017 命の灯火、蝋燭を吹き消すように
「無作法ながら隠れて様子を窺っていたんだけど、どうにも辛抱できずに出てきてしまったよ。出しゃばり口出し横やりを入れるのが私の性らしい」
その口ぶりとは裏腹に、夜夢さんは新しいおもちゃを見つけた子供のように喜色満面、心躍らせているように見えた。
「一人で来たのか?」
「ああ。吾棟くんたちは上井出くんの帰りを待つために扉の前に戻ったよ。二箇所に固まっているのなら構わないだろう?」
まったく……誰も彼も無節操に動き回ってくれる。
「それで夜夢さん、探し物ってのはどういう意味だ?」
「いやね、あるかどうかもわからない手がかりを見つけるために死体が横たわっているベッドの下に潜りこむというのは、いささか異常な行動だと思ったのさ」
「あんた、何が言いたいんだよ」
華雅が警戒心をむき出しにして夜夢さんを睨みつける。この様子だと『魅了』はすでに解けているようだ。
「なに、君は手がかりではなく、別の物を探しているんじゃないかと愚考した次第さ。たとえば……特徴的な髪の毛、とかね」
その言葉の意図を察したのだろう、華雅はショックを受けたようで大いに動揺を見せた。
「ち、違う! ふざけんなよてめえ! 俺が殺したって言いたいのか!」
「たとえばと言ったろう。髪の毛なんていくらでも偽装できるし、この部屋には全員が立ち入っているのだから、美しい銀髪が落ちていたところで物証としての価値は薄いさ」
「夜夢っち、何か言いてえことがあんならはっきり言えって」
天照さんが不機嫌そうに言う。
「失礼、回りくどいのは私の悪い癖だね。ねえカガミン、君はどう思う?」
夜夢さんが僕の肩にぽんと手を置いた。
「私と君の予想がぴったり一致したら説得力も増すってものだ。この場において失せ物を捜すとして、君ならそれがいったい何だと考える?」
「まあ、それは……」
どうしたものかと考える。ここで彼女の問いに答えるのは簡単だが、果たしてそうすべきなのだろうか。その答えが持つ意味も見当がつかないし、何より彼女の口車に乗せられているような、うまく誘導されているような心地の悪さがある。
だが……。
「注射器だろ?」
夜夢さんは嬉しそうに口角を上げた。
「さすが私が見込んだ男だ。君はやはり私と似ているね」
光栄だが嬉しくはない誉め言葉だ。
「とはいえ、そう難しい話じゃない。重要な意味を持っていて行方不明な物といえばひとつだからね。そう、亡くなった木花さんの三本の注射器、そのうち部屋で見つかった一本を引いた残りの二本さ」
「けどよ、そいつは犯人が持ち去ったって話だっただろ? それをリオンが捜してたとして、裏を返せば犯人じゃねーってことになるぜ」
天照さんが至極もっともな意見を言う。
「いや、一本だけ持ち帰って、一本は置いて行ったのかもしれないよ。そしてそれを取りに来た」
「でもこの部屋は皆で探しただろ? 何も見つからなかったじゃねーか」
「もちろん見つからないように隠したのさ。たとえば……ベッドの裏とかにね」
大袈裟に両手を広げてみせる。まるでミステリ劇で探偵役を演じる舞台女優のように。
よくない流れだった。
「夜夢さん、仮定に仮定を重ねただけの推論を事実みたいに言うのはよくない。探偵が饒舌になるのは犯人を特定した時だけだろう」
「おっと、手厳しいね。どうやら私には探偵の才能はないらしい」
彼女は最初からそうだった。先ほど玖恩さんを追い込んだ時も。その堂々とした演説をもって、意図的に議論の道筋を歪めたり、注意を逸らしたり、論点をずらして皆を煙に巻く。子供が悪戯で案内板の向きを変えるように。
ただ楽しむためだけに。
「そういうわけだから華雅くん、君の潔白を腫らすためにも身体検査をさせてもらいたいんだけれど――」
「もういい」
華雅が呻くように言い、そして次の瞬間、いきなり爆発した。
「もういいよ! 俺だって好きでこんな能力使えるようになったわけじゃないのに、どいつもこいつも、どうせ最初から犯人だって思ってたんだろ! そこまで言うならお望み通り、お前ら全員ぶっ殺してやるよ!」
それは、小さな子供が癇癪を起こしたような、制御の利かない怒りに満ちた悲鳴だった。
言い終わると同時に、華雅は部屋を飛び出していった。
「待てリオン!」
車椅子を反転させて天照さんが後を追う。
「伴動さん、僕らも追おう!」
慌てて部屋を出ようとした時、後ろから「気を付けて」という声が聞こえた。
***
〝太陽を正面から凝視してはいけません〟。
そんなことはわざわざ注意喚起するまでもなく、誰もが身をもって知っているだろう。紫外線によるダメージ云々以前に、単純に眩しいからだ。目が眩むからだ。
では、太陽が目の前に突然現れたら?
部屋を飛び出した僕の目に飛び込んできたのは、小さな太陽だった。
中空で火柱を上げて燃え盛っている。球体に見えるが、そうではないのかもしれない。あまりに眩しすぎてとても正視していられないのだ。
光だけではなかった。皮膚が焦げるほどの熱の奔流。人間はおろか、建物ごと燃やし尽くすのではと思われるほどの破壊的な熱線が廊下中を照らしていた。
「来るんじゃねー! 逃げろお前ら!」
天照さんの叫び声が聞こえてきた。廊下の途中で倒れて身動きが取れなくなっているようだった。
手で光を遮りながら目を凝らすと、火球の向こう側に華雅の姿があった。
「よせ、華雅!!」
喉が焼け付くのを堪えて声を張り上げるが、反応はない。
本気なのか。直前に吐き捨てた、「全員殺してやる」というあの言葉は。
この距離では『金縛り』は使えない。
僕はポケットから注射器を一本取り出し、残りを伴動さんに渡した。
「伴動さん、急いでここから離れろ」
「あなたは?」
「いいから早く!」
「それは――」
「命令だ!」
左腕に注射器を突き立てるのと同時に地面を蹴る。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
無惨な焼死体のイメージが脳裏をよぎる。あの炎に包まれたらまず助からないだろう。
だがこうなってしまえば他に道はない。
もしまともに攻撃を受けてしまったとしても、炎に巻かれたまま突っ込んで華雅を巻き添えにする。後は誰かがなんとかしてくれるだろう。
だからこれが正解だ。僕は間違っていない。
自分が人間として生きられなくなったのだと悟った時から、僕は死というものを強く意識するようになった。自分が生きているのか死んでいるのか、あるいは生かされながら死んでいるのか、ずっと曖昧だった。
死ぬ直前というのはどういう気分なのだろうとよく想像した。それは世界で自分一人しか知り得ない、そして知り得た次の瞬間に儚く消える、もっとも美しい感情のように思えた。自分が終わるという現実から逃避するのか、せめて最期は安らかにと祈るのか。あるいはもっと崇高な境地に至るのか。きっと自分は生まれたことを後悔しながら死んでいくのだろうと思っていた。
意外にもその答えは、「こんな死に方も悪くない」だった。
自ら火に突っ込んで焼け死ぬ虫みたいな馬鹿っぽさがいかにも自分に相応しいと感じたのかもしれない。拍子抜けするほどにせいせいとしたものだった。
死を確信した時に人は走馬灯を見るというが、残念ながらそれはなかった。蘇ってほしい記憶も少ないからそれでいい。
蘇ったのは、ただひとつの情景。
満天の星の下で目に涙を浮かべている、僕が好きだった子の姿だった。
――その時。
まだ走り出して二秒も経っていないだろうその時、誰かの気配を感じて目を開けると、眩いばかりの光の中、伴動さんが隣を並走していた。
馬鹿な。なんで。
なんで来たんだ。僕一人でよかったのに。
他の人間を巻き込む覚悟なんて出来ていないんだ。
これじゃ死んでも死にきれない――死ねない。
『点火』
華雅のくぐもった声が聞こえた。
同時に、火球が火を吹く気配。
伴動さんの身体を突き飛ばすようにして横に跳ぶ。直後、高熱の火炎放射が肩をかすめていった。なんとか直撃は避けられたが、この体勢では次の攻撃をかわせない。
「リオオオンーっ!!」
後方から炎をかき消すような怒号が聞こえ、直後に車椅子が凄まじい勢いで華雅の方向へ吹っ飛んでいった。
けたたましい金属の衝突音。
自らの半身を武器と化した天照さんの渾身の一撃が命中したのかは定かではないが、その音とともに光と熱が弱まった。
無理やり身を起こす。もはや「熱い」より「痛い」に近い。炭火で焼かれる肉の気分だった。
華雅にはまだ奥の手がある。娯楽室で最後に披露しかけた技……炎の熱を一気に放出して広範囲を焼く技だ。あれを使われた瞬間、僕たちは終わる。
『うあああーーっ!!』
華雅の獣のような咆哮とともに、火球から炎が連続で撃ち出される。
とっさに地面に伏せる。車椅子の攻撃を受けてキレたのか、ヤケクソになって乱れ撃っているだけのようだ。
「ぐあっ!」
後方から天照さんの声が聞こえた。無事を確かめる術はない。
やはり賭けに出るしかない。
華雅との距離はかなり縮まったが、その前に火球がある。
よし。
「行くぞ!」
両手を前に構えて頭をガードし、祈りのダッシュ。
「止まりなさい!」
背後で伴動さんが叫ぶ。
あと数メートル。間に合うか――
『広がれ』
無慈悲な呪文が耳に届く。
光が強くなる。世界の全てを白に染め尽くす。
熱が膨張する。世界の全てを無へ帰さんとする。
ダメだこりゃ、と笑いそうになる。これで僕も美來と同じ、黒焦げの肉塊になるわけだ。それはそれで安心するような、とても寂しいような。
……まだ熱さを感じない。
苦痛を感じる間もなく、僕は死んでしまったのだろうか。
目を開けると。
炎が爆縮するように収束し、虚空へと吸い込まれるように……消えた。
僕は今さら止まることもできず、廊下の奥に立っていた華雅に頭からぶつかる。
柔らかい感触と、壁にぶつかった硬い衝撃。
強かに頭を打ち、床に倒れ込む。
意識を失う前の数秒の間――
まだ眩んでいる僕の両目は、うつ伏せに倒れている華雅と、僕が来たのと逆方向の廊下に立ち、僕を見下ろしているカズの姿を捉えていた。




