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001 目覚め ①

 

 ある朝、志島秋生が目を覚ますと、ベッドの中で自分が女性の姿に変わっていることに気が付いた。


「……?」


 妙にだるい身体に鞭を入れ、緩慢な動作で上半身を起こす。

 薄い緑色の病衣の襟元から、膨れた胸の谷間が視界に映った。

 無遠慮に乳房を鷲掴むと、それには確かに神経が通っているらしく、若干の痛みを覚える。


「???」


 思考が乱れ、定まらない。

 ぼんやりと周囲を見回す。

 

 志島は白を基調とした部屋の中で寝かされていた。

 構造やほのかに香る消毒液のにおいから、そこが病院の個室であることが伺える。

 

 すぐ横にある窓からは日光が柔らかに差し込み、青い空が広がっていた。

 志島はベッドから降り、窓辺へ寄る。


「これは……」


 窓の下には緑豊かな病院の広場が見えた。

 その広場の向こうには、巨大なビルが立ち並び、道路には色とりどりの車が往来している。

 志島の記憶の中にあるどんな都会の街並みともかけ離れた先進的な風景に、軽く息を呑んだ。

 

 それから改めて部屋の中を眺め、簡易な洗面台と鏡が設置されているのが目につく。


「誰だ、これ」


 覗き込んだ鏡の中には、気の強そうな面立ちをした少女が立っていた。

 年の頃は10代後半、身長は165センチほどだろうか。

 細い眉に切れ長の瞳、色素の薄い髪は軽くウェーブがかっており、肩口まで伸びている。


「怪我、しているのか……?」


 少女の頭には包帯がキツめに巻かれていた。

 左頬には大きめに切られたガーゼがテープで貼り付けてある。


 志島は鏡を覗き込むように上半身を屈め、そっと頭に手を伸ばした。

 その指が患部に触れた途端、激しい頭痛が志島に襲いかかる。

 

 同時に、少女のものであろう記憶が洪水のように頭の中に溢れてきた。

 目の前が真っ暗になり、足元が覚束ない。

 洗面台に身体を預けて、志島は膝を折った。


「そうか、俺――私は、『柏陵院夏姫(はくりょういんなつき)』……」


 少女は己の名前を思い出し、そのまま意識を手放した。



 ※  ※  ※



 柏陵院夏姫はヤマ国の巨大財閥『柏陵院グループ』の令嬢である。


 幼い頃から専属教師に英才教育を叩き込まれた彼女は、それを余すことなく自分の力として身に付けてきた。

 その結果、どんな物事も高いレベルでこなせるようになった夏姫は、次第と周りの人間を見下すようになっていく。

 自分が簡単にこなせる物事を、何でこいつらはまともに出来ないのだろう、と終始世界を冷めた目で見るようになってしまっていた。


 しかし、そんな彼女にも関心を寄せる人物が居た。

 父親から婚約者として紹介されたヤマ国の第二王子、『新乃宮礼司(にいのみやれいじ)』である。

 夏姫と同年齢の彼は、他の凡愚とは比べようもないほど勉学もスポーツも優秀。

 その上、容姿も性格も文句のつけようがない、まさに夏姫の理想の男性像を模した人物だった。


 夏姫はたちまち恋に落ち、婚約者として彼との逢瀬を楽しんだ。


 時は流れ、一年前の四月。

 ヤマ国の有力者の子供達が多数集い、夏姫と新乃宮も通う高等学校『昂星(こうせい)学園』に一人の生徒が入学してきた。

 

 『山野朋子(やまのともこ)』、家柄は普通ながらも勉学の才が認められ、特待生として学園に招かれた少女である。

 

 立ち居振る舞い等、周囲の生徒と比べて全く洗練されていない朋子は、学園では酷く浮いた存在だった。

 だが、生来の明るさを以て、徐々に周囲と打ち解けていく。

 その『周囲』の中には、他の女子生徒が羨むような人気の高い男子も複数人含まれており、新乃宮礼司もまた、朋子と心通わせた生徒の一人だった。

 新乃宮にとって彼女は気を置かずに接することの出来る初めての女性であり、親密になるのに時間もかからなかった。


 面白くないのは夏姫である。

 粗野な山猿にしか見えない女が、愛しの王子にすり寄っているのだ。

 それでも初めはなるべく波風を立てないように彼女に接してきた。

 新乃宮は自国の王子である、身分を弁えなさいと朋子に散々忠告を重ねた。

 だが彼女はドジを踏んでそれを新乃宮に庇ってもらったり、そのお礼をしたりと交流を重ね、余計に彼との仲を深めていく。


 どうにも耐えられなくなった夏姫は、学年末のあの日(・・・)、取り巻きの女子生徒を引き連れ、朋子を呼び出した。

 彼女を囲み、どういうつもりだ、彼は私の婚約者だと糾弾する。

 

 それに対して朋子は、新乃宮は大切な友人であり、恋愛関係ではないが、友人としての付き合いを終わらせるつもりはないときっぱりと答え――

 夏姫は怒りのまま、朋子の頬を平手で打った。

 

 だが、それでもなお、朋子は折れなかった。

 涙を瞳に滲ませながら、彼の友人であり続ける事を主張した。

 夏姫は再び右手を振りかざし――その腕を背後から新乃宮に掴まれた。


 新乃宮の突然の登場に驚愕する夏姫に、彼は初めて怒りの形相を見せた。

 そして、その場で言い放つ。


『君との婚約はなかったことにさせてもらう!』、と。


 夏姫は心を墨で真っ黒に塗り潰されたかのように、絶望した。

 

(何故? どうしてこうなったの? もう、御父様にも世間にも顔向けできない……)


 自尊心の高い彼女は、その後の展望に一切の希望を見い出せず、一人でひとしきり泣いた。

 泣いて、泣いて、涙も枯れ果てた彼女は、一人その足で学校の屋上へ向かい――


 その身を空へと投げ出した。



 ※  ※  ※



「この女は愚かだ」


 夏姫は病院の白いベッドの上であぐらを掻き、つまらなさそうに自分のことをそう評した。


「いや、この女は俺なわけだけど――」


 ううむ、と唸りながら、彼女は頭を振る。


 病室の洗面台の前で気絶した夏姫は、巡回に来た看護師に発見されて意識を取り戻した。

 次いで、医師による診察を受けた後、事の経緯を説明される。


 王子に婚約破棄を宣言されたあの日、絶望に打ちのめされたまま身投げした夏姫は、落ちた先に生えていた木の枝と茂みがクッションとなって、運よく一命を取り留めた。

 しかし、頭を打った影響で二週間ほど眠り続けていたとの事。

 他にも全身の打ち身や擦過傷などの怪我はあったが、後遺症の心配はないと医師は最後に太鼓判を押した。


「俺は――柏陵院夏姫、なんだよな?」


 診察や説明を受け終え、再び一人になった病室で、夏姫はひとり首を傾げる。

 死に瀕した衝撃からか、夏姫は前世の記憶――志島秋生として生きてきた記憶が鮮やかに甦っていた。

 それに反し、夏姫であった頃の記憶は残っているものの、その自我や精神がすっかりと失われている。

 

 夏姫はくしゃくしゃと頭を掻く。


(身投げしたあの時、夏姫としての自我は消えてしまったんだろうか? それとも、頭の片隅で眠りに着いてるだけなのか――さっぱりわからない)


 しばらくの間、難しい顔で思考を巡らせる夏姫。

 しかし、答えの出ない問いを考え続ける事に馬鹿らしくなった彼女は、ベッドの上で大の字に寝転がった。


「あー……もう、いいさ。俺は、『俺』だ。好きに生きさせて貰うぞ、夏姫」


 少女は目を閉じた。

 瞼の裏に薄い闇が広がる。

 

 思い返されるのは、銃弾が飛び交い、爆炎が渦巻く戦場の光景。

 そして、志島秋生の最期を看取った白のカラクリの姿。


 志島が参加していた戦争――世界を呑み込む大戦『呑界大戦(てんかいたいせん)』から、すでに80年以上の月日が流れていた。

 

 ヤマ帝国は連合国相手に敗れ、国号をヤマ国に改称。

 戦後の困窮に耐え、復興を成し遂げた祖国は、現在では世界トップレベルの経済大国にのし上がっていた。


(ああ、あの時代の人間は死に物狂いで生きてきた。浅ましくも必死で、地べたを這おうとも懸命に生きてきたんだ。しかし――)


 夏姫の胸の中に怒りの炎が灯る。


(しかし、この女は一時の絶望に身を委ねて命を捨てる真似をした。それが許せない)


 握り拳をつくり、こめかみの辺りを軽く殴りつける。

 

 夏姫の記憶は残っている。

 彼女の絶望の色濃さも、自殺に至るまでの感情も思い出せる。

 

 それでも、志島秋生は柏陵院夏姫を否定した。


「バカだよ、お前は……」


 自嘲めいた独り言が病室の中に小さく反響して消える。

 それとほぼ同時に、コンコン、と病室の戸から高いノックの音が鳴った。

 突然の来訪者に軽く驚きながら、夏姫は上半身を起こす。


「どうぞ」


「邪魔するぜ、っと」


 病室の戸が乱暴に開かれる。

 そこには、昴星(こうせい)学園の制服に身を包んだ男子生徒が立っていた。


 

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