9.貴族からの呼び出し
今日もスマイル定食を開ける準備をしていると、店の前に馬車が止まり、身なりの良い紳士が訪ねてきます。
「ここは、ウイルコックスの家か?」
「はいそうですが。」身なりから大商人か貴族だと思い失礼の無いようにキースが返事をします。アーシャも準備の手を止めて見守ります。
「私は騎士のウエストンだ。役所から来た。」
貴族とわかり、キースとアーシャは慌てて貴族の前に跪きます。豪商の家ならまだしも、平民の家に来るなどあり得ません。悪いことしか頭に浮かばず、顔から血の気が引いていきます。
「この家に、エマという赤ん坊がいるはずだが。」
キースもアーシャも、なぜ、エマのことを聞くのかと心配で返事ができません。二人の思いを察したウエストン騎士は、直ぐに訪問した理由を告げます。
「エマの守護天使は、エマのために神が選んだ王族だという噂を聞き確かめに来た。本当か?」
キースとアーシャは顔を見合わせます。二人は迷惑この上ない、このような噂など否定したかったのです。アリエルも噂のことは反省していて、可視化せずに大人しくしています。
「本当でございます。」やはり、嘘はつけません。
ウエストン騎士は、噂が本当だったら伝える内容を、はっきりとした口調で二人に伝えます。
「本日の午後2時、役所まで来るように。ラッド男爵がエマに会いたいそうだ。」
伝えるべきことを伝えると、足元で跪く顔面蒼白のキースとアーシャの横を通って帰って行きます。
二人は力が抜けて崩れるように、その場に尻もちをつきます。
「さっきの男は何なのじゃ?」
アリエルは、アーシャの守護天使であるマリンに尋ねます。
「騎士と名乗っていたので貴族ですね。」
「貴族? 貴族とは何じゃ?」
「王より爵位というものを与えられ、権力を有した者たちです。その者たちが平民を管理します。」
「文官のような者か?」
「騎士の貴族もいますよ。」
「そうなのか。」
「貴族は平民の上の階層に存在して非常にプライドが高いのです。」
「どういうことじゃ?」
「キースやアーシャを見たでしょ。貴族の前では跪きます。」
「それなら、其方たちも妾にするではないか。」
「しますが、それは、王族に敬意を払った挨拶にしか過ぎません。」
「貴族にするのは違うのか?」
「違います。あれは、服従の証なのです。」
「なんと。」
「なので、失礼があったら平民など斬り殺されても文句は言えません。斬り殺した貴族は理由を釈明する必要もないのです。」
「なんじゃ、それは・・・。信じられん。」
「それが、人間社会なのです。」
「でも、そのような恐ろしい貴族がエマに会ってどうするのじゃ?」
「それが、不明だからキースもアーシャも言い合いをしてるのです。」
キースとアーシャは、言い合いを通り越して、なぜか「あんたが悪い、お前が悪い」と喧嘩になっていました。
出かける時間になります。二人は一張羅を着てエマとギルを抱いて出かけます。ギルは途中の仲良しの信徒の家に預けます。
「無事に帰れることを祈ってるわ。」
仲良しの信徒は微妙な言葉で見送ってくれます。
役所に着き、受付で名前を言うと直ぐに秘書と思われる美人が来て奥の区長室へ案内してくれます。部屋は広く、中央には立派な会議用のテーブルと椅子が置かれ、その奥に立派な木製の両袖机にラッド男爵と思われる男性が座っていました。キースとエマを抱いたアーシャは部屋に入ってすぐの所で跪きます。
「私はキース・ノーラン・ウイルコックスです。あと、妻のアーシャと娘のエマです。」緊張しているのがわかります。
「私は男爵のラッドだ。構わぬから、立ってこちらに来なさい。」品のある眼鏡をかけ、30代位の知性的に見える男性です。ラッド男爵は椅子から立って、キースたちの方へ歩いてきます。そして、その後を二人の護衛騎士が追います。その様子に圧倒され動けずにいる間に目の前にラッド男爵が来てしまいます。
「エマを抱かせてくれぬか?」
跪いたままのアーシャにラッド男爵は言います。予想もしない言葉に呆気にとられます。
「アーシャ」
キースはそんなアーシャに声をかけます。我に返ったアーシャはエマをラッド男爵に差し出します。ラッド男爵は首の座っていないエマを大事に抱っこします。
「かわいい子じゃ。」
孫を抱くおじいちゃんのようです。アーシャもキースも少しホッとします。
「神に愛されたエマが、私の管区に生まれてきたことを神に感謝します。」
それこそ、予想もしない言葉に唖然とします。
「エマの守護天使と話せぬか?」
ラッド男爵はキースの顔を見て言います。
「今、聞いて見ます。アリエル、大丈夫か?」
キースは、エマの方を見て言います。すぐにアリエルがアーシャの横に可視化して姿を現します。普段の白いマキシワンピースではなく、騎士団の女性将校の正装姿です。アリエルは立ったまま右手を胸に当てます。目上の天使に対する挨拶の姿勢です。相手が騎士ではないので敬礼はしません。もちろん、相手が神でも王、王妃でもないので跪くこともしません。
「私は熾天使スワン・ウィルソン王の三女で騎士団、将校のアリエルです。」
ラッド男爵の守護天使、護衛騎士の守護天使が2人、秘書の守護天使の全員が可視化してアリエルに跪きます。
「全員、直ぐに、守護の任に戻りなさい。」
アリエルは跪く守護天使たちに言います。
「はい。」
直ぐに、守護天使は元に戻ります。その光景を見ていたラッド男爵は「ほう」と感心します。
改めて、中央のテーブルに全員が座ります。秘書の案内に従って、アーシャとキースは下座、上座にラッド男爵、アリエルが順に座ります。お茶が出され、ラッド男爵とアリエルとの会話が始まります。キースとアーシャは緊張でお茶も飲めずに黙って俯いています。
「アリエル王女は騎士団の将校なのですか?」
「はい。そうです。文官は向いてませんので。」
「王や王妃の護衛騎士団ですか?」
「いえ、違います。私は護衛任務ではなく、警備任務でした。悪さする堕天使たちと戦っておりました。」
「そうでしたか・・・。そのようなアリエル王女が守護天使に任命されると言うことはエマに危険があると言うことですか?」
ラッド男爵の言葉にキースとアーシャが顔を上げます。
「それは、分かりません。神からは、エマのことも選ばれた理由も聞いていませんから。それに霊体の堕天使では人間に危害を与えるのは難しいと思います。」
「そうでも無いですよ。ちょっと面白ものを見せますよ。」
ラッド男爵が背後の護衛騎士に、なにやら耳打ちします。
「わかりました。」
護衛騎士が返事をすると、護衛騎士の守護天使が可視化します。守護天使は懐からペンを出して指先で持ちます。そして、ペンでテーブルを叩くと「コンコン」と音がします。霊的なペンでテーブルを叩いても普通は音などしません。テーブルを素通りするだけです。手品でも見てるようです。
「どうなってるんですか?」
アリエルが聞きます。
「ペンをマジカルリアルで実体化してマジカルムーブによる念動力で動かします。」
ペンを動かしてる守護天使が答えます。そして、ペンから指を離します。すると宙に浮いたペンが「コンコン」とテーブルを叩きます。今度はペンに指先を戻して「コンコン」とテーブルを叩きます。
「わかりますか? 念動力でペンを動かして、そのペンに指先を添えれば霊体の指先でペンを動かしているように見えます。指先を添えるほうが、ペンを動かすイメージが湧きますから簡単です。」
「なるほど、魔法による念動力ですか。」
アリエルは関心します。
「この方法で剣を実体化します。アリエル王女の剣は見たところオリハルコンのようです。その剣なら人間などバターのように切れますよ。」
アリエルはもちろん、キースやアーシャも言葉も出ません。
「もっと簡単なのは実物の剣を念動力で動かします。これなら、剣を実体化する魔力を節約できます。」
守護天使は護衛騎士の剣を念動力で鞘から引き抜いて両手を添えます。
「どうですか? 剣を構えてるように見えるでしょ。」
直ぐに剣を護衛騎士の鞘に戻します。それを見たアーシャはキースにしがみつき「どうしよう、どうしょう」と泣き出します。
「どうしたんだ?」
ラッド男爵は、デモに剣まで出したのはやりすぎだと思いましたが、泣くほどとは思いません。
「実は・・・。」
アリエルが話し始めます。アリエルは、噂を聞いた堕天使がエマを監視してること、その堕天使も最近はつわ者になり気配を感じさせないこと、おそらく大魔王サタンの指示であることを話します。話の内容にラッド男爵は顔色を変えます。
「本当か?」
聞いたラッド男爵は直ぐに愚問だと思いました。天使は嘘をつけません。
「堕天使が襲ってきたら、エマが自分でマジカルバリアを張れるまで、アリエル王女がエマにマジカルバリアを張るしかないと思います。その上で、アリエル王女は堕天使を追い払うのです。」
先程の守護天使が教えてくれます。
「マジカルバリアを張る方法なら私が知っています。」
アーシャの守護天使のマリンが可視化して答えます。
「私とエマが会ったことは他言無用としよう。これ以上、噂など立たない方がエマのためだ。」
ラッド男爵は心配そうにエマを見て言います。
「お言葉ですが、無理でしょう。既に、役所内で噂になっております。」
秘書が冷静に言います。
「私は、最悪のことを考えて、姫様はマジカルバリアを張る方法を身につけた方が良いと思います。」
「わかった。そうしよう。」
マリンの言葉にアリエルも真剣に答えます。
「キース、アーシャ、そして、アリエル王女よ。私は静かにエマを見守ることにしよう。しかし、困ったことがあったらいつでも言ってこい。力になろう。」
ラッド男爵は親身になって気遣います。キースとアーシャは椅子から降りて床にひれ伏し「ありがとうございます。」と何度も頭を下げます。アリエルも頭を下げ、「心から感謝します。」とお礼を言います。
「あの子、普通に喋れるじゃないの。」
アリエルの様子を天国の監視モニターで見ていたライラ王妃はちょと安心しました。
「例の噂も悪いことばかりじゃないわね。」
ライラ王妃は、噂のおかげで、エマの後ろ盾になったラッド男爵を見て、以前、噂も織り込み済みと言った神のことを思い出します。
「織り込み済みとは、こう言うことかしらね。」
帰り道は、アーシャの希望でマリンは役所から家まで、ずっとエマにマジカルバリアを張っていました。エマは母親の魔力を纏って心地いいのかスヤスヤと寝ています。途中、色々と詮索してくる仲良しの信徒からギルを引き取り、家についた時には、アーシャはくたくたでした。
「大魔王サタン様、エマとアリエルのことでご報告します。」
「話せ。」
地国の宮廷で玉座に座るサタンに、エマとアリエルを監視している臣下が報告を始めます。
「本日、例の噂の件で、ラッド男爵にエマと両親が呼ばれて面会しました。」
「貴族か。貴族なら王女のアリエルに揉み手で媚びてたんじゃないのか?」
「違うと思います。調べたら、ラッド男爵は敬虔なクリスチャンだそうです。」
「クリスチャン?」
「そうです。そして、ノリス領土の南区画を任されている区長ですので、それなりの権力もあります。」
「ラッド男爵がエマのバックに立ったか。」
「そう見たほうがよろしいと思います。」
「エマと言う赤子、惹きつける何かを持っておるな。」
「私もそう思います。なにより、大魔王サタン様が関心を持っております。」
「確かにそうだ。お前の言うとおりだ。」
サタンは指を鳴らし、余計な一言を言った臣下を、塵芥にして消滅させます。