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愁い花  作者: 冷水房隆
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其の十二


 妓女が子を産む事もある。

 だがそれは、「元」妓女の場合だ。

 現役の妓女が子を産む事は、すなわち、馴染みの旦那を裏切る行為として、禁忌とされている。

 その禁忌を犯し、それを暴露された玉花ユィホワは、糾弾されてしかきであり、文句も云えない。

 雪梨シュエリィは、勝ち誇った快感に酔い痴れる。

 「…………がっかりだ!」

 誰かが云ったその言葉で、再び大庁はざわ付き、猜疑心と失望感の渦に呑み込まれた。

 芙蓉フーロンは唇を噛んだ。

 大姐、何故なにゆえこの祝宴に参ったのか? こうなる事は火を見るよりも明らかだろう。

 春琴チュンチンもまた、この異様な雰囲気も然る事ながら、玉花と雪梨が同じ祝宴の場に居る事に驚き、面妖に想った。

 ふと、横に居る王陸ワンルゥを見る。

 彼は苦々しく、楼主へ視線を向けていた。

 舞台に立つ役者も、舞い所ではない。

 「その孩子がいし、見てみたいものだ」

 旦那衆のひとりの何気ない言葉が、玉花の耳にも届き、彼女はすっと立ち上がると、雪梨へ万福の礼をした。

 「雪梨太夫、改めて、御祝い申し上げる」

 そしてにこやかに、それでいて、堂々たる威容で祝辞を述べる。

 その凛とした佇まいに、誰もが口を噤み、大庁は静粛に包まれた。

 祝辞を受けた雪梨も、咄嗟には答辞な出ず、茫然と姐太夫を見詰めるだけであった。

 玉花は次に、旦那衆の方へ体面を向け、拝跪すると、

 「皆様方が雪梨の大爺である事、誠に嬉しく存じ、安堵致します。

  以後も変わりなく、この雪梨をどうか、御引き立ての程を宜しく御願い申し上げます」

 良く通る声で云い、頭を下げた。

 当代一、胡暗ホゥアン切っての太夫と謳われる玉花が、頭を下げた事に一同面食らい、圧倒され、呑まれる。

 舞台上の京劇役者と視線が合い、玉花は万福の礼で以て、祝賀の舞いに水を差した事を詫びる。

 役者は慌てて、拱手の礼で返した。

 そして、彼女が大庁を出て行く姿を見て、春琴は漸く我に返り、その後を追って廊下に出る。

 

 表から出る事を許されていない為、小さな手荷物ひとつ持ち、玉花は裏出入口へ続く廊下を進んだ。

 その背中に、春琴が声を掛ける。

 声の主である青年を振り返り見て、玉花は訝しむ。

 「突然御声掛けした無礼を、御許し下さい」

 春琴は拱手礼で、非礼を詫びた。

 「何か?」

 「玉花太夫が此度、年季が明けると聞き、駆け付けた次第で御座居ます」

 彼はそう云うと、木の小箱を差し出した。

 「有難く頂戴致しますわ」

 玉花は笑み、快く受け取った。

 「時に、何方どちらの大爺の御使いかしら?」

 「これは、度重なる御無礼を。私は、シュン小爺に永らく仕えさせて頂いております者で御座居ます」

 春琴は再度拱手礼をし、そう答える。

 聞き覚えのない名に首を傾げるも、玉花は笑顔を絶やさず、改めて礼を述べ、この場を後にした。

 その後ろ姿に春琴は、深々と頭を下げた。


 裏出入口の手前に、ちょっとした広さの賄い部屋があり、その中で夏飛シアフェイ風香フォンシャンと共に玉花を待っていた。

 「………風妹、夏飛を看ていて呉れて有難う。遅くなってしまって済まないね」

 部屋へ入りながら、玉花は云う。

 「大姐、何かあったのですか?」

 風香は立って彼女の方へ行き、心配そうに訊いた。

 「ええ、少しね。大した事ではないわ」

 玉花はそう云い、奥へ目をやる。

 奥、それまで風香が居た場所で、夏飛が眠っていた。

 「あら、寝てしまったのね」

 「あ、先刻まで起きていたのに」

 玉花の視線に気付き、風香も夏飛を見る。

 「まぁ好いわ、駄々を捏ねられても困るもの」

 ふと微笑み、玉花は夏飛を抱き上げた。

 そうした拍子に、先程春琴から貰った木箱が床に落ちる。

 「何ですか?」

 風香はそう訊きながら、それを拾い上げた。

 「ここへ来る途中で頂いた、祝賀の品よ。大きさから見て、簪かしらね」

 「何方様からですか?」

 「そうね、妓女に成り立ての頃に、馴染みとなって頂いた大爺かしらね」

 そうであろうと考え、玉花は答える。

 「開けてみても、宜しいでしょうか?」

 立派な木箱を前に、風香はきらきらした瞳で訊いた。

 「ふふ、大事に扱って頂戴」

 玉花は腰を下ろし、夏飛に膝枕をしながら、諒承する。

 箱の蓋を開けると、ふたつ折りにされた唐紙がまず現れ、風香はそれを卓上に置き、絹布を開いた。

 玉花は何気なく、卓上に置かれた唐紙を手にする。

 唐紙は谷折りになっており、裏側である表面に文字が薄っすらと写っていた。

 「まぁ! 可愛い、南天の簪ですわ!」

 風香の感喜の声を聞き、玉花はその手に持っている簪を見た。

 それは、銀の細枝に珊瑚の実を付けた、正に南天である。

 玉花は、熱に浮かされた様に、震える手で唐紙を開く。

 懐かしい筆跡に、ぎくりとした。


  去りし日の

  甘美の味は

  己が春の如し


 唐紙に書かれた文を読み、玉花の胸はざわ付く。

 夏飛を身籠る前、「南天が欲しい」とダーコォに、確かにねだったわ。

 なら、「舜」というのは、ダーコォの本名なの? ダーコォは未だに、慕っていて呉れていると、そう伝えているの?

 「………大姐? どうかされましたか?」

 心が掻き乱された玉花は、風香の問い掛けに我に返り、頭を振った。

 いいえ、いいえ、そうではないわ! この文はきっと、別れを意味しているのよ…………!

 彼女はそう自身に云い聞かせ、どうにか心を落ち着かせ様とする。

 「何でもないわ」

 そして、風香へ微笑み掛ける。


 …………後日、玉花はダーコォへ文を送った。


  花散り去り

  移ろう季節

  我眺める


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