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愁い花  作者: 冷水房隆
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其の四

 

 今上皇帝・惇堯トンヤオは幼い頃から気管が弱く、度々発作を起こしていたが、年を重ねてからは頻度も多く、酷い時には長らく床に臥す事もあった。

 その日も、朝から発作の兆候が診られ、大総官太監から安静になされる様進言されたが、執務する分には差し支えないと押し通した挙げ句、夕方には体調を悪化させてしまう。

 「皇長子殿下は何方どちらに!?」

 「本日は未だ、御見掛けしておらぬぞ」

 「また城外へ出たのではあるまいか?」

 「春琴チュンチン殿を呼べ!!」

 側近大臣達は右往左往とする。

 こうして春琴は、胡暗ホウアンへ馬車を馳せるのであった。

 この時馭者ぎょしゃを務めたのは、瑠偉武リウウェイウゥの側近だった。

 春琴は胡暗の正門前で馬車を降り、まず向かったのは月夜ユエイェ楼。そこで用人頭から、寛裕カンユゥ茶房に玉花ユィホワと居る事を聞き、茶房へ走る。

 寛裕茶房でも月夜楼同様の説明をした。当然の事ながら皇帝陛下の事は伏せ、通称『ダーコォ』の父上が倒れたのだと伝えた。

 そして、ふたりが一時の逢瀬を楽しんでいるであろう個室へ通されたのだ。

 そこで見たふたりの雰囲気に、春琴は違和感を覚える。

 取り立てて問題とすべきではないものの、僅かな引っ掛かりが心を占めた。


 「………陛下の御容態は?」

 「此度は軽症の御様子で、三日程安静にされれば、案ずる事は無いと、侍医の御見立てにて御座居ます」

 「左様か」

 春琴の言葉に、瑠偉武リウウェイウゥは安堵する様に頷いた。

 ここは皇城の東に在る、松子ソンヅ房と称されている春琴の居住房だ。

 奚人けいじんの宦官が城内を消灯して回る頃、執務を終えた瑠偉武が訪れていた。

 「然れど、陛下の御身体を考慮すればこそ、皇長子殿下の継嗣皇太子を急かす大臣達の声が上がっておられます」

 「然もありなん。なれど、私もその辺が不思議に思っていたのだが、何故陛下は、殿下を皇太子と御認めにならぬのか?」

 瑠偉武は卓に身を乗り出し、怪訝そうに訊く。

 春琴は直ぐには口を開かず、つと廊下に面した飾り格子窓へ視線を走らせてから、

 「これは、噂では御座居ますが、李栄リィロン太監が陰で糸を引いているとか……」

 そっと伝える。

 「大総官か」

 瑠偉武は険しい顔をした。

 「飽く迄も、噂で御座居ますれば」

 「だがしかし、そう悠長な事も云ってはおられまい。

  去年嬪殿下が、皇子を御出産されたのだぞ。嬪殿下の実父は礼部侍郎れいぶじろう、叔父上は軍機大臣なのだから、仮に皇子が皇太子として擁立されらば、この国はユェン氏の手中に帰するぞ」

 瑠偉武はそう云い、乱暴に茶を飲んだ。

 「解しております。近頃の八雲バァユン軍の市井での振る舞いは、目に余る程………」

 春琴は云い、瑠偉武の顔を見て言葉を切る。

 彼が、苦渋に満ちた表情をしていたからだ。

 八雲軍は古くから皇帝の直属の軍であり、近年では軍機大臣が皇帝の代わりに全権を担い、その総指揮官が瑠偉武なのである。

 「……それも踏まえ、私は新たに軍を設立したいと考えている。それには何としてでも、殿下に皇太子として立って頂かねば困る」

 暫し間を開け、瑠偉武は心の内を吐露する。

 皇太子の立場ともなれば、軍を設立する権限も持てるからだ。

 「なる程、左様で御座居ますか」

 春琴は頷き、茶を啜った。

 「それはそうとして、春琴殿、月夜楼の太夫と殿下は、どうなのだ?」

 軍人らしいでかい図体を屈め、瑠偉武はそろりと訊いた。

 「その事に関しまして、少々気に懸かる事があり、逆に御伺いしたいと存じておりました」

 「何かあったのだな?」

 「はい。本日は珍しく、太夫から文で御誘いになられ、御出掛けになられました。ですが、御二方が逢瀬を楽しまられていたのは、月夜楼ではなく寛裕茶房……否、それもまた意外な事ではありますが、気に懸かりましたのは、御迎えに上がった際の御二方の雰囲気で御座居ます。あの雰囲気、もしや御二方、別離される様な御話しでもされておられたのではないかと」

 春琴の言葉、瑠偉武は考え込んだ。

 以前、玉花を宮妓にと提案した際、皇長子は、何とも云われぬ複雑な表情をなさったのだ。

 そう、もしや、殿下は既に太夫を身請け様としたのやも知れぬ。そして断られ、それでも、もう一度迎え入れ様とし、再度断られたのではなかろうか………

 「………瑠様?」

 春琴の呼び掛けに、瑠偉武は我に返った。

 「否これは、御二方の問題故、不粋な詮索をせぬ方が良いだろう。殿下も既に二十歳、分をわきまえられよう」

 「左様で御座居ますな」

 春琴は、皇長子・耀舜ヤオシュンに幼少の頃より仕えていたから、主人の気性は熟知してる。

 それに殿下は、密かに帝王学を学ばられておられた。

 あの方なら、仮に自負を傷付けられ様とも腐らず、他者の用意した平穏な道よりも、例え茨の道だろうとて、自身の信じる道を歩まられるだろう。

 

 そしてそれはその通りとなり、その日からは皇城を出ず、文武両道に勤しみ、皇帝の御心を動かしたのである。


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