5.洗礼式の奇跡
無事に誕生したウイルコックス家の長女。名前をエマと名付けました。
そして、1週間ほど過ぎた今日は、教会で洗礼を受ける洗礼式です。この洗礼式で守護天使が決まります。
「さあ、エマ、教会に行くわよ。」
母親のアーシャが笑顔で話しかけます。
「・・・。」
エマは寝ています。
「今日はエマの洗礼式でちゅよー。」
父親のキースが長男のギルを抱っこしながら話しかけます。
「おぎゃー、おぎゃー・・・。」
泣き出します。生まれたばかりの赤ちゃんです。寝るか泣くかのどちらかです。
ウイルコックス家は、父親のキースが22歳、母親のアーシャが20歳、そして長男のギルが1歳で長女のエマを入れた四人家族です。
二人は元冒険者で、大恋愛の末に結婚しました。そして、冒険者を引退して『スマイル定食』という定食屋を営み、店は自宅も兼ねています。
アーシャは、敬虔なクリスチャンです。キースはアーシャ一筋で、料理は冒険者時代から得意でした。
「洗礼式は午前中で終わるかな? 終わったら役所に寄ってエマの出生届も出さないと・・・。」
キースが玄関の鍵をかけながら独り言のように言います。
「どうかなぁ・・・。 もし時間がかかるようならギルを連れて先に帰っていいわよ。私が役所に寄るから。」
「そうだなぁ、そうするか。日曜は店も書き入れ時だからな。」
「そうね。エマも生まれたことだし、お店、頑張らないとね。」
二人で教会へ歩きながら、アーシャは母親の責任を再確認するようにモチベーションを上げます。
「アリエル! どこにいるのですか? アリエル!」
天国の王宮でちょっとした騒ぎが起こりました。
熾天使スワン・ライラ王妃は三女の熾天使アリエル王女を懸命に探します。
「姫様! アリエル姫様!」
執事やメイドの天使たちも総出で探しています。
「王妃様、姫様が見つかりました。」
メイドの天使キティが息を切らして報告に来ます。
「騒がしいのう。 何の騒ぎじゃ?」
朝の剣の鍛錬を終えたアリエル王女が他人事のように部屋に現れます。
「アリエル、今日は何の日だか知ってて、そんなことを言ってるのですか?!」
イラッとした王妃は声を荒げます。
「母上、落ち着いてくだされ。今日は・・・?」
「今日は姫様が守護天使になる日ですよ。」
思い出せずに困っているアリエルの耳元で、キティが小声で教えます。
「そうじゃ、そうだった。妾が守護天使になる日じゃ!」
王妃は頭を抱えます。勉強が嫌いなアリエルは義務教育を終えると直ぐに騎士団に入団します。階級は将校まで出世し剣術大会でも優勝する程の実力派です。
「何が、そうじゃ、そうだったですか! 早く支度をなさい!」
貴族ならば沈着冷静は必須です。王妃とあらば尚更です。それでも、王妃が冷静さをなくすのは、アリエルの人選は神の神命だからです。手違いなど許されません。
「王妃様、支度なら出来ております。私たちがアリエル姫様の亜空間部屋に準備万端整えました。」
執事やメイドたちが王妃を宥めます。
「それでは、母上、行ってきます。」
アリエルは王妃の前に跪いて挨拶をします。
「アリエル、これは神命です。しっかりとおやりなさい。」
「お任せください母上。守護天使の任、身命を賭してやりとげてみせます。」
飛び出して行くアリエルの後ろ姿に、「シャワーくらい浴びて行くのですよ!」
心配が尽きない王妃でした。
四人は教会に着き礼拝堂の神前でトールソン枢機卿と、お供の若い神父に挨拶します。トールソン枢機卿は、ノリス領土で唯一の枢機卿です。
「トールソン枢機卿様、エマのこと、よろしくお願いします。」アーシャとキースが頭を下げ、お供の若い神父に献金を渡します。
「ほう、エマというのですか。」
トールソン枢機卿は産衣に包まれたエマの顔を覗き込みます。
「なんと、金色の髪ですか。すばらしい。神に愛された子です。」
金髪の子は神に愛されているという言い伝えがありました。
「よかったね、エマ。枢機卿様も褒めてくれましたよ。」
アーシャも嬉しそうです。エマが金髪なので、スマイル定食の常連客からも神に愛された子と褒められていました。
洗礼式の時間になりました。
エマの洗礼式が始まります。アーシャと仲のいい信徒も大勢集まってくれました。トールソン枢機卿がエマを抱いてエマのために祈ります。アーシャとギルを抱いたキースは礼拝堂の一番前の椅子に座り頭を垂れます。
枢機卿の祈りが終わり、エマの額に聖水が垂らされ祝福を受けます。トールソン枢機卿、アーシャ、キース、信徒たちの緊張が高まります。ここで守護天使となる天使が降臨するからです。しかし、天使は降りてきません。この場を仕切る、トールソン枢機卿は気が気ではありません。
神の聖気が薄い地上では、霊体の天使は目に見えません。可視化するには魔力で補う必要があります。洗礼式では、トールソン枢機卿の魔力を貰って3Dフォログラムのように可視化して現れることになっています。
「どうしたんだ・・・。こんなことは初めてだぞ。」
動揺するトールソン枢機卿を見て、枢機卿の守護天使である智天使ダリルも心配して可視化して現れます。
「私が天国に連絡してみましょう。少しお待ち下さい。」
智天使ダリルが、直ぐに天国の担当部署にテレパシーフォンを繋げます。
アーシャの守護天使である智天使マリンとキースの守護天使である主天使ノーランも心配で可視化して現れます。信徒たちの守護天使も何人か心配して可視化して現れます。
「連絡はつきましたか?」
「まだです。お役所仕事ですから仕方ありませんね。」
通話がたらい回しにされて待受の音楽にイライラします。
「姫様! お待ち下さい! 姫様!」
メイドの天使キティが大声で叫びながらアリエルを追いかけてきます。
「何じゃ、キティ、妾は急いでおるのじゃ。シャワーを浴びていたら遅刻なのじゃ。」
「わかっています。でも、姫様、出発前に『マジカルエージェント』と『マジカル3D』の魔法を覚えなくてはいけません。」
「魔法とな?」
「そうです、地上は聖気が薄いので姫様は見えません。そこで、人間から魔力を貰って魔法で可視化するのです。」
「なぜ、今頃言うのじゃ。そいうことはもっと前に言うのじゃ。」
「何度も言いました。でも、姫様が、送別会で忙しいからと聞き入れてくれませんでした。」
「そうだったか。すまぬことをした。それでどうすれば良いのじゃ?」
「では、必要最小限のことだけ教えますね。コマンドを覚えてください。今、テレパシーフォンで送りますね。」
// 代理人取得コマンド
define MagicalAgent {
// イメージを取り込みます。
image = import new Image();
// 代理人の魔法道具を与えます。
export new MagicalTool( image.Agent );
}
// 可視化コマンド
define Magical3D {
// イメージを取り込みます。
image = import new Image();
// 被守護者の魔法道具を取り込みます。
magical_tool = import new MagicalTool();
// 魔力の器を定義します。
magical_power = new MagicalPower();
try {
// 終了と思うまで視覚化します。
Loop( True ) {
// 被守護者から10L の魔力を貰います。
magical_tool.Get_magical_power(
magical_tool.v10L, magical_power );
// 魔力10L 分可視化します。
// 3D_image:
// イメージ無し:体全体を可視化します。
// イメージ有り:イメージの通り可視化します。
// magical_power:10L分の魔力です。
magical_tool.Magical3D(
image.3D_image, magical_power );
} // End Loop
// 終了と思ったのでコマンドを終了します。
} catch ( End_the_command_Exception e ) {
magical_tool.system.exit( 0 );
// エラーの処理
} catch ( No_magical_power_Exception e ) {
e.Set_user_message( "魔力を貰えません。" );
} catch ( No_set_up_Exception e ) {
e.Set_user_message( "可視化できません。" );
} catch ( Breaks_Exception e ) {
e.Set_user_message( "可視化を維持できません" );
}
magical_tool.system.exit( -1 );
}
「キティ、これを覚えるのか?」
「そうです、MagicalAgent と Magical3D コマンドです。姫様。時間がありません。速攻で覚えてください。」
せめて、昨日のうちにキティの言うことを聞いておくんだったと後悔します。
「姫様、私は先に行って場を繋げておきます。」
「頼むのじゃ。」
アリエルは必死で覚えます。そして、キティは瞬間移動で教会へ向かいます。
トールソン枢機卿はイライラして神前を行ったり来たりしています。すると、トールソン枢機卿からフッと魔法が吸い出されます。
そして、1人の女性天使が可視化して現れました。メイド服に身を包んだかわいい天使です。
「初めまして、トールソン枢機卿様。私は熾天使アリエル様の使いで、天使キティと申します。大変申し訳ありません。アリエル様は所用で遅れております。」
「所用って・・・。」
教会にいる信徒たちがざわめきます。普通、そんなことは絶対にありません。
「キティさん、あとどれくらい待てば良いのですか?」
それでも、トールソン枢機卿はドタキャンにならなくて良かったと少しだけ安堵しました。
「もう少しだと思います。」
その時、キティの横にアリエルが現れます。
「このあとどうするのじゃ?」
「この人を見ながら、『エグゼキュート マジカルエージェント パイプ エグゼキュート マジカルスリーディ』と唱えてください。」
アリエルはキティが言う、トールソン枢機卿を見ながら直ぐに唱えます。
「『エグゼキュート マジカルエージェント パイプ エグゼキュート マジカルスリーディ』」
すると、トールソン枢機卿から再びフッと魔法が吸い出されます。
「お待たせしました。トールソン枢機卿様。熾天使アリエル様が降臨されました。」
キティは静かに告げると、その場に跪きます。
可視化して現れた天使も女性で、レースクイーンのような体型に騎士団の女性将校の正装姿です。とても端正な顔立ちの美人です。黙っていれば絶対にいい女です。
「遅れてすまんのう。 妾は王女の熾天使アリエルじゃ。」
やっと来たと思ったら王女と聞いて、その場にいた守護天使たちはアリエルの前に跪きます。数人の信徒もそれを見て跪きます。
「姫様、今日はどうされたのですか?」
「妾は守護天使に選ばれたのじゃ。しかも、神が妾を選んだのじゃ。どうだ、すごいじゃろ。」
アリエルは胸を張ります。
「姫様が守護天使ですか・・・?」
神が王族を守護天使に選んだと聞いて、その場にいる守護天使たちも色めき立ちます。
そんなことなど眼中にないアリエルは、枢機卿が抱いている赤ん坊に目を向けます。
「この赤子か?」
「はい。名をエマと申します。」
枢機卿は直ぐに答えます。
「そなたのために神が妾を選んだのじゃ。神に愛された奇跡の赤子じゃな。」
エマのために神が守護天使を選び、選ばれた守護天使が王女と聞いた全員が驚いて声も出ません。そんなことは人類始祖のアデムとエレミ以来の出来事です。
アリエルは産衣に包まれたエマの顔を覗き込みます。
「エマと言うのか。めんこい子じゃ。しかも、金髪じゃな。本当に神に愛されておるのじゃな。」
アリエルを見たエマが「キャッキャッ」と笑います。
「エマとは上手くやれそうじゃ。」
エマの笑い声とアリエルの呟きが二人の合意となりました。
「神に与えられた権能により、熾天使アリエルをエマ・ウイルコックスの守護天使とする。」
トールソン枢機卿が声高らかに宣言します。
その瞬間、エマの脳とアリエルの脳を、霊的な光ファイバーケーブルでリンクされます。これでアリエルとエマは記憶や考え、気持ちなどを共有できます。また、エマのストレージもアリエルの脳に霊的なSATAケーブルでリンクされます。これで、アリエルはストレージにアクセスできます。
次にエマの心臓とアリエルの心臓を霊的なメッシュホースとレギュレーターでリンクします。これで、エマの魔力を一定の圧力でアリエルに与えることができます。
こうして、熾天使アリエル王女が守護天使となりエマと一体になりました。
アリエルは自分とストレージがリンクしたことを少しだけ「なんじゃ?」と不思議に思いました。でも、守護天使、初体験のアリエルは「こんなもんかのぉ。」と直ぐに忘れてしまいます。
「姫様、よろしいですか?」
キティがアリエルに声をかけます。
「おっ、キティか。何じゃ?」
「可視化ですが、姫様は無事に守護天使になられたので、次から可視化するときは、エグゼキュート マジカルスリーディと唱えてください。あと、可視化を終わらせるときは、終了と思うか、唱えてください。」
「わかったのじゃ。それと、今日はキティには色々迷惑をかけたのじゃ。すまなかったのう。」
「とんでもございません。それでは姫様、ご武運をお祈りしております。」
キティはフッと消えると、瞬間移動で天国へ戻っていきました。
これで洗礼式は終わりましたが、礼拝堂の信徒たちは、ひどく興奮して大騒ぎです。
「神ご自身がエマのために守護天使をお選びになるとは、なんと名誉なことか・・・」
「守護天使が王族なんて、人類始祖のアデム王とエレミ王妃以来の快挙じゃない。」
「そうだよ。エマは将来、デズモンド帝国の王妃になるぞ。」
「そんな、下世話なこと。エマはすばらしい聖女様になるのよ。」
こんな話しを聞いているアーシャとキースはオロオロするばかりです。エマも騒がしくて泣き出してしまいます。
「おぎゃー、おぎゃー・・・。」
たまらずにアリエルが可視化して現れます。
「静かにするのじゃ! エマが驚いて泣いておるではないか!」
礼拝堂の信徒たちを一喝します。
トールソン枢機卿が洗礼式の終わりを告げます。礼拝堂の信徒たちは解散して行きます。そして、直ぐに町中でエマのことが噂になりました。
監視モニターで、この様子を見ていた神とアリエルの両親である熾天使ウィルソン王と熾天使ライラ王妃は頭を抱えます。
「この噂がサタンの耳に入れば警戒されるであろうなぁ。なんとおしゃべりな娘か・・・」
神は嘆きます。
「大変申し訳ありません。」
王と王妃は平身低頭で神に侘びます。しかし、二人は「だからあれほど反対したんです。」と言いたげな様子です。
二人の思いを感じ取った神は余裕を見せます。
「勘違いするでない。こうなることは織り込み済みじゃ。」
二人は意味がわからず、顔を見合わせるのでした。
アーシャとキースはエマの名前を役所に届けて帰宅します。洗礼式の済んだエマの名前は、エマ・アリエル・ウイルコックスです。守護天使の名前をミドルネームにするのが法律で決められています。
「父さんも母さんも明日から頑張るからね。」
帰宅した二人は疲れてぐったりです。とても店を開ける気になりませんでした。