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052 幕間


 銀の半月が輝く夜。

 新乃宮礼司は、私室の窓から庭園を見下ろしていた。

 夜光を煌めかせる噴水に、赤と白の花弁を咲き誇らせる薔薇の園。


 礼司はこの庭園が好きだった。

 亡き母が自ら設計し、庭師に混じって手入れをしていた美しい庭。


 だが、その思い出も今は遠い昔の物だ。


(柏陵院夏姫……!)


 礼司は苦々しく表情を歪める。

 柏陵院夏姫を婚約者として紹介されて以来、礼司は己の全てが壊され、狂わされていく感覚に陥っていった。

 

 あの女はいつも冷めた視線で人を見ていた。

 あの女はジョークを好まず、笑う事もない。

 眼下の庭園を訪れ、茶会を催した際も、あの女はつまらなさそうに花を一瞥した後、ただ静かに茶を喫するのみだった。


(俺はアイツの前で中身の無い『優雅で気品ある会話』を続け、アイツの理想とするような王子を演じ続けてきた。父からの紹介と周囲の期待を無下にも出来ず、心を石のようにして彼女と接してきた。全く好いてもいない女相手に、なんと無為な時間を過ごしてきたのだろう)


 窓ガラスに手を付け、庭園を憎々しく睨む。

 愛する母の思い出が、あの女によって穢されてしまった。

 美しい薔薇を見ても、彼女の冷たい目が想起されて心がささくれ立つのだ。


(俺に寄ってくる女は、アイツ以外にも居た。しかし、それも俺の王子としての外面に釣られてきたような薄っぺらな女ばかりだ。……だが、朋子だけは違った。あの娘は俺の前でへりくだり、媚びへつらうような真似はしなかった。母と同じ、自然で屈託のない笑顔を俺に向けてくれた……)

 

 礼司は目を瞑り、朋子の笑顔を思い出す。

 大輪の花を思わせる、満面の笑み。

 可憐で愛らしい、裏表の無い少女。


(だが、それも……!)


 思い浮かぶのは、屋上であの女を庇うように自分と対峙する朋子の姿。

 礼司は目を開き、脳裏に浮かぶ光景を振り払うように頭を振る。


(どこまで……どこまで俺の人生を狂わせるつもりだ、柏陵院夏姫。婚約者として貴様を紹介されてから、5年! 5年もの歳月を、貴様に苦しめられ続けてきたのだぞ! 何故貴様は俺から何もかもを奪おうとする!? 星也も、朋子も、元は俺の友だったではないか! それが何故、今は貴様と共に過ごしているのだ!)


 負の感情の噴出が収まらない。

 

 礼司には銀城星也という幼少期からの友がいた。

 彼はヤマの第二王子という重責を生まれながらに課された礼司を気遣い、どんな愚痴も静かに聞き入れ、相談に乗ってくれていた。

 だが、星也がMBF部に夏姫を招き入れて以来、礼司は彼との交流を一切断っている。

 

 礼司の中の悪感情が、日を追うごとに大きく膨らんでいた。

 

(俺は絶対に許さない……貴様だけは必ず……!)


 怨嗟の声が頭の中を渦巻く。

 その時、コンコンコンと部屋の扉からノックが鳴った。


「……入れ」


「失礼いたします」


 礼司が入室を許可し、姿を現したのは近侍である香取だ。

 小柄な身に執事服をピシリと纏い、怜悧な双眸を礼司に向けている。


「王子、例の情報を暗部より手に入れて参りました。確かな証拠もここに」


 手に持った白の封筒を差し出す香取。

 礼司は中身の写真と資料に目を通した。

 口元に酷薄な笑みを浮かべる。


「よくやったぞ、香取。これで奴を追い込む事が出来るやもしれん。然るべき時に、これを公表してやろう」


「……それでは、失礼いたします」


 香取は深々と頭を下げ、退出した。

 後に残るのは、暗い復讐の炎に身を焦がす1人の男だけだった。



 ※  ※  ※



「それでは、奥様。失礼いたします」


 時は遡り、5月下旬。

 執事服に身を包んだ清田源蔵が、夏姫の母――柏陵院秋乃(あきの)の私室から退出する。

 秋乃は彼の足音が遠ざかっていくのを確認した後、テーブルの上に置かれた封筒に手を伸ばした。


「……夏姫」


 切れ長の瞳が、涙で潤む。

 源蔵が残した封筒の中には、体育祭の競技に出場する我が娘の写真が収められていた。

 仲の良さそうな友人達に囲まれ、自分には見せた事もないような穏やかな笑顔を浮かべているものもある。


(私は間違っていたのかしら……全ては柏陵院の為、娘の幸せの為、あの子には随分キツく当たってしまった。あの子の笑顔すら、この写真を見るまで思い出すことが出来なかった。母親失格ね……)


 写真を束を上から順に眺める。

 体育祭の場面から切り替わり、鉄の巨人が佇む格納庫内の写真が現れた。


(マージギア……MBFの競技に用いられる機体。まさかあの子が部活動を始めるなんて思わなかったわ)


 機体の前に立つ凛々しい夏姫の横顔。

 タブレットに映し出される試合中の烈火の様子を撮った写真。

 試合終了後、仲間に労われ微笑む娘。


(出る杭は打たれる、目立つ必要はない、ほどほどに手を抜け……勉学もスポーツも、決してトップを取らず、敵を作らない。そんな処世術を覚えさせられた夏姫は、いつしか笑う事がなくなった。退屈そうに冷めた目をするようになった。でも、今のこの子は全力で物事に取り組み、とても充実していて楽しそう……)


 湛えていた涙が、つうと頬を伝う。

 後悔と慚愧の念が胸中を渦巻いていた。

 娘と向き合わず、一方的に『柏陵院の人間』としての教育を押し付けてきた。

 その事実を実感させられ、胸が貫かれるように痛むのだ。


(……あの紙袋は何かしら)


 源蔵には、写真の入った封筒の他に紙袋も渡されていた。

 中を探ると、包装された箱状の何かが入っていた。

 テープを外し、ラッピングを綺麗に解く。

 中から出てきたのは夏姫の乗る機体――烈火のプラモデルだった。


(源蔵……)


 秋乃は涙を指先で拭い、クスリと小さく笑う。

 プラモデルの他に、袋の中には完成に必要となる道具も揃えられていた。

 

(そうね、気晴らしにはなるかもしれないわね)


 厚い紙の箱を開け、説明書に目を通す。

 長い夜になりそうだった。


 

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