006 ギザギザハートと硬いパン
二名が続いて退場し、とても議論を続けるという雰囲気ではなくなった僕たちは、
「なんか結論出なさそうだしよ、メシにしよーぜ!」
という天照さんの提案に乗り、非常時用の食料で簡単な食事を摂ることになった。
缶詰のパンをかじっている時、ふと視線を感じて見ると、カズが妙にしみじみとした目を向けてきていた。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「いや、感慨深えと思ってよ。お前がここまで立派に育つとは」
「お前は僕の育ての親か?」
「会ったばかりの頃からは想像もつかなかったって話だよ。まあ百点満点とはいかなかねえが、あの女相手にあそこまで張り合えたんなら上出来じゃねえか?」
上から目線の誉め言葉を、意外にも素直に受け取っている僕がいた。
ここに来たばかりの頃の僕だったら……確かにそうだ。あの頃は、僕は他人と会話すらできなかったのだから。
「そう思うならもっと加勢してくれよ。一人で相手するのは骨が折れすぎる」
「一騎打ちに水を差すのは無粋ってもんだろ。まあ多数決になったらお前の方に入れるくらいはしてやるよ」
「一票のアドバンテージくらいじゃ勝てる気がしないな……」
美來の方に視線をやると、席に座ったまま、夜夢さんが出て行った扉を見つめながら何やら思案しているようだった。夜夢さんの最後のひと言を気にしているのだろうか。
ここは僕が「なんか絡まれてたけど大丈夫か?」とか言いながらさりげなく話しかけるチャンスなのでは……?
「おい想介。まだミサンガ見つかってねえんだろ。今行くのはやめとけよ」
カズが僕の心を読んで先制してくる。
「でも、ないものはないんだし、この際正直に言うさ。こういうのは早い方がいいだろ。幸か不幸か時間はあるし、今日中に頑張って作り直せばいいんだ」
「作り直すって、外に出れないんじゃ材料がねえだろ」
む。それはそうだが。しかしこれ以上この微妙な空気が続くのは耐えられない。
ええい、ままよ!
「なんか絡まれてたけど、大丈夫かよ」
……ん?
おかしいな、まだ僕は喋ってないんだけど。それに僕ってこんな高い声だったっけ。
なんてとぼけるまでもなく、それは華雅の声だった。
「あ、うん、大丈夫だよ。華雅くん、だったよね?」
「お、おう」
「夜夢さんって独特だけど、なんかカッコいいよね」
美來が笑いかけると、華雅は照れたように目を逸らした。
「でも何考えてるかわかんねえっつーか……あんた、あいつの部屋に行くんなら、俺がついてってやろうか?」
と、急にもじもじとし出す。
僕が二人の方へ足を向けようとすると、カズが僕の首に腕を回し、そのままずるずると食堂の隅の方まで引きずられた。
「落ち着けよ相棒、目が血走ってんぞ」
「いや、だってあいつ……」
「焦ってんじゃねえよ。どうせ美來のことだ、なんも考えちゃいねえって。いちいち気にしてたら負けだぜ」
そうは言っても、そうは言ってもだ。今日はまだたったのひと言も話せていない。誕生日や髪型のことだけじゃない、この異常事態についてもだ。こんな状況だからこそ話をしなきゃいけないのに。
二言三言でいい、「大丈夫」と確かめ合って笑顔を交わす、それだけでいいのに。
華雅と二人で食堂を出て行こうとする美來を見て、ついに我慢の限界がきた。
「待ってくれ!」
僕が叫ぶと美來は振り向き、驚いたような表情を浮かべた。
「あのさ! 誕生日!」
「え?」
「誕生日、おめでとう!」
しばらく美來はきょとんとしていたが、やがて「あ、ありがとう」と応えた。
「え、今日誕生日なの、あんた?」
華雅が驚いたように言うと、美來が頷く。
僕は構わず続ける。
「せっかくの誕生日にこんなことになって残念だよ。それでその、プレゼントなんだけど……悪い! ちょっと手違いがあって、もう少しだけ待ってくれないか。必ず用意するから」
美來はしばらく黙ってじっと僕の目を見ていたが、はっと思い出したように僕の後ろに目をやった。
そして――「ふっ」と笑った。
「ありがと。でも、気持ちだけ受け取っておくね」
まるでナンパをあしらうような気のない返事に、僕の頭は真っ白になる。
キモチダケ ウケトッテオクネ?
……何だよそれ。
「これから華雅くんと一緒に夜夢さんの部屋に遊びに行くから、じゃあね」
「ま、待ってくれ!」
なんとか声を振り絞る。フラれたのに追いすがる女々しい男みたいで自分が情けなくなる。
「後で時間をくれ! ちゃんと説明するから!」
すると美來はどこか冷めた目を僕に向けて、
「いいよ。じゃあ、二時間後くらいに私の部屋に来てくれる?」
そう言い残して、華雅と二人で食堂から出て行ってしまった。
「おいおい、こんな時に恋のさや当てかー? リオンのやつも色気づきやがってよー」
「木花さん、今日が誕生日だったんだ……」
「ふっ。各務、なんだか大変そうだが、健闘を祈るぞ」
成り行きを見守っていた野次馬衆がそれぞれに感想を口にしてくれるが、応じる余裕はなかった。美來のあんな表情を見たのは初めてで、思った以上に僕はショックを受けていた。
「だから言わんこっちゃねえ」
カズが僕の肩に腕を回して、からかうような口調で言ってくる。
「……やっぱり怒ってるのかね、あれは」
「そうとしか考えられねえだろ。面倒なことにしてくれやがって、どうすんだこれ」
「いや、でもとりあえず言うだけ言えてよかった。二時間後、カズも付き合ってくれよ。カズの絵だけでも持っていこう」
さっき美來は僕の後方に目をやっていたけど、あれは恐らく、カズのことを見ていたのだ。もしかして怒っているのは僕にだけじゃないのかもしれない。
どうにも妙な展開になってきた。
華雅と夜夢さんの部屋を訪ねるというのも不安だった。美來も嫌なことは嫌とはっきり言うタイプだからおかしなことにはならないと思うが……。
でも、どうして華雅は急に美來に近づいたのだろう。
という疑問をふと口にすると、
「案外、美來の能力だったりしてな」
とカズが返してきて、僕は凍り付く。
その発想はなかった。
確かに、リストには『魅了』という能力があったが……いや、そんなはずはない。美來は注射を打っていないし、仮に美來が『魅了』だったとして、華雅を魅了する理由なんてないはずだ。
それに、そんなことは考えたくもない――美來が『魅了』の能力者だなんて。
「マジに受け取んなって。それよりどうすんだ。このまま解散にするか?」
「ん。ああ……そうだな。これ以上、ここにいるメンバーだけでできることもないし」
合格だの自由だの、あんな言葉を本気で信じる人なんていないだろう。
このまま何も起こらないのであればそれでいい。
他のメンバーも部屋へと引き上げていき、そのまま話し合いはお開きとなった。




