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愁い花  作者: 冷水房隆
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其の二十三


 『夏飛シアフェイ

  元気に過ごしておりますか?

  芙蓉フーロン風香フォンシャンを煩わせてはいませんか?

  近く、顔を見に行きます。

  それまで、待っていなさいね。

  まだまだ寒い夜が続きます。

  暖かくして過ごしなさい。』


 母、玉花ユィホワと離れてから半月後、その母からの文を貰い、月夜楼へ来て初めて、夏飛は顔を綻ばせた。

 興奮気味に幾度も文字を追っては、両手でぎゅっと用箋を胸に抱く。

 その様子を見る、芙蓉も風香も嬉しそうだ。

 「小雨シャオユィ媽媽マァマからの文、嬉しいねぇ」

 風香がそう云えば、

 「流石は小雨、もう文字が読めるのだな」

 芙蓉もそう云って、夏飛を更に笑顔にさせる。

 夏飛は何遍も文を読んでは、仰向けに寝転び、両足をばた付かせるのであった。

 風香が好き。芙蓉も好き。でもでも、マァも好き!

 両手で口を塞ぎ、夏飛は歓喜の叫びを圧し殺す様にしながらも、叫び声を漏らす。


 「………あの様に、感情を露にして興奮する小雨は、初めてやも知れないな」

 「矢張り、媽媽が恋しかったのですね」

 宴席へ向かう為、芙蓉と風香は廊下を進みつつ、先程迄の事を想い、嬉々と話していた。

 だが、ふと窓から外界へ視線を向け、芙蓉の顔から笑みが消える。

 そこからは本通りが見下ろせた。

 この頃は、無頼漢の姿も目立ちつつある。

 「姐姐? どうかされましたか?」

 芙蓉の様子に気付き、風香も笑みを消す。

 「いや、三日程前に、月夜うちには似付かわしくない者が、来楼していたな、と」

 外界を眺めながら、芙蓉は云った。

 「あ、はい、私も見掛けました。確か、王陸ワンルゥ殿が応対したそうですね」

 風香がそう応えていると、調度王陸が現れた。

 「おや、曹操ツアオツァオの話をすれば、だな」

 芙蓉も王陸の姿に気付き、ふと笑い、ことわざを引用する。

 「姐姐達、まだこの様な所に居られたのですか。房間ほうまジン大爺が御待ちになられておりますよ」

 ふたりの姿を認め、王陸は顔を顰める。

 「分かっておりますっ!」

 「今参る所だ」

 ふたりは同時にそう返し、芙蓉は風香の強い口調に苦笑した。

 王陸は、風香の態度に関して、特別立腹する事もなく、

 「解しておられるのならば、それで宜しいのです」

 そう云って、また歩みを進める。


 玉花から文が届き一週間経ったが、その文以外には何の音沙汰もない。

 四・五日は御機嫌であった夏飛も、この頃になると、目に見えて意気消沈していた。

 そしてこの日、妓女がひとり体調を崩し、リン医師が登楼した。

 その際、林は廊下で遭遇した芙蓉へ声を掛ける。

 「………姐姐は確か、玉花大姐、否、白花バイホワ姑娘グゥニヤンと近い間柄であったね?」

 「はい、左様でありますが……」

 声を掛けられた芙蓉は、林のその恐い程に真剣な眼差しを受け、圧倒させられる想いで答えた。

 林は廊下の奥へ芙蓉をいざなうと、

 「姑娘が行方知れずとなってな」

 小声でそう告げる。

 「っ!?」

 芙蓉は驚愕し、叫び声さえ上げそうになるのを、咄嗟に両手で口を抑える事で、どうにか防いだ。

 「そ、それは、どういう事で御座居ましょう?」

 そして、やっとの思いで口を開き、そう訊いた。

 「姑娘に口止めされていたが、今、花京ホワジィン徐博シュィボウという薬師の所で働いていたのだがね」

 林はぽつりぽつりと話し始める。


 ………それは四日前の事。

 その日、徐博は所用で留守にしていた。

 夕方近くに帰ってみると、薬舗やくほもぬけの殻である。

 不審に思いながらも中へ入ると、玉花の手筆で置き文があった。

 『申し訳ありませぬが、火急にて、少々出て来ます。』

 走り書きのその文字が、切羽詰まっていた事を物語っている。

 「………………」

 まぁ、その内帰って来るだろう。と、徐博は呑気に構えていた。

 しかし玉花は、翌日もその翌日も戻らず、流石に彼も気になり、挨拶がてらに隣近所へ彼女の事を尋ねると、この辺では見掛けない男ふたりと、慌てた様子で出て行ったと云う……………

 そして本日、用事で訪れた林に彼は、その事を告げたのだった。

 「………まぁ、でも、元太夫なのだからな、仕事が厭になったのやも知れぬしな」

 徐博は無表情で、そう結ぶ。


 林から話を聞き、芙蓉は立腹した。

 「雇い主でありながら、大姐を虚仮こけにし、その上、何と薄情な事を!」

 思わず恨み節が口を衝いて出る。

 そして、ふと想い出す。

 そういえば先日、月夜楼を訪れた者があったな。

 芙蓉はその足で、王陸の元へ行った。

 

 「………あぁ、あの黒猩猩ヘイシンシンですか」

 「黒猩猩」とは、無頼漢の異名だ。

 「そう。何用で参られたのだ?」

 芙蓉は卓を挟んで対面する王陸を、身を乗り出して尋問する。

 「玉花大姐の事を尋ねられました」

 王陸は平然とした様子で答えた。

 「故に、何を尋ねられたというのだ!?」

 焦れた様に芙蓉は訊く。

 「大姐が、この楼の太夫であったか、という事と、今の所在地を尋ねられました」

 王陸は表情を変えず、そう答える。

 「………云うたのだな?」

 暫し彼の顔を見てから、芙蓉は険しい表情で云った。

 「月夜の元太夫という事は申しました。現所在地につきましては、存じ上げませぬので、その通り申しました」

 しれっと王陸は返す。

 その言葉、芙蓉はきっと彼を見た。

 「居所を知っておれば、云うたのか?」

 「無論でありましょう。大姐はもう、月夜から出た者であるのですよ。何を庇う必要があられましょう」

 王陸は口を歪め、そう云った。

 「っ!?」

 芙蓉は思わず王陸を引っ叩いた。

 瞬間、自身の掌の痛みと、王陸が横倒れになる音と様子で我に返る。

 「済まぬ………」

 芙蓉は小さく云い、王陸を叩いた右手を左手で掴み、膝元へ置いた。

 「否」

 王陸はそう返しながら、卓の縁を掴んで立ち上がると、

 「おれは、姐姐達の捌け口なので、不問です」

 そう云った。

 数えで十五歳とはいえ、まだまだ幼い少年を叩いた事に、芙蓉は自己嫌悪に陥る。

 「御用が御済みならば、もう行って下さい」

 叩かれた頬の赤みを除けば、常時通りの王陸のその姿は、何とも彼らしかった。

 「済まなかったな」

 芙蓉は再度頭を下げ、部屋を出て行く。

 独り切りになると、王陸は険しい顔となり、窓から夕空を見上げた。

 今にも雨が振りそうな、空だった。

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