其の二十一
離れて暮す我が子、夏飛へ文を出す為、安曇へ来た玉花は、ひとりの男と遭遇した。
男の名は斉有素。
月夜楼で玉花の最後の客となった、西方街の斉大爺の息子である。
その斉大爺が二年前の春先に亡くなったと聞き、玉花は大いに動揺した。
宴席で醜態を晒したのは、三年前の晩秋だ。直接ではないにしても、多少は影響があったのではなかろうか。
そう考えると、玉花の胸は痛んだ。
そんな彼女の様子を見、斉有素は付け込む。
「あんた、責任を感じているのならよ、ちと融通をして呉んないか」
「っ!」
斉有素の言葉に玉花は、両手で覆っていた顔を上げた。
「融通? 融通とは?」
「あんたらはよ、俺の親父や、親父の様な大爺達から金を巻き上げて、その金で良い物を食べて良い袍着て、面白可笑しく生きて来たのだろう。その金を、少しは弔い金として返して呉れても良いのではないか?」
鼻を鳴らし、斉有素は云う。
「勿論、馴染みの大爺でありました故、喜んで御包み致しましょう」
表情も硬く、玉花は頷いた。
「そうか、流石は太夫、物分りが好いな」
斉有素はにやりとし、
「ならば、銀五十両を所望する」
さらりと云った。
『銀五十両』は、大体百五十万である。
「御仁、それは、吊り上げ過ぎでは御座居ませぬか?」
玉花は表情を変え、凛とした態度で斉有素と向き合う。
「他人の親に集り、死なせているのだ! これでも安い方だと思えないのか!?」
目を釣り上げ、斉有素は怒鳴った。
「いいえ」
玉花は頭を振る。
「確かに、斉大爺が亡くなられた事は、胸が痛みますが、そうは存じませぬ」
「な、何だと………?」
彼女の強い口調に斉有素は辟易ろいだ。
と、その場の空気が変り、周囲がざわついたと思った次の瞬間、野太くて良く通る声が玉花と斉有素へ掛けられた。
「!?」
見れば、割れた人垣から、四十前後であろう男が青年ふたりを従えて現れた。
「おう、人の島で騒いでいるのが居ると思えば、斉の旦那じゃねぇかい」
男の出現に、斉有素は蒼褪める。
「赤蛇の頭だ」
「石均が間に入ったぞ」
周囲からはそんな言葉も聞こえる。
「赤蛇」「石均」の名は月夜楼に居た頃、玉花の耳にも度々届いていた。
元馬賊であり、首都よりも北の山鹿の荒野の地を縄張りとしている集団。
その頭であるといわれる石均が、一見して四十前後の若さは、意外であった。
「昼も日中に女人に絡むなんざ、斉の旦那も落ちたもんだな」
石均はそう云いながら、斉有素へ詰め寄る。
「な、何を云うのか、この女人は父の昔馴染みなのだ。絡むとは、聞き捨てならない………」
斉有素は後退り、引き攣った笑みを向けながら、歯切れも悪くそう弁明した。
「へぇ」
石均は云い、玉花を振り返り見る。
「姐さん、本当かい?」
「え、えぇそうね。余り大仰な事にされても、困りますなぁ」
突然振られ、玉花はびくりとするも、ふと笑み、そう返した。
玉花の言葉、石均は意外そうに彼女を見、そして笑む。
「気の強い女人だな。姐さん、名は?」
訊かれて玉花は、斉有素を一瞥し、
「今は白花と名乗っております」
そう答えた。
「へぇ、そうかい………」
「なっ! 何だとっ!?」
玉花が名乗った事で、斉有素は石均の言葉に被せてしまう程の勢いで、驚きの声を発した。
そして気付く。
「っ!! あんた、そうか、だからここに居るんだなっ!?」
群衆の視線を集めながら、斉有素は狼狽えつつも、敵意に満ちた瞳を玉花へ向けた。
玉花は後ろ暗い気持ちで斉有素の視線を受けたが、それも一瞬の事であり、すっと表情を戻した。
凛とした表情。
「その顔っ! その顔は何だ!? 癪に障る! 俺を莫迦にしているのだな!!」
腹立だしげに、興奮気味に、斉有素は喚く。
「毛修! 斉の旦那を黙らせとけっ!」
それに対して石均が口調も強く、ふたりの共の内、二十歳前後の若い方へ命じた。
毛修と呼ばれた若衆は、斉有素を軽く小突きながら人垣を抜けて行った。
その事で群衆もばつが悪そうに、そそくさと動き、人垣は割れる。
軈て、往来に常時の賑わいが戻って来たのを見計らい、石均は口を開いた。
「姐さん、姐さんは何だい?」
玉花はそんな彼を真っ直ぐに見、ふと笑むと、
「私はこの、昜華の民。それ以上でも、以下でもありゃしませぬ」
そう云った。
「ふ、そうかい」
石均も、にっと笑う。
「では、私はここで」
「良ければ、送って行くが?」
「哥さん有難う。でも、御断り致しますわ」
玉花は万福の礼をして、彼らに背を向けた。
「………あの姐さん、地味な恰好をしているが、身の熟しから察するに、元は何処かの妓楼に居たのかも知れねぇな」
遠ざかって行く玉花の背中を見ながら、石均は口を開く。
「女郎って事ですか?」
共の青年が、ちらりと彼を見る。
「否、もっと高級な、太夫だったのかもな」
石均はからりと笑って、踵を返した。
「……………なぁ、旦那、あの女人繋げば、金になるんじゃねぇの?」
毛修がずいっと顔を近付け、斉有素に迫る。
「はぁ、繋ぐって、どうやって?」
先程までの勢いは何処へやら、斉有素は若造の雰囲気に呑まれていた。
ふたりが居るのは、裏路地の酒場の中、奥まった席であり、そこで卓を挟んで相対していた。
「鴉片(阿片)を使えば簡単だろうよ」
毛修はにやりとする。
「あ、鴉片って………」
斉有素は息を呑んだ。
「旦那、あの女人が憎いんだろ? 鴉片に溺れさせちまえば良んだよ。あの器量だ、良い金蔓が付くぜ。
女人の泣き所は知らねぇの? それを使って誘き出しゃいいんだよ」
毛修の言葉が、声が、斉有素の頭の中をぐるぐると巡って響き、脳が痺れ、黒く重い物に圧迫されている様であった。
「………………」
あぁ、そういえば、孩子が居るとか、聞いたな。
暗い渦の中、斉有素はそんな事を想い出す。




