其の二十八
玉花から夏飛へ文が届いてから、約半月のこの日、芙蓉の元へ王陸が訪れた。
「姐姐、単刀直入に申しますれば、大姐の消息が知れたので、御報告致します」
「!?」
当然、彼の言葉に芙蓉は目を見張り、暫し言葉が出て来ない。
「大姐は只今、林医生の元に置かれております」
何の表情もなく、王陸は続けた。
「………そうか、御無事だったのだな!」
歓喜が一歩遅れて沸き、芙蓉は身を乗り出す様にして、そう云った。
「………………」
王陸は僅かに表情を曇らせる。
その様子を見て、芙蓉も顔色を変えた。
「否……解している。林医生の元に居るという事は、そうなのだろう」
心がざわりとして落ち着かない。
「左様にて御座居ます」
「その事は、楼主様の耳にも?」
「否。そもそも楼主様は、大姐が行方知れずという事も存じませぬ」
「そうか」
王陸のその言葉に、芙蓉は些か安堵した。
「ならば、小雨にもまだ、云うておらぬのだな?」
そして、続けてそう訊く。
王陸は僅かに眉を動かした。
「他の者にも、況してや小雨になぞ、どうして云えましょうか」
「何? 大姐の容態は、そないに悪いと云うのか?」
彼の表情の変化に、芙蓉の胸がぎくりと震える。
「………………」
ここで初めて、王陸の顔色が大きく変わり、膝の上に置いている両手が、微かに震えていた。
「申せ! 今、どの様な状況なのか、申してみよっ!」
芙蓉は王陸に掴み掛からんばかりの勢いで、そう詰問する。
「………大姐は、鴉片狂いになられております」
漸く王陸は、重苦しい現実を、血反吐を吐く思いで口にした。
視線を落とし、芙蓉の顔は見られない。
「な………っ!?」
彼のその言葉を受け入れられず、笑おうとするが笑えず、出掛けた言葉を呑み込み、芙蓉は暗い沼へ沈んで行くのかという程の錯覚に襲われた。
何故? どうして? 何があったというのだ?
そして芙蓉は、垂らした首を擡げ、
「………何故に?」
王陸を直視する。
彼は、険しい表情で頭を振った。
知らないからではない、詳細は子絽から聞いている。だからこそ、口にするのが恐ろしいのだ。
………………朧月を背に、馮渉と弘敬は斉有素が住む公寓の戸を開けた。
戸は、何の抵抗もなく開き、ふたりは不審に思って顔を見合わせる。
用心深く一歩踏み込むと、鼻を突く程の血の匂い。
袖で鼻を覆い、月明かりを頼りに、注意深く室内へ目を凝らすと、奥の窓に何か黒い物体が垂れ下がっているのが見えた。
更に踏み込む。
「!?」
それは、窓枠に右手を掛け、崩れ落ちた人間の肢体であった。
背中、右肩から左脇に掛けての瘡痕は、生々しい。
「これは大方、斉の旦那だろうな」
多少の動揺はあるものの、馮渉が冷静さを装って云う。
「大方」と云ったのは、その肢体には頭がなかったからだ。
「そうでしょうね。それにこの状況、近隣が弾正台に通報しているんじゃないですか?」
弘敬が馮渉の背後から、些か案じながら云った。
遺骸の状態を見れば、何者かが押し入り、恐怖から斉有素は窓から逃げ様としたその背に一刀、そして首を切断されたのだろう。それなら、悲鳴なり争う声なりを近隣の住人達は耳にしていよう。
だが、馮渉はふと笑った。
「大丈夫だろう。弾正台は動かんさ」
ここ安曇の東地区は、胡暗同様に苦力が多く巣くう地。
警察機関の弾正台が本腰を入れはしないと、馮渉は踏んでのその言葉である。
弘敬もそれに気付き、落ち着いた。
「それで、この骸はどうします?」
「放って置け、それよりも、毛修の行動が気になるな」
馮渉は云うなり、踵を返して外へ出る。
慌てて弘敬はその後を追うのであった。




