潔癖な籠の鳥
即興小説トレーニング http://sokkyo-shosetsu.com/ にて「汚いダイエット」のテーマで浮かんだ話です。書ききれなかったので膨らませつつこちらにのせました。
ヒッ、と思わず息をのむほどに、その部屋はおぞましかった。躊躇なく踏み込んでいくAのあとに続き、仕方なくわたしもそろそろと入った。
足元には得体のしれないビニール袋が散らばり、いたるところに空き缶やペットボトルのゴミが無造作に転がっている。よく見ればカーペットも染みがあり、おちおち足をのっけてられない。
Bに適当に座ってと言われたので、わたしはソファの一番ましな区画に軽く腰をのせる。深く座るなどもってのほかだったが、信じられないことにAはあの染みだらけのカーペットの上でくつろいでいた。
「んで」
「今日はあたしンちでたっぷり汗流すんだよね」
Bがぬっと顔を出し、そのぷっくりと肥えたゴム色の大地に広がるブツブツなモロモロがどアップで迫ってきたために、わたしは顔をのけぞらせてうなずくのが精いっぱいだった。
奇っ怪な機械の数々に体を弄ばれて一汗流したあと(地獄のような時間だった)、Bはエナジードリンクか何かの大きめの缶をもってキッチンから戻ってきた。ビビッドな色をしたそれをぐいっとあおり、やおらこちらに突き出す。
飲め、ということらしい。
そんなことは百も承知だが、わたしの体は断固としてこれを拒否しており、アッアッと魚よろしく口をパクパクさせるのみ。缶の飲み口に残った紫がかった水滴に目は釘付けだし、顔はとんでもなく引き攣っていただろう。
いつの間にかすぐ横にAが唇を引き結んで物凄い顔で立っていた。ときどき彼女は不可解な行動をとるが、今回はそれが上手く作用したみたいだ。わたしとAの様子に鈍チンなBも流石に察してくれたようで、「あ~気になるわな。わるいわるい」と苦笑しつつ取り下げてくれた。こういう気遣いのできるあたり、人間の外面と内面――付け加えるなら部屋の様相も――は、必ずしも一致しないのだなあと感心する。
ところが、底抜けのお人好しであるところのBは、そこで終わらなかった。手近にあったマグカップになみなみと液体を注いで、今度こそと言わんばかりに笑顔で促される。
「はいこれ」
「あ、どうも」
受け取ったマグカップの暗い水面を見る。茶葉のようなもの。液体の色が濃くて判然としないが、底のほうに何かが見えた。しかし、この液体は明らかにお茶の類ではない。
生唾を飲み込み、一気に流し込む。
味は……炭酸の刺激で舌がイカれたのかよくわからなかった。
それから、地獄の第2ラウンドが始まりそうだったところで火急の用事を思い出し、Aを残して先にお暇したのだった。
「むに~~。や~いデブ!」
「うわあこれ意外と傷つくもんだなー」
ソファに座るBにAは後ろから手を回す。頬をつまむと、ハリのある吸い付くような触り心地が返ってくる。Bがソファの背に頭を乗せると、屈託なく笑うその顔がAにも見えた。真っ白な歯がのぞいて、健康的な肌とコントラストをなした。
「ま、面白いもん見せてもらったわ」
「でしょ? にしても、先輩やりすぎですー。ボーダー探るようにゆっくり試してくって話でしたよね。あとなんですか、あれは。Cちゃんに飲み物渡した……」
「チッ反省してまーす……ってイタタタ! ごめんってば!」
頬をつねられてBは軽く涙目になっている。長いまつげはしおらしく瞬いて、きらきらした水滴は目尻で震えている。逆さで見上げられると、いつもより可哀想な感じが増した。
けれど、さしもの演劇部員の彼女のことだから、ちょっとしたサービス精神か染み付いた演技の癖もあるだろうと考えていて、Aはありがたくこの一連の流れを恒例として繰り返している。
堪能して、Aは手を離し、Bの頭をなでた。ったくどっちが先輩なんだか、とぼやいてBは解放された頬をさすった。
Aが帰り支度をする間に、Bも部屋を片付けようと見回す。すっきりと整理された見慣れた景色に浮いているのは、今日も例にもれずAの食い散らかしたお菓子のゴミだった。
「もう一月、ずっとCにご執心のようで。ほんと気に入ってるのな、あの子」
「はい! 一緒にいて飽きないし、毎日が新しい発見の連続ですから。Cちゃんのおかげで最近はすごく充実してます」
「あっ。で~も~、先輩への愛と比べたら、全然ですっ!!」
「あっ、てなんだよ」
はいはい、とあしらわれてAはぷく~とふくれっ面をして見せる。どうどう、と諌めつつBは両手を広げてAを玄関まで押し出した。
「じゃ、また今度。Cの健康にはくれぐれも気をつけて。お前は……まあ、いいだろう。その全然太らない体質分けてほしいくらいだ」
「ではでは~。同居人の務め、引き続き果たしてまいります。それからわたしの体質ですけど、そういうの、燃費が悪いって言うんですよ?」
Aはくるりと踵を返して出ていった。
初投稿です。やろうやろうと思いながら、なんだかんだできなかったことができて嬉しい。