其の二十四
外は、春の冷たい雨。
隙間だらけの卯建小屋では、風も防げぬし、雨漏りもする。
雨漏りの雫がひとつ頬に落ち、玉花は目を覚ました。
気怠い。
躰が重く、泥の様に地にへばり着いているのかと、そんな錯覚を起こす程だ。
襤褸の羅紗生地の布に包まり、寒さに震えて横たわる玉花は、眠りに着く前の事を想う。
………薬舗に現れたふたりの青年、その者らから「夏飛」の名を聞き、迂闊にも信用し、のこのこと付いて来てしまった。
微塵の疑いもなく。
そして、連れて来られたのがここだ。
ここで与えられた、煙管に詰められた刻み(煙草の葉)は、鴉片であった。
二年程振りの鴉片の味に、玉花は酔い痴れる。
忘れていた感覚に、心が、脳が、慰楽を求めて溺れて往く。
もっと、もっと頂戴!
夏飛の事を案じていたのに、心から夏飛の事なぞ消し飛ぶ……………
「姐さん、生きてるー?」
何の緊張感もなく小屋に入って来たのは、まだ少年と呼ぶのが相応しい程の男。
再度眠りに着いた玉花は、その声でふと目を覚ます。
「ありゃ、まだ抜けてねぇみてぇだな」
玉花の様子を見て、男はそう云いながら、づかづかと入って来る。
焦点の定まらない瞳を男へ向け、玉花は煩わしそうに顔を顰めた。
男は彼女の側にしゃがみ込むと、その顔に触れた。
「姐さんは、本当に美麗だな。他の男人に姦られんの、もったいねぇ」
恍惚とした視線を向け、男は生唾を飲み、舌舐めずりをし、玉花の頬に触れている手を首へ、首から鎖骨、そして襟を割って乳房へ這って行く。
その手の温もりに、玉花は本能でそれを求め、男の首に両手を回して引き寄せた。
「嗚呼、温かい………」
彼女は、口の中でそう呟く。
その行為が、男の色慾に火を点け、玉花をその儘組み敷いた。
「姐さんが悪いんだぜ、あんたが誘ったんだからな!」
男はそう云い、玉花の口を吸う。
花京に在る、徐博の薬舗を訪れた青年は、玉花の姿が見えない事を訝しんだ。
「よぅ、白花の姐さんは、使いかい?」
応対する徐博に、青年は問うた。
「否、先日出た切りだ。大方、この仕事が厭になったのだろう」
徐博は飄々と答える。
「先生、相変わらず他人に無関心過ぎですぜ」
青年は失笑した。
「女人は綿毛の様なものだ、良ければ根付くが、気に喰わなきゃ、また風に吹かれて行く」
表情を変えず、徐博はそう云った。
その言葉に青年は呆れるが、
「捜してみようか?」
そう訊く。
「子絽が気になるのなら、そうすれば良い」
飽く迄も徐博の言葉は素っ気ない。
「じゃあ、そうするよ」
青年、子絽は呵々と笑いながら、そう云った。
子絽が、塒の在る胡暗へ戻ると、月夜楼の小性である王陸と遭った。
彼は度々、哥さんらに付いて登楼している為、顔を見知っていた。
「おう、王陸、元気かい?」
その間柄であるが故に、子絽は気軽に声を掛ける。
「子絽! 調度君を訪ね様かと、そう思っていた所だ」
王陸は彼の存在を認め、珍しく興奮気味でその手を取った。
「お? おう、どうしたよ?」
彼の勢いに圧倒される子絽。
王陸は人目を気にし、横道へ子絽を連れて行き、
「………人を、捜して欲しい」
そう耳打ちする。
「何だ? 妓女でも逃げたのか?」
子絽は目を丸め、王陸を見た。
「否、妓女ではない」
王陸は頭を振る。
「じゃあ誰なんだよ? お前の好い女人かい?」
茶化す様に子絽はそう云うも、彼の真剣な眼差しを受け、笑みは引き攣った。
「年季の明けた、元太夫だ」
更に声を落とし、王陸はそう告げる。
彼の言葉に子絽ははっと気付いた。
「それは、玉花太夫かい?」
「そうだ」
「は? 否、待て待て! 何故今更? 年季が明けて三年だろうが! 何を今更? だってもう、月夜とは関係ねぇんだろ?」
子絽は混乱気味に捲し立てる。
見れば、王陸は顔を赤らめていた。
「っ!」
その様子で子絽は合点がいく。
なる程、王陸はその太夫に惚れているのか。
そう考えながら、子絽はにやにやと彼を見る。
「か、関係はないが、今は関係ないけれど、元は月夜の太夫なのだから、気にはするものではないのか!?」
子絽の視線に気付いて、王陸は外方を向き、言い訳がましく捲し立てた。
「まぁ、どうだって良いさ」
子絽は呵々と笑うと、元太夫の捜索を引き受け、王陸と別れた。
胡暗の北側に、『鈴宝楼』と記された看板が掲げられた大楼が在り、元は餐館であったが、改革の動乱の際に廃れ、建物だけが残された。そこへ赤蛇団が屯する様になったのだ。
赤蛇団の屯地は二箇所在り、そのひとつがここである。
子絽が鈴宝楼へ戻ると、調度、兄貴分である葛榴が出て行く所であった。
「おっと、子絽か」
「哥哥、どちらへ?」
「あぁ、近頃無断で毛修が動いているみてぇで、何をしてんのか探れって、頭からの御達しだ」
葛榴は面倒臭そうな顔で、そう返す。
「あー、修哥ですか」
その言葉に子絽は、またか、と呆れて苦笑する。
「で? お前は何処へ行っていたんだ?」
鋭い視線を向け、葛榴は訊いた。
「はい、徐先生の所です」
子絽は臆する事なく答えた。
「あぁ、侠哥の薬か」
葛榴は合点する。
「あ、そういえば、そこの姐さんが行方知れずになってるそうです」
ふと思い出し、子絽は軽口のつもりでそう云うが、葛榴はそれに異常に反応した。
「その姐さんの名、確か、白花と云ったか?」
葛榴は、ずいと子絽の顔に顔を近付け、確認する様に訊く。
「は? そうですが………」
その圧に、流石の子絽も辟易ろいだ。
「へぇ、なる程な」
葛榴は腕を組み、明後日の方を向きながら、にやりとする。
子絽はそんな哥の様子を見、只きょとんとするばかりであった。
補足
馬賊とは、村落の略奪、強盗を生業とした匪賊としばしば混同されるが、全くの別物である。事実それに近い行為をする馬賊もなかにはあったが………
その起源は、『保甲法』など村落共同体の武装自営組織に根ざしており、ルンペン化した匪賊と本来は異なる。




