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042 執事


 午前の競技が滞りなく終了し、昼休みの時間になった。


 夏姫は弁当箱の包みを手に下げ、いつも通り屋上を訪れていた。

 小さな花壇の前に設けられた木製ベンチに腰掛ける。


「いただきます」


 膝の上で広げた光一郎手製の弁当を前に、夏姫は手を合わせた。

 屋上の出入り口の扉が開かれたのは、丁度その時だった。


「おっ、居た居た」


 戸口に立っていたのは、光一郎だ。

 そして、扉を経て屋外に出てくる彼の後ろに、夏姫の予想だにしていなかった人物が続いて現れた。


「源蔵……」


 清田源蔵。

 光一郎の祖父であり、柏陵院家の執事長を任されている老年の男性である。

 仕事中は燕尾服を着こなしている彼だが、今日はポロシャツにズボンというラフな格好だった。


「お久しぶりでございます、夏姫お嬢様」


 夏姫の傍に寄り、源蔵がオールバックに整えた白髪頭を深々と下げる。

 夏姫は弁当をベンチの上に置き、立ち上がった。


「ああ、久しぶりだな源蔵。元気そうで何よりだ」


「勿体なきお言葉。夏姫お嬢様もご壮健であられますようで何よりでございます」


 夏姫の応対に、源蔵は皴を刻んだ顔に微笑を浮かべる。


 柏陵院家の邸宅には、夏姫とその両親の3名が住んでいた。

 だが、両親は国内外を飛び回っている事が多く、夏姫は独りで居る事が多かった。

 その夏姫の世話を焼いてくれたのが源蔵である。

 

 夏姫は両親と過ごした時間よりも、源蔵と過ごした時間の方が遥かに長かった。

 けして自分から無駄口を叩くようなことはしない彼だが、彼女が疲れていたり困っていたら、お茶を淹れ相談に乗ってくれた。


 柏陵院夏姫にとって唯一心を許せた人間、それが源蔵だった。


「だから逐一報告してるだろ、爺さん。お嬢様は元気にやってるって」


「光一郎……」


 両手を頭の後ろにやって呑気に言う光一郎。

 源蔵は彼を半眼で一瞥したのち、夏姫に向き直った。


「お嬢様、不肖の孫が何か無礼を働きませんでしたでしょうか?」


「おいおい、信用ねぇなぁ」


 少し慌てる様子を見せる光一郎の前で、夏姫はふっと口角を上げる。


「そうだな、光一郎は世話役としてよくやってくれていると思うよ。最初は少しキツく当たられたが、それも諫言として有難く受け取らせていただいた」


「……最初はキツく?」


 源蔵の白眉がピクりと動き、鋭い眼光で光一郎を射抜く。

 形勢不利を悟った光一郎は右手をシュッと上げて、二人に背を向けた。


「おーっと、そろそろ昼飯食わねぇと次の競技始まっちまう。そんじゃ、また後でな、お嬢様!」


「コラ、待たんか! 光一郎!」


 源蔵の呼び止める声を無視し、光一郎はスタコラとその場を後にした。

 夏姫はクツクツと笑う。

 源蔵がその様子を見て、少し驚いたように眉を上げた。


「お嬢様……」


「ん、少し悪戯が過ぎたかな。先ほども言ったが、光一郎はよくやってくれているよ。叱るような事はしないでやって欲しい」


 夏姫に言われ、源蔵は「畏まりました」と頭を下げる。

 それから柔和な笑みを浮かべた。


「変わられましたな、夏姫お嬢様」


「……最近よく言われるよ」


 先ほど沙苗に言われた事を思い出し、夏姫はまた可笑しくなって小さく笑った。

 そんな彼女の前で源蔵は改めて背を正し、胸に手を当てて礼をする。


「お嬢様、何があろうとも源蔵めは貴女の味方でございます。何かお困り事がございましたら、光一郎を通じて御連絡下さいませ。すぐにでも馳せ参じさせていただきます」


「ありがとう、源蔵」


 涼やかな風が吹く。

 花壇に咲いた色とりどりの花が、小さく揺れていた。



 ※  ※  ※



 午後一の種目は部活動対抗リレーだ。

 赤組や白組の垣根を超え、同じ部に所属するメンバーで勝利を目指す競技である。


「夏姫先輩! こっちです!」


 ゲート方面へ歩いていると、人だかりの中ですばるが腕を上げて振っているのが見えた。

 その傍にはMBF部のメンバーが揃っている。


「私が最後だったか。すまない、少し遅れた」


「まだ時間前だよ、大丈夫」


 夏姫が謝罪すると、星也がすかさずフォローを入れた。

 それから彼は部員の面々を見回し、こくりと一つ頷く。


「さぁ、部活動対抗リレーの概要をおさらいしよう。このリレーは各部から5名選出して行う競技だ。リレーと言ってもただ走るだけでは運動部が有利だからね、一人ずつ異なった障害となるものが用意されている。勝っても赤組や白組のポイントにはならない、賑やかしのような種目だね」


「勝ってもポイントにならないなら、頑張る意味薄いっスね」


 説明を聞いていた光一郎が声を上げる。

 赤の鉢巻を頭に結んだすばるが、それに異を唱えた。


「それは違いますよ、光一郎先輩。実はこの競技、来期の部費の査定に影響するらしいです!」


「部費ぃ? ……部費なんて何に使うんだ、うちの部活?」


 光一郎の疑問も尤もだ、と夏姫も内心頷く。

 MBF部で使う道具といえばカラクリやその兵装くらいである。

 それもポイントで賄えてしまうので、部費に頼って揃えなければいけない物もない。


「あっ、お茶っ葉とかお砂糖とかの買い足しに使えるんじゃないかな」


 朋子がパシッと両手を叩いて用途を提示する。

 すばるが目を瞑って唸った。


「うーん……いつも部室に用意してるお茶とかは、我が家で使っている物の少しばかり拝借して持って来てるんですよねぇ。ティーカップとかも使わなくなった物の再利用でして……」

 

「部費の使い道は遠征費用や、その他の細々した小物を揃えるくらいかな。まぁ、何にせよだ」


 星也が改めて場を取り仕切り、全員の注目を集める。


「やるからには一位を目指すぞ!」


 星也が手の甲を上にし、前に差しだす。

 残った部員が順々にそれに手を重ねた。


「オーッ!」


 声を揃え、一度手を沈めた後に腕を振り上げる。

 気持ちを揃えたところで、選手入場のアナウンスがスピーカーから流れた。


「よし、それじゃ第一走者行ってきますね」


 すばるが額に手を当てた後、スタートラインに向かって歩いていく。


「これより、部活動対抗リレーを行います。選手は第1レーンより野球部、水泳部、バトミントン部、文学部、情報処理部、MBF部の皆さんです」


 放送委員が選手の所属する部活を順に紹介をしていった。


「MBF……なに?」


「ほら、銀城様が設立したロボットの……」


「あのデカい倉庫建てた部活かぁ」


 新設のMBF部の名前を聞き、観客がそれぞれ反応を見せる。


「MBF部って全然浸透してないっスよね」


「まだ俺たちは何ら実績を挙げていないからな。仕方ないさ」


「2学期から始まる大会に勝てば、うちの評判ももっと上がるよね、きっと」


 朋子が「頑張ろう」と両手を握りしめる。

 スタートラインでは、今まさに体育委員がスターターピストルの引き金を引かんとするところだった。


「位置について、ヨーイ!」


 パァンと青空の下に気持ちのいい快音が鳴り響く。

 選手が一斉に白線を飛び出した。



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