其の三十二
紫微城も消灯をし、奚人宦官の姿も消えた頃、春琴は居室である松子房に居た。
先刻迄、黎竪も居た。
「……………」
報告を受けた春琴は、心を乱す。
黎竪の報告に依れば、王陸とは花京の診所で会い、しかもそこには、件の白花も存在していたという。
白花という者は、目を見張る程の麗人であった。
だが、彼女は鴉片中毒の様子であって、良好的な第一印象さえ覆す程に、黎竪を大いに動揺させた様だ。
そして、最も春琴の心を乱したのは、王陸からの言伝、「玉花大姐は既に、消え果てた」という言葉。
「玉花」という名は、黎竪にとって初耳であり、未知の人物だ。それ故、「消え果てた」と云われた所で特別響かなかったが、春琴のその狼狽振りを見て、彼も胸が痛んだ。
「消え果てた」とは即ち、死去したという事。
それは誠であろうか?
否、あの少年が、冗談で云うとは思えぬ。なれば矢張り、玉花大姐は、消え果てたと?
「………………」
それが誠だとして、果たして、皇太子殿下にどう、報告したら良いものか。
頭痛の種である。
翌日。
玉花の生死については、真偽を確かめる迄は伏せる事として、春琴は『白花』の件のみを、皇太子・耀舜へ報告した。
この時点で既に、春琴の頭では、玉花と白花を切り離し、別の人物だと信じ込んだ。
耀舜は険しい表情で、報告を受けた。
「………その、白花という者、鴉片中毒だと?」
軈て、静かに口を開き、そう訊いた。
「どうやら、その様で御座居ます」
「………………」
春琴の言葉、耀舜はまた口を噤み、考え込む。
胡暗の火災は、殺人放火が原因だと聞いた。その加害者ではなく、被害者で唯一の死亡者は、高利貸しの上、不正に鴉片を売買していたのだ。
それが元で恨みを買い、殺され、火を放たれた。そして、全くの無関係な住人達も巻き込まれるという、大惨事が起きてしまった。
報告書に依れば、白花は、その殺害された者と同じ公寓に住んでいたとある。ならば、火災以前から鴉片で繋がっていたとも考えられるだろう。
それに、そう、この白花という者は、玉花へ贈った南天の簪を持っていて、典当舖へ流した者でもあるのだ。
大方、鴉片の銭欲しさに、玉花の簪に見を付けて、隙きを見て盗んだのだろう。何と、浅ましい者か。
耀舜の中で『白花』は悪となる。
直後、耀舜は、何の説明もする事なく、被災名簿から白花の名を消させた。
名簿から名を消すという事は、被災見舞金の給付資格から除外させる、という事だ。
道徳に背くと解していても、耀舜をこの様に、個人的感情だけで突き動かしてしまったのは、未だ想いが消えていないという事に、彼は気付いてはいない。
否、気付いていたとしても、気付かない振りをしているのかも知れない。




