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ヘテロチャイルド  作者: 半藤一夜
プロローグ
1/59

再会、動物園にて

「よう、相棒」


 耳慣れた声。

 肩越しに視線を背後に向けると、そこに針金細工のような痩躯が立っていた。

 いつものように、人間が直立していられるギリギリの極限まで全身の力を抜いたような、糸の切れたマリオネットのような姿勢で。

「カズ。それで寒くないのか?」

 最初に僕の口をついて出た言葉がそれだった。

 ただでさえ寒がりのくせに、革ジャケットの下にTシャツ一枚という、見る者の体感気温ごと下げてくるような出で立ちだったからだ。

「寒いに決まってんだろ。こんな場所に呼び出しやがって」

「場所は僕に任せるって言ったじゃないか」

 両手をポケットに入れて身を縮こまらせながら、カズは僕の隣までやってきた。

「お前、猿山なんて見てて楽しいのかよ」

 と、つまらなそうに訊いてくる。

 僕の視線の先では、柵に囲われた大きな岩の上を、何十匹もの二ホンザルが動き回っていた。

「楽しいよ。こうして実物を見るのは初めてだし、じっと観察してるとそれぞれの性格とか関係性が見えてきて飽きない」

「なるほどな。じゃあ混ざってこいよ、見ててやるから」

「その発想はなかったな」

「飼育員は俺に任せろ、誰にも邪魔はさせねえ」

「カッコいい台詞で友人を煽るな」


 ああ――そうだ。この感じ。

 施設を出てカズと別れてからまだ数日しか経ってないのに、僕はもう懐かしく感じてしまっている。


 カズはひとつ溜息をつくと、柵に腕をもたせかけて猿山を見下ろした。

「言っちゃなんだけどよ、俺には悪趣味な見世物小屋にしか見えねえな。こいつらは本来、こんな生き方じゃないはずだろ。野生を去勢されちまってる、もはや猿じゃない別の何かだ。ここには“自然“が欠片もねえ」

 そう言って唇の片端だけを歪めて「くはは」と笑う。


 刃物のような鋭い目つきの割に、意外と饒舌で詩的な僕の友人――吾棟(わがむね)一希(かずき)

 こんな風に格言めいた皮肉や、どこまで本気かわからない冗談ばかり言う奴だけど、それを聞いているのが僕はわりかし心地よかったりする。


「自然ではないかもしれないけど、それでも彼らは幸せそうに見えるよ」

「俺に言わせりゃ、そりゃお前が人間だからだよ。こいつらは“幸せ”とか“不幸せ”とかどうでもいいことをいちいち考えてねえってだけさ。少なくとも『俺たちこんな生き方でいいんだろうか?』なんて哲学はしてねえだろ」

「そうかもな。その辺は僕にもよくわからない。でも『自然じゃない』なんて、僕たちが言ったら悪い冗談でしかないだろ」

 他でもない、僕たちが。

「ん? そりゃどういう意味だ?」

「なんでもない」

 カズは不審げに首を傾ける。

 と、その向こう側で、一人の少女が出番を待ちかねるようにこちらを見ていることに、僕はようやく気が付く。

「その子が妹さん?」

 そう訊くと、カズはわざとらしく「ああ、忘れてた」などと嘯いた。


「妹のスズだ。お前の話をしたら、ぜひ会いたいって言うから連れて来たんだ」


 そう紹介された彼女は、「なによう、忘れてたって」と口を膨らませてからこちらに向き直り、

「えと、各務(かがみ)想介(そうすけ)さんですよね。愚兄がお世話になってます、妹のスズです。今日はついてきちゃってスミマセン」

 ぺこりと頭を下げる。と、肩まで伸びた柔らかそうな髪がふわりと揺れた。うっすらとブラウンがかった髪色は恐らく生まれつきのものだろう。

「いや、とんでもない。こちらこそよろしく」

 カズと今日の約束をした時に、彼女の話は聞いていた。

「あの想介さん。目、どうしたんですか?」

 スズが僕の腫れた右目を見て心配そうに訊いてくる。

「ああ、これは、ちょっとね」

「おいスズ、初対面の男をいきなり下の名前で呼ぶんじゃねーよ。俺の相棒を殺す気か」

「え? 初対面の男の人を下の名前で呼ぶと死んじゃうの?」

「ショックで死ぬ可能性がある。特にこいつは免疫がないから危険だ」

「待て。誰が恋愛経験の貧弱さゆえにファーストネーム呼びだけで興奮してしまう童貞だ」

「そこまでは言ってねーだろ」

 と言いつつ、カズは「違うのかよ」とでも言いたげな表情を向けてくる。


 実のところ、当たらずとも遠からず。

 彼女に名前を呼ばれて、胸が高鳴ってしまったのは事実だ。

 カズとは対照的に彼女はしっかりと防寒着に身を包んでいて、ニット帽にキャメルのダッフルコートというガーリーな装いがよく似合っている。明るい笑顔が良く似合う、とても可愛らしい子だった。


「わあ、おサルがたくさん! おサルがゴミのようだよ!」

 スズが柵から乗り出さんばかりにして嬌声を上げる。

「おいスズ、あんまりはしゃぐんじゃねえよ」

「いいでしょー。動物園来るの初めてなんだし」

「へえ。じゃあ、全員が初めての動物園ってわけだ。今日は空いてるみたいだし、ここを選んで良かったかな」

「はい! グッジョブですよ、想介さん!」

「ぐはっ」

 ショック死。

 彼女は己の不注意には気付かない様子で、それこそ猿みたいにぴょんぴょんと飛び跳ねている。


 ――兄と妹。

 ふとこみ上げてくるものがあり、なんとか堪える。

 初対面でいきなり泣き出すなんて気色悪いにもほどがある。彼女にこんな顔を見られてしまったら、僕の第一印象は終わりを迎えてしまう。


「うわ、なんで泣きそうなんですか!?」

 はい終わった。

「いや、これは違うんだ!」

「もしかして、おサルが羨ましいんですか? 加わって来てもいいですよ、私はここで応援してます」

「羨ましくないし、加わっていいわけないだろ。兄妹で同じ煽り方をするな」

「えっ、猿山って自由に入っちゃダメなんですか?」

「本気で言ってたのかよ……」

「ああ想介、こいつ、俺たち以上に世間を知らねえんだ。まともに相手しなくていいから、悪ぃが今日一日だけ付き合ってやってくれ」

 カズが、僕にしか聞こえないボリュームで言う。

「それは全然構わないさ。それにしても、カズに妹がいたとはね」

「あいつは里親に出されてたからな。俺たちも久しぶりの再会ってところだ」

「どこに住むことになるんだ?」

「まだ決めてねえよ。未成年の兄妹二人が暮らしていくには東京は何もかもが高すぎる」

 珍しく、しみじみとした口ぶりで言う。

「それじゃあ今日は景気づけの東京観光ってところか?」

「まあ、そんなところだ。何日かはあいつの行きてえところを見て回るつもりだ。つーかよ、お前も俺に会えなくて寂しかったんじゃねえのか?」

「馬鹿言え、まだあれから四日しか経ってないだろ。まあ、僕にはもう二ヵ月くらい昔のことのように思えるけど」

 僕がそう答えると、カズは少しの間沈黙していた。

「……無理もねーだろ。あそこはろくな場所じゃなかったからな」

「そうか? 僕はそんなに悪くなかったと思ってるけどな。それ以前に比べれば、ずいぶんマシな生活だった」

「そうかい」

 カズはふんっと鼻を鳴らす。


 園内は不思議な静けさに包まれていた。

 新年を迎え、三が日を過ぎた動物園は人がまばらで、僕たちの周囲、どころか見渡す限り、誰の姿も見当たらない。まるで僕たち三人と動物たちだけを残して、全人類が世界から消失してしまったかのように。


「で、そっちはどうなんだ。仕事は決まったのか?」

 白い息を吐きながらカズが訊いてきて、似合わない台詞だなと可笑しくなりながら、僕は「なんとかやってるよ」と曖昧に答える。

「ただ、馴染むには時間がかかりそうだ。外の世界は希望に満ちてるだなんて期待はしてなかったけど、それでもやっぱり現実はなかなか厳しい」

「現実ねえ」

「実際、怖ろしいと思うよ。ニュースを見てると、人々を洗脳する詐欺師とか、放火魔とか、透明人間みたいな泥棒とか、覗き魔とか、とても人間とは言えない人間がこんなに存在しているのかってね。カズもそう思わないか?」

 隣で息を呑む気配が伝わってくる。

「想介、お前……」


 スズはまだ猿山の見物に夢中で、こちらの話などまるで耳に入ってないようだった。こんな暗い話に付き合ってもらうつもりはないから丁度いい。

 今日カズは、そんな話をするつもりで来たのではないだろう。

 だけど僕は話したいのだ。

 できることなら記憶から消し去ってしまいたい、悪夢以上に悪夢だったあの日の出来事について。

 僕たちがここから一歩でも踏み出すために、それはきっと必要なことだから。

 そしてそれは、カズと一緒でなければできないことだ。

 僕のことを唯一「相棒」なんて呼んでくれる、カズが隣にいてくれなければ。


 こんな救いのない話とは、とても向き合えないから。

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