に、栄華を誇っていた頃の太夫、玉花の存在をより一層妬み、夏飛の存在さえも疎ましかった。

 夏飛が月夜楼に居るというだけで、例え姿を見なくとも、その影が目障りで仕方がない。

 どうしても追い出したい理由は、それである。

 だが、幼年の夏飛を想うと、少なからず母性本能が疼き、楼主の思惑である、劇院や龍陽ロンヤンへ売るという事には抵抗があった。

 この儘の情勢が続き、指名数が低迷してしまえば、発言力も弱まり、再び楼主の意の儘に事が進むだろう。

 そんな事は、自尊心が許さない。

 雪梨は苛々と、紫煙を吐き出した。

 


 

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