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愁い花  作者: 冷水房隆
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其の十七


 王陸ワンルゥが案内して呉れた宿で、玉花ユィホワ夏飛シアフェイは人心地付いた。

 その日の昼過ぎ、芙蓉フーロン風香フォンシャンと共に訪れた。

 「………駆け付けるのが遅くなり、心苦しく存じております」

 芙蓉が跪き、そう詫びる。

 それに合わせて、風香は巾着袋を取り出して、玉花の居る温突オンドルに置いた。

 「これは、何かしら?」

 玉花はその巾着袋を一瞥し、芙蓉に訊く。

 「お見舞金です。微々たるものですが、どうかお納め下さい」

 頭を下げ、芙蓉は云った。

 「芙蓉………」

 玉花はひとつ息を吐き、

 「王陸が私を訪ねて来たのも、宿の世話をしたのも、本当は其方が頼んだ事なのでしょう?

  あの子が自主的に動くとは思えないし、とはいえ、楼主の指示とも考えられないもの」

 そう云いながら、彼女は、王陸の言葉を想い返していた。

 あの時確かに、芙蓉と風香が案じていると、王陸は云ったのだ。

 「確かに、身動きが取れぬが故、王陸に動いて貰いました」

 身を起こし、芙蓉は返す。

 「ならば、これ以上の情けは不要よ」

 ふと笑い、玉花は見舞金の入った巾着を押し返した。

 その行為に風香は、芙蓉を振り返り見る。

 「失礼致します」

 芙蓉はそう断り、履物を脱いで温突へ上がると、腰を下ろして座り、巾着を玉花の方へやった。

 「否、大姐。こちらは小雨シャオユィへのお見舞金も兼ねております。故に、どうぞお受け取り下さいませ」

 「何と」

 彼女の意外な言葉に、玉花は目を丸める。

 「王陸から伺いました」

 ふすまに包まって、横になっている夏飛を一瞥し、芙蓉はそう云った。

 「あの子は、何時の間にやら口忠実くちまめになったものね」

 玉花は微苦笑する。

 「大姐。今、この様な状況において、職を探すのも儘ならないのではありませぬか? 少しは我らに、甘えて下さいませ」

 「……………」

 芙蓉のその言葉に、玉花は口を噤んだ。

 暫し視線を合わせるふたり。

 そんなふたりの様子を、風香ははらはらしながら見ていた。

 そうなのだ、貯えも住居もなくした今、一刻も早く職を見付けなければならない。

 玉花は、脆弱ぜいじゃくな我が子を見る。


 「御子を寺院に託すという手段もある」


 不意に、リン医師の言葉が脳裏に浮かび、玉花の心臓がことりと鳴った。

 それを選択しなかった事に、私は後悔しているのか? それはつまり、夏飛を足手纏いだとでもいうのか?

 一瞬でもその様な事を思ってしまった私は、私は、畜生にも劣るだろう………

 「………大姐、大姐?」

 呼び掛けられ、玉花は我に返った。

 「大丈夫ですか? お顔の色が優れぬ様子でありますが」

 芙蓉が彼女の顔を覗き込み、眉をひそめる。

 「いいえ、何でもないわ」

 玉花は笑みを向けて、そう返した。

 だが、言葉とは裏腹に彼女は、暗くて冷たい沼にでも沈み込む錯覚に陥っていた。

 「………風香?」

 我が子の声が耳に届き、玉花は夏飛へ視線を向ける。

 目を覚ました夏飛は、風香の存在に驚きつつも、嬉しそうであった。

 その我が子の姿に玉花は軽く嫉妬をし、寂しく想った。

 「……………」

 あぁ、そうか。夏飛は我が子ではあるが、別個人なのだ。ならば、私の矜持に付き合わせるのは違うのだな。

 「其方らにちと、頼みがあるのだが………」

 暫し夏飛を見詰めてから後、視線を芙蓉と風香に移して、玉花は口を開いた。

 「何なりと」

 芙蓉が応える。

 風香も身を乗り出し、耳をそばだてた。

 

 それから三日後。

 すっかり快復した夏飛と共に、玉花は宿を出る。

 外に出ると、風香がふたりを待っていた。

 風香は夏飛の手を取り、繋いだ。

 夏飛はそれを極自然に受け入れ、何の疑問も抱かない。

 玉花はしゃがみ込み、夏飛の視線の高さに合わせると、

 「夏飛はまた、風妹の近くで暮らすのよ」

 そう伝えた。

 「!?」

 母の意外な言葉に驚き、夏飛は風香を見上げた。

 「小雨、また一緒に居られるのよ」

 風香は笑みを向ける。

 夏飛も嬉しそうに笑った。

 「……………」

 この子にとって私は、母親であるだけで、必要な存在ではないのだな。

 寂寥感。

 「では風妹、夏飛を頼むわね。

  落ち着いたら、便りをするわ」

 寂しさを悟られまいと、玉花は微笑をし、敢えて明るくそう云い、月夜楼とは反対方向へ歩き出した。

 「マァ

 夏飛は母の後を追おうと一歩踏み出すも、風香と繋いだ手は、離さなかった。

 「媽媽マァマはお仕事なのよ。直ぐにまた会えるから、我慢しましょうね」

 風香は優しく、そう云い聞かせる。

 彼は、遠ざかる母の背中を見詰めた。

 喧騒する本通りの中、その賑やかな音も耳に届かず、夏飛は心に風穴が開いた様な、薄ら寒さを感じていた。

 

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