其の十八
晩冬の日、皇太子・耀舜は、婚礼である華燭の典を挙げた。
晴れて皇太子妃となられたのは、吏部侍郎の息女、青尹であり耀舜よりも三つ下だった。
青尹は他の妃候補の息女達に比べると、華やかさは劣るものの、控え目な性格は梅の如く愛らしかった。
しかし、耀舜が気になったのは、祝典後に改めて挨拶に訪れた青尹の背後に付き添う、生家からの侍女、その侍女の髪に飾られた簪だ。
見紛う筈はない。
それは、南天の簪であり、自身が匠人に作らせた代物なのだから。
どういう事なのだ? どういう経緯で侍女は、その簪を手にしたのだろう?
気になるものの、青尹にも、当の侍女にも訊けずに悶々とする日々。
そんな中、警察機関である弾正台からの報告が入った。
胡暗で起った、火災の知らせだ。
報告を受けたのは、無事鎮火した後であった。
耀舜の胸がざわりと騒ぐ。
否、玉花は年季が明け、胡暗を出ているのだ。火の粉すら浴びてはおらぬ。
そう自身に云い聞かせ、心を落ち着かせ様とする。
「………殿下?」
呼び掛けられ、耀舜ははっと我に返る。
「近頃は儲秀宮に御籠りの御様子、少しは御休みになられては如何で御座居ますか」
翰林院士で、皇太子の師傅である由成が、耀舜の躰を案じる。
彼の云う「儲秀宮」は、皇太子の執務室だ。
「何を申す、師傅らしくもない。皇太子として立した今、当然の責務であろう」
ふと笑い、耀舜はそう返し、
「火災の難に遭うた民には、見舞いを出さねばならぬな」
また険しい表情となり、そう続けた。
「殿下、それは、陛下が御判断される事で御座居ます。それに、御言葉では御座居ますが、胡暗に住まう者共は苦力に等しい者共であられますれば、殿下が御心を砕く程でもないかと存じます」
耀舜の言葉に、同席している、翰林学士の余阿がそう意見した。
「苦力」は、最下層の烙印を押された民の名称である。
余阿の意見を聞き、由成はちらりと耀舜の表情を盗み見る。
「それは違うな、余阿。苦力であれ何であれ、同じ国の民ではないか。翰林学士であるにも拘わらず、民を篩に掛けるとは、何事ぞ」
耀舜は不快感を露わにし、そう返した。
翰林院の中でも余阿は若手だ。だが、若手とて耀舜よりかは年輩であるが故、その言葉に彼は赤面をし、拝跪した。
由成はその様子に面を伏せ、くくと笑い、皇太子の成長振りを喜ぶ。
皇太子の居所である春宮へ戻ったのは、日を跨ごうかという時分。
耀舜は寝衣に着替えもせず、安楽椅子へ身を預けた。
「殿下、何か御持ち致しましょうか?」
側に侍る春琴は、皇太子を気遣って尋ねる。
「否、無用だ。
気にせず、春琴はもう休まれよ。連日我に付き合い、其方も疲れていよう」
耀舜はそう返し、彼を追う様に手を払った。
「恐れながら、私で何か御役に立てる事があるならば、御申し付け下さいませ」
春琴は拱手の礼で以て、云った。
「………ならばひとつ」
間を置き、空間を眺めながら、耀舜は口を開いた。
「青尹妃の侍女、その者の髪に飾られている、簪の入手先を調べて貰いたい」
そう云って耀舜は、視線を春琴へ向ける。
「仰せ仕りました」
春琴が退室すると、耀舜は胴衣を脱ぎ、寝台へ倒れ込んだ。
そして、たった今依頼した事を、後悔する。
南天の簪の出処を知って、それから、何がしたいというのか。
既に諦め、過去のものだという気持ちは、思い込みでしかなかったのか?
立春も過ぎたというのに、名残りの雪が月明かりに照らされ、窓外は青白く、仄かに光っていた。
「胡暗の火災」の報せは、全くもって不意打ちに等しく、耀舜の心を掻き乱すには充分過ぎる。
心の底に押し遣った熱い想いが、針で突いた程の隙間からでも溢れ出て来、耀舜を大いに悩ませるのであった。




