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愁い花  作者: 冷水房隆
23/87

其の二十四

 外は、春の冷たい雨。

 隙間だらけの卯建小屋うだつごやでは、風も防げぬし、雨漏りもする。

 雨漏りの雫がひとつ頬に落ち、玉花ユィホワは目を覚ました。

 気怠い。

 躰が重く、泥の様に地にへばり着いているのかと、そんな錯覚を起こす程だ。

 襤褸ぼろの羅紗生地の布に包まり、寒さに震えて横たわる玉花は、眠りに着く前の事を想う。


 ………薬舗に現れたふたりの青年、その者らから「夏飛シアフェイ」の名を聞き、迂闊にも信用し、のこのこと付いて来てしまった。

 微塵の疑いもなく。

 そして、連れて来られたのがここだ。

 ここで与えられた、煙管キセルに詰められた刻み(煙草の葉)は、鴉片であった。

 二年程振りの鴉片の味に、玉花は酔い痴れる。

 忘れていた感覚に、心が、脳が、慰楽いらくを求めて溺れて往く。

 

 もっと、もっと頂戴!


 夏飛の事を案じていたのに、心から夏飛の事なぞ消し飛ぶ……………


 「姐さん、生きてるー?」

 何の緊張感もなく小屋に入って来たのは、まだ少年と呼ぶのが相応しい程の男。

 再度眠りに着いた玉花は、その声でふと目を覚ます。

 「ありゃ、まだ抜けてねぇみてぇだな」

 玉花の様子を見て、男はそう云いながら、づかづかと入って来る。

 焦点の定まらない瞳を男へ向け、玉花は煩わしそうに顔を顰めた。

 男は彼女の側にしゃがみ込むと、その顔に触れた。

 「姐さんは、本当に美麗だな。他の男人に姦られんの、もったいねぇ」

 恍惚とした視線を向け、男は生唾を飲み、舌舐めずりをし、玉花の頬に触れている手を首へ、首から鎖骨、そして襟を割って乳房へ這って行く。

 その手の温もりに、玉花は本能でそれを求め、男の首に両手を回して引き寄せた。

 「嗚呼、温かい………」

 彼女は、口の中でそう呟く。

 その行為が、男の色慾しきよくに火を点け、玉花をその儘組み敷いた。

 「姐さんが悪いんだぜ、あんたが誘ったんだからな!」

 男はそう云い、玉花の口を吸う。


 花京ホワジィンに在る、徐博シュィボウの薬舗を訪れた青年は、玉花の姿が見えない事を訝しんだ。

 「よぅ、白花バイホワの姐さんは、使いかい?」

 応対する徐博に、青年は問うた。

 「否、先日出た切りだ。大方、この仕事が厭になったのだろう」

 徐博は飄々と答える。

 「先生シェンション、相変わらず他人に無関心過ぎですぜ」

 青年は失笑した。

 「女人は綿毛の様なものだ、良ければ根付くが、気に喰わなきゃ、また風に吹かれて行く」

 表情を変えず、徐博はそう云った。

 その言葉に青年は呆れるが、

 「捜してみようか?」

 そう訊く。

 「子絽ヅーリュィが気になるのなら、そうすれば良い」

 飽く迄も徐博の言葉は素っ気ない。

 「じゃあ、そうするよ」

 青年、子絽は呵々と笑いながら、そう云った。


 子絽が、ねぐらの在る胡暗ホゥアンへ戻ると、月夜楼の小性である王陸ワンルゥと遭った。

 彼は度々、あにさんらに付いて登楼している為、顔を見知っていた。

 「おう、王陸、元気かい?」

 その間柄であるが故に、子絽は気軽に声を掛ける。

 「子絽! 調度君を訪ね様かと、そう思っていた所だ」

 王陸は彼の存在を認め、珍しく興奮気味でその手を取った。

 「お? おう、どうしたよ?」

 彼の勢いに圧倒される子絽。

 王陸は人目を気にし、横道へ子絽を連れて行き、

 「………人を、捜して欲しい」

 そう耳打ちする。

 「何だ? 妓女でも逃げたのか?」

 子絽は目を丸め、王陸を見た。

 「否、妓女ではない」

 王陸は頭を振る。

 「じゃあ誰なんだよ? お前の好い女人ひとかい?」

 茶化す様に子絽はそう云うも、彼の真剣な眼差しを受け、笑みは引き攣った。

 「年季の明けた、元太夫だ」

 更に声を落とし、王陸はそう告げる。

 彼の言葉に子絽ははっと気付いた。

 「それは、玉花太夫かい?」

 「そうだ」

 「は? 否、待て待て! 何故今更? 年季が明けて三年だろうが! 何を今更? だってもう、月夜とは関係ねぇんだろ?」

 子絽は混乱気味に捲し立てる。

 見れば、王陸は顔を赤らめていた。

 「っ!」

 その様子で子絽は合点がいく。

 なる程、王陸はその太夫に惚れているのか。

 そう考えながら、子絽はにやにやと彼を見る。

 「か、関係はないが、今は関係ないけれど、元は月夜うちの太夫なのだから、気にはするものではないのか!?」

 子絽の視線に気付いて、王陸は外方そっぽを向き、言い訳がましく捲し立てた。

 「まぁ、どうだって良いさ」

 子絽は呵々と笑うと、元太夫の捜索を引き受け、王陸と別れた。


 胡暗の北側に、『鈴宝リンバオ楼』と記された看板が掲げられた大楼が在り、元は餐館であったが、改革の動乱の際に廃れ、建物だけが残された。そこへ赤蛇チーショァ団が屯する様になったのだ。

 赤蛇団の屯地は二箇所在り、そのひとつがここである。

 子絽が鈴宝楼へ戻ると、調度、兄貴分である葛榴グァリウが出て行く所であった。

 「おっと、子絽か」

 「哥哥グァガ、どちらへ?」

 「あぁ、近頃無断で毛修マオシウが動いているみてぇで、何をしてんのか探れって、かしらからの御達しだ」

 葛榴は面倒臭そうな顔で、そう返す。

 「あー、修哥シウグァですか」

 その言葉に子絽は、またか、と呆れて苦笑する。

 「で? お前は何処へ行っていたんだ?」

 鋭い視線を向け、葛榴は訊いた。

 「はい、徐先生の所です」

 子絽は臆する事なく答えた。

 「あぁ、侠哥シアグァの薬か」

 葛榴は合点する。

 「あ、そういえば、そこの姐さんが行方知れずになってるそうです」

 ふと思い出し、子絽は軽口のつもりでそう云うが、葛榴はそれに異常に反応した。

 「その姐さんの名、確か、白花と云ったか?」

 葛榴は、ずいと子絽の顔に顔を近付け、確認する様に訊く。

 「は? そうですが………」

 その圧に、流石の子絽も辟易たじろいだ。

 「へぇ、なる程な」

 葛榴は腕を組み、明後日の方を向きながら、にやりとする。

 子絽はそんな哥の様子を見、只きょとんとするばかりであった。


補足

 馬賊とは、村落の略奪、強盗を生業とした匪賊としばしば混同されるが、全くの別物である。事実それに近い行為をする馬賊もなかにはあったが………

 その起源は、『保甲法』など村落共同体の武装自営組織に根ざしており、ルンペン化した匪賊と本来は異なる。



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